出雲旅行④ 出雲大社オカルティー補足
今回はオカルティーな内容です。苦手な方は「④」を読み飛ばして「⑤」へどうぞ。
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ふと思い出しました。
「そういえば、木内鶴彦氏の本に出雲大社やスサノオのことが書いてなかったっけ?」と。
木内鶴彦氏といえば、二度の臨死体験で地球史の過去や未来を見てきたとして、その体験をいくつもの本に著している彗星探索家の方です。
木内氏は臨死体験の際、死んで肉体の制限が無くなると、頭に思い浮かべただけで場所・時代関係なく意識がそこへ飛べることに気が付き、好奇心おもむくままにアトランティスの滅亡の様子を見てきたり、ノアの箱舟の真実を見てきたり、また、須佐之男命や大国主の様子を見てきたとのこと(正しくは、その人物の意識に入ってその人の目線で見た?)。 普通、自分が死んだらそのことに動揺して好奇心どころじゃないと思うのですが、そこが木内氏の面白いところですね。
私の手元にいまある木内氏の著書は「あの世飛行士《木内鶴彦》隕石落下と古代イワクラ文明への超フライト」と、ムー誌に特集されていた時の木内氏の記事しかありませんが、改めて少し読み直してみたのでした。
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●出雲大社あたりには亜空間がボコボコできる?
上記の著書内にこのような記述がありました(木内氏は天才肌すぎて読解が難しいところもあります・ご了承ください)↓
「出雲大社の入り口あたりの旅館のところにある石を写したんですね。そうしたら、緑色の球体が写っているんです。そんなの絶対に写りっこないっていうところ。しかも、緑色の意味が分かりますか。
カメラのいたずらとかそういうものじゃないというのはすぐわかるわけで、何だろう。あそこら辺はそういう異空間とか亜空間とか、ああいうