古代オリンピックや勝利の女神の本当の意味
まずは牛の生殖行動を簡単に説明します。
タイトルの、オリンピックや勝利の女神に関係ないように思われるかもしれませんが、とりあえずご覧ください。
雌牛が発情期に入りました。雄を求めてモウモウと鳴き声をあげます。
その声を聞きつけ、我こそはという雄牛たちが集まってきました。
集まった雄牛たちは、順位を確認するため角を突いて戦い始めます。
雌牛はじっとその様子を見つめています。
角突きをした結果、ついに優勝者の雄牛が決まりました。
負けた他の雄牛たちはあきらめて引き下がっていきました。
顛末を見つめていた雌牛が優勝者に近づいてきました。雄牛が尻尾をあげると雌牛も背を向けて尻尾をあげます。雄牛と雌牛は交尾をしました。
こうして雌牛は、一番優れた雄牛の子を産むのでした。
「どんな種類の動物でも、雌は最も優れた雄の子を産みたがる本能を持つと、生物学者はいう。」
というのは、
谷戸貞彦氏の著書『サルタヒコ大神と竜』の内容からの抜粋でした。
古代日本史の本ではありますが、この本は本当に広い知識の中から古代史を考察していて、タテの知識(その分野の知識)だけではなく、ヨコの知識(他分野の知識)と合わせながら歴史を考察することの有意義さを実感できる本です。
上記は、牛の生殖を通して、生き物として雌はより強い雄の子を産もうとする本能についての解説でした。これが、古代史を考える上では大事な視点なんですね。
さて、
古代史を考えるうえで、もう一つ重要なことを同書から抜粋します。
私たちは現在、ほぼ父系家族を形成していて、父から息子へ家は継がれ、娘は他家へ嫁に行く家族の形に慣れ親しんでいます。
しかし、
古代においてはほぼ、どの文明も母から娘に家が継がれる母系家族制でした。
母系家族。つまり、家の頭首が女性なのです。
頭首である女性、刀自(とじ)に
息子と娘が生まれても、家を継ぐのは娘なのです。なので、母は娘を大事にしました。
息子も母の家にずっといますが、家を継がず、家族のために働きます。妻が出来ても妻とは同居しません。妻の家へ、夜だけ通うのです。
平安時代の通い婚を思い浮かべると分かりやすいと思います。
妻からすれば、夫は夜だけやってくる人なんですね。
図にするとこんな感じでしょうか↓
母の産んだ子供らが全員家にいる。娘の夫は他家から夜だけやってくる。夫は妻の生活や子供の面倒はみない。娘が家を継ぎ、その子どもらも生涯家にいる。その娘の夫も他家から通う。
娘の重要性と、息子・夫の希薄さが現代と違うところですね。
妻にとって夫は良い子供を産む「お種」ですので、より良い「お種」を選びます。
力のある男性はあちこちの女性に選ばれるので、いくつもの妻の家に通います。(選ばれない多くの男性も発生します。現在の一夫一婦制はあぶれる男性の苦痛を回避するためのものという見方もあります。)
さてさて、
ようやく古代オリンピックや勝利の女神の話に移りたいと思います(笑)
ちょっと著書に載っていた2世紀の勝利の女神の壁画を見つけることが出来なかったので、著書の図版を撮った写真をそのまま掲載させていただきます。
勝利の女神のモチーフは多くの地域で長い歴史、使われてきました。
現在でも勝機の見えてきた時などに「勝利の女神が微笑む」と言ったりもしますね。
「勝利の女神」の定形はだいたい上の図版のようなものだと思います。翼をあげ、シュロの葉を持ち、輪の上に乗っていたり、また手に持って掲げていたり。これら一つ一つの物に意味があるということを、著書の説明を読むまで私は知りませんでした。
その意味について解説します。
〇翼をあげている
雌鳥が交尾をゆるすとき、雄鳥に背を向けて羽根を広げる仕草を意味する。
上に書きました雌牛の、交尾をゆるすときに尻尾をあげる仕草にも何か通じますね。
〇シュロの葉
茎は女神の『谷』に例えられていて、細い葉は陰毛を表わしているそうです。
まあザックリ言うと、女性器とその周りに生える陰毛ですね。
