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戦後復興のすごさが分かる画像⑤ 戦後1947年

1945年8月の敗戦後、空襲と原爆で焼け野原になり、食糧難、住宅難、男手不足、交通網のマヒ、資材不足。そこへ命からがら帰国してくる何十、何百万もの引揚者。駐屯する外国の兵たち。

どれだけ困難な時代を日本人は生き抜き、経済発展をとげたのかを知りたくなったので、少々調べてみました。ただし、文字を読むのは苦手なので、戦後の写真を時系列で見ただけなのですが…、こちらでその『戦後の日本がたどった奇蹟』をシェアしたいと思います。昭和の人たちの生きるパワーに元気をもらえるかもしれません。

に続き、1945年8月の終戦から1年数カ月たった1947年の日本の様子です。

 

 輪タク 2月10日、

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二人乗りの箱車を自転車で引く「輪タク」が東京都内に登場。
運賃はバスや都電の20倍と割高だったが、便利さが受けて全国へ普及。

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【閲覧注意】

事故死された方々のご遺体が写真に写っています。ご注意ください。

 

 

 

 

 八高線列車転覆事故 2月25日
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埼玉県の八高線高麗川駅付近で列車の後ろ4両が脱線。
うち3両は筑堤下へ転落。174人が死亡、800人以上が負傷した。
車内は食料の買い出し客などで満員だったため、下りカーブで十分ブレーキが利かなかった。(配給の食糧だけでは足らず、多くの人たちが電車で買い出しに出ていたため、電車はかなりの満員だったそうです。空襲で鉄道が減っていたことがさらに追い打ちをかけたようです)

 

 

復興は遠く 3月17日 戦災からの復興がなかなか進まない東京・深川
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GHQのカメラマンたちは「狭い路地」「掘っ立て小屋」「不衛生な台所」などと記録している。

 

 ヤミ取り締まり(写真左) 4月15日
国鉄大宮駅で闇の食糧買い出し取り締まりを実施。一日で500人以上を検挙した。(配給の食糧だけでは餓死する例もあり、足りない食料を闇市で補充するしかなかった)
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額縁ショー (写真右)
東京新宿で「ビーナスの誕生」と称するショーが開かれた。
舞台上の大きな額縁の中にセミヌードの女性が立つだけだったが大反響を呼び、連日超満員。ストリップショーの先駆けに。(飢えても暮らしがままならなくても、エロスの楽しみを忘れない昭和のパワーを感じます)

 

飯田大火 4月20日 長野県飯田市の市街地から出火。
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季節風にあおられて燃え広がり、消火設備の不備もあり3984戸を消失。被害者は約1万8千人に達した。(戦争の痛手によって設備不足になっていた側面もあったようです)

 

ピーナツ売り 有楽町駅前。
終戦後しばらくすると、町には働く学生の姿が目立った。
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学徒動員や勤労動員から解放されて復学したものの、インフレによる生活苦でアルバイトに明け暮れた。

 

慶應義塾大学は空襲を受けて一部の校舎は崩れ落ちたまま。5月15日
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 義手を試している人
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帰還した負傷兵があふれていた。

 

 西川岸橋の下で暮らしている74歳の老人
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もう24年も暮らしているという。6月19日

 

 小さな空き地を畑に
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東京では食糧不足のため、車が駐車するほどの空き地にもトマトやカボチャ、トウモロコシ、豆などを栽培した。

 

 軍国主義図案切手、追放 7月23日
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 神道、軍事、植民地の図案の切手が使用禁止となる。
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 (何で神道まで禁止された?)

 

 舞踏コンテスト 7月25日
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東京・後楽園で「ミス日本選抜野外舞踏大会」が開かれる。ダンスは暗い戦後の生活に明るさと華やかさをそえた。(敗戦の落ち込みの中でも遊びを忘れない昭和の不思議)

 

キャサリン台風 9月14日 関東地方を台風が直撃。
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被害は東北、北海道にまで及び、死者・行方不明者1930名を出した。
豪雨により大小河川で決壊が相次ぎ、東京、茨木、埼玉などの4県に大水害を与えた。

 

フジヤマのトビウオ世界新記録を出す
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練習中の古橋広之進(手前)と橋爪四朗。

(古橋広之進氏は幼少の頃からその実力が注目されていたそうですが、戦争のために水泳が続けられなくなったとのこと。その上、学徒勤労動員で指先を切断する事故に遭い、もう泳げないとすら思っていたという。大学進学後に水泳を再開するも、大会へ行く汽車賃もなく、無賃乗車で乗り継いだという。翌年48年のロンドンオリンピックへは、敗戦国の日本は参加が認められず、世界記録を持つにもかかわらず古橋氏はオリンピックに出られなかった)

 

皇籍離脱
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憲法のもと、14の宮家のうち11宮家51人の皇籍離脱が決定された。写真は10月13日のお別れの夕食会に出席した元宮家の人々。

 

占領軍の押収品 10月3日
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キャンプ・ドレーク近くの地下4mに隠匿されていた銀の山。コイル状に巻かれ、箱詰めにされていた。(美術品や刀など、いろいろ”押収”されていたようです)

 

連合国の各国軍隊 11月21日。
(上写真)本国のエリザベス女王とフィリップ殿下の結婚を記念して、皇居前の広場で開かれた英国軍の閲兵式。
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(下写真)ヴィクトリア女王の誕生日にちなんだ「エンパイヤ・デー」にGHQのある第一生命ビル前を行進するインド軍楽隊(左)とオーストラリア軍(右)。
(戦後の日本に駐在していた軍隊はアメリカだけかと思いきや、ずいぶんいろんな国の兵隊がいたようです)

 

ブギの女王
笠置シヅ子が歌う「東京ブギウギ」が大ヒット。
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ダイナミックな歌声は人々の配線という暗い気分を吹き飛ばした。
(笠岡シヅ子氏は吉本興業の創業者の息子と交際しており妊娠するも、結婚が認められずシングルマザーになったという。交際していた男性は出産の数日前に病死したそう)

 

 東京都港区の水上生活者
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終戦後の住宅難はまだ続いていた。(今や高級住宅地となった港区)

 

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戦後の傷も癒えぬ1947年に、これだけの災害や火事、事故があったことに驚きます。災害は地上に住む者たちの事情に関係なく訪れるわけですね。

昨今、災害が増えた増えたと悲観的な気分になる報道がなされていますが、実は昔から災害は多く、防災や設備が足らなかった分、昔のほうが死傷者や、住宅を失う人が多かった。まずはこのことを知っておくことが大事かと思います。

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それでも日本人は生きのびて、立ち上がり、東京オリンピックという象徴に向かって経済発展をとげたのだから、本当にすごい。

 「もう一度東京でオリンピックを実現して、日本、元気になろう!」

という人たちの気持ちが、何となく理解できた次第です。

 

 次は1948年に続きます⇩

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