京都2日目☆鷺森神社(さぎもりじんじゃ)
のつづきです。
また京都旅行の記事に戻ってしまいますが、
2日目、修学院離宮を観覧したあとにも観光をしましたので、そちらのことも追加したいと思います。
一日京都観光の日程を組んでくれた友人が、修学院離宮から歩いて行ける距離にある「鷺森神社(さぎもりじんじゃ)」へ案内してくれました。
たぶん行ったことがない…と思うので、興味津々。思い返してみれば、自転車で来れるぐらいの距離だったにもかかわらず、修学院近辺にはあまり行ったことが無かったのでした。(たぶん上り坂で自転車ではきつかった)
鳥居をくぐり境内に入ると、カメラの反射の影響なのでしょうけれど、紫の光が写り込んでしまっていて、下のような写真になってしまっていました。
境内のひらけた所に出てもこのとおり、紫に写ってしまっていて、何でもオカルティーに結び付ければいいというものでもありませんが、こういうのはちょっと珍しかったので、【紫 = 高貴な存在を表わす色】ということもあり、何やらとても高尚な場所なのではとちょっと思ったりしました。
手水所の屋根に
たくましく伸びる雑草。なんかこういうの好きです。
舞殿から正面にある御本殿を覗くようにして写真と撮ると、今度はタテに紫の光が。曇り空だったのでこんなに光の効果が出るのもちょっと不思議です。
もうちょっとズーム。次の瞬間にはもう光の効果は出なかったりするのです。
奥へ行くとこのような石が置かれていました。説明書きには
『八雲立つ 出雲八重垣
妻籠みに 八重垣作る その八重垣を』の和歌が。
須佐之男命(スサノオノミコト)が詠んだとされる日本最古の和歌ですね。そうそう、京都には珍しく、この鷺森神社はご祭神が須佐之男命なのです(山陰はほとんど須佐之男命や大国主命関連ですが)。
で、
この石にふれてお祈りすると、悪縁を断ち、思う人との良縁を授かれると言うではないですか!こりゃ大変。是非とも神縁にあやからねばなりません。
「悪縁を断ち切れて良縁を授かれるみたいですよっ」
と鼻の穴を膨らませながら石に手をつき、興奮気味に友人に話しかけましたが、友人は冷静に「無言で石にふれて祈るべし」といった内容の看板を指さして、黙るように促します。
おっとー、しゃべっちゃいけないのかーと思いつつも、ついついまた話しかけてしまう黙っていられない自分…。京都に住める良縁が欲しかったけれど、これじゃきいてもらえないかなあ?
ところで、余談ですが
『八雲立つ 出雲八重垣 妻籠みに 八重垣作る その八重垣を』
の歌は
「雲が幾重にもわき上がる出雲の国に、何重にも巡らす垣のように雲がたちのぼる。新妻と共に住むために宮をつくって何重も垣をつくったが、その八重垣のようだ。」
という感じの内容なんだそうです。
今年の夏、出雲族が最後に戦った地とされる田和山遺跡(たわやまいせき)へ行き、何重にも垣を巡らせ、神殿を外敵から守ろうとしていた形跡をリアルに見たことにより
弥生時代末期あたりの戦闘と攻防の厳しさを実感した次第です。
須佐之男命も『何重も垣をつくった』と歌に詠んでいるということは、すでにその時代から戦闘の攻防が厳しかったのかなと、一抹の哀しさを感てしまうのでした。
日本最初の和歌から、戦乱の世をうかがわせる?ものだなんてねえ。(石には良縁とありましたが、神様的には縁結びどころでは無い感じかもしれません)
話を鷺森神社にもどしまして、境内には立砂(たてずな)が何カ所かに作られており、ちょっと珍しいなと思いました。
立砂は上賀茂神社のものが有名ですが、そこでは祭神の依代の役割だとされています。
はて、この小さな立砂は何を意味してるんでしょうね?聞きたくてもここには社務所も無く、神職さんの姿も無かったのでした。
では、
いよいよ御本殿への階段を上がります。
松に囲まれた狛犬。またにわかに紫の光効果が写りはじめました。
ここが鷺森神社の御本殿です。とても静寂な空間です。
ここにも少しばかり紫の光が中央に差し込んでいました。ここから後にはもう紫の光は写っていませんでした。
行きしだけオーブや光の効果が写って、帰りは全くそういうものが写らなくなる現象もいつもどおりです。よく分かりませんが、何か強い気のある?場所(特に神社)にはそういうことがぼちぼちあります。ここも何か強い気のある場所なのかも知れません。
何か、こんなに”パワーありげ”な神社ですから、御由緒が気になってきますね。
で、
由緒書きを読んでみたところ、
1100年あまり前から比叡山の山麓にあったのだけど、応仁の乱の被害にあって消失してしまった・とのこと(応仁の乱で焼失した京都の文化財の多いことよ…)。
で、いまの修学院離宮の山中に移して祀られてあったけど、離宮を造営するから今のこの地に1689年、遷座となった・ということでした。
比叡山麓にあった頃、どういう立ち位置の神社だったのかがちょっと気になりますね。
平安時代までは滋賀から京都まで広く出雲族が住んでいたと思われるので、その間にある比叡山にももちろん出雲族ゆかりのものがあっておかしくはないわけで。出雲族が須佐之男命を祀っていたのならなるほど納得。
もしかして鷺森神社は、
昔たくさん住んでいたという京都の出雲族の名残なのかも知れませんね。
(そういえば、出雲族関連の場所でカメラにオカルティーが起こりやすいという傾向がありました。ここもそうだったのかな?)
質素な境内から一転、御本殿の中の祭壇はとってもゴールド✨⭐️でした。
ご神体は中央にあるピカピカに磨かれた鏡です。
手を合わせようと御本殿の前に立った時、ちょうど友人も御本殿の前に来て立ち止まりました。すると、ちょ~~どご神体のピカピカの鏡に友人の顔がきれいに写り、友人の顔に向かって手を合わせて拝んでいたのでした(笑)
さて、
デート力の高い友人は、次にお昼ご飯を食べるところまで調べてきてくれていました。
(お菓子や凍らせたドリンクまで用意してきてくれていた!)
お食事処までの道中、
下の画像はよそ様の勝手口ですが、
蝶つがいの所にアマガエルがひそんでいました。
扉開いた時つぶされないかなあ?
そして、
お食事処に到着。
しっぽりとした古式ゆかしいお蕎麦&うどん屋さんでお昼ごはん♫
友人は、お揚げを卵でとじた京都の定番「衣笠丼」を
私はこれまた京都の定番、「にしん蕎麦」をいただきました。
山陰ではなかなか、このにしんを甘辛くたいた物が売られていないので、ずっと食べたかったのです。にしん蕎麦!うれしいな~♫
(しかも友人にご馳走になりました。一日、姫のように扱われています(笑))
で、
一日姫デートはまだ続くのでした。
つづきはまたそのうち~。
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●余談ですが
後日、友人が私の写っている写真を何枚か送ってくれました。
で、
下の写真も送られてきたのですが、写っているのは男の人です。
「送り間違えたのかな?」と思っていたのですが…
よく見たら写っていたっ
完全に緑と同化している自分が(笑)
友人はこれ、よく見つけたなぁ・・・