〇輪・円盤
女陰の印。
ズバリ、女神が持っている輪は、勝利者に自分のあそこの部分、つまり自分の体を褒美として与える・という暗喩(あんゆ)だったんですね~。
(わたくしを差し上げましてよ)
ちなみに、渦巻き模様は世界共通の「男女交合のマーク」だったとのこと。上の図版の勝利の女神が渦巻きに乗っていることにもちゃんと意味があって、「さあ、わたくしと交合いたしましょう!」ということなんですね。
古代の人は性のことを子孫繁栄のための大事なことだと考えており、現代人のようにいやらしいことだとは考えていません。真面目に性を描いているのです。
古代ギリシャの人々は、性器は子孫を残す大切な働きがある物、男女が愛し合うのになくてはならないもの、とし、それをいやらしいと考えて隠すことはおかしい・という価値観だったそうです。
そういえば、古代ギリシャ美術はまっぱのものも堂々と描かれていたりしますね。
さてさてさて、
古代ギリシャの話が出ましたので、古代オリンピックの話を取り上げたいと思います。
ご存じのとおり(?)、ギリシャで行われていた古代オリンピックでは、出場者は素っ裸で競技に参加していました。出場者は男性だけです。
円盤投げでも、競争でも、まっぱでうおぉぉぉ~~~~!と全力。
鍛え上げられた肉体美をあますことなく見せつけます(?)
競技の優勝者の頭には月桂冠がはめられます。
競技を観戦し、このセレモニーを見守っていた遊女たちが拍手を送ります。
(うふん、強い男ってステキだわ)
上の記事をとばさずに読んだ方は(笑)、この古代オリンピックの意味が分かったのではないでしょうか。
つまり、
月桂冠 = 女陰
勝利者に月桂冠をはめられる = 女性との交合の権利が与えられる
ということなんですね~。
古代オリンピックは、雌牛をめぐって雄牛が争うそれをなぞらえて始まった、ということでした。
古代が女系家族制だったことを思い出して下さい。パートナーを選ぶ権利は女性側にあり、女性はより優れた男性の子供を産みたいと考えていたのです。
オリンピック、なんでやったの?
「健康な体のいい男を見定めるチャンスだからよ!」
なんで素っ裸でやってたの?
「私をあげる男の体をしっかり見るためよ!」
実際、”輪”をもらう男性の股もハッキリ見せるために、全裸で争う規則になっていたのだそうです。なんともおおらか(?)な話ですね。
(俺の鍛え上げた体を見せつけて女をゲットするのだ!)
以上。
谷戸貞彦氏の「サルタヒコ大神と竜」からの抜粋でした。
(現在はもう絶版かなー?)
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急に古代オリンピックの記事を書いたのは、先日のフィギュア・スケートNHK杯で優勝者に月桂冠(オリーブ製だったけど)が授与されたのを見て、上記の本のことを思い出したからです。
前記事↓
月桂冠が授与される。 これはもう、女性選び放題モテモテの権利を与えられたようなもんでしょう!
という時代錯誤の目線で見てしまってすみません(笑)
わざわざ月桂冠をもらわなくても、羽生さんはきっとモテモテでしょう。
それにしても、
古代ギリシャ人が見たら、月桂冠を女性がもらっている光景は不思議な感じかもしれません。「ん?君、同性にアピールしたの?」みたいな感じ?
優勝したロシアのコストルナヤさん。さすが、ロシアの人は色が白いな~と思いましたが、よく見たら後ろにいる奥さんが一番白かった(笑)
今回の記事のためにいっぱい「ふぬけイラスト」を描きまして…無駄にいっぱい描きまして(笑)。無駄に時間がかかってしまいました。 せっかくたくさん描いたからフリー素材にしようかな。素っ裸で走るギリシャ人とかの素材、使える方います?
そして作っちゃった古代ギリシャ・オリンピックのフリー素材↓そして限りなく低い実用性。
サルタ彦大神と竜 古代の子宝信仰[本/雑誌] / 谷戸貞彦/著 価格:2,200円 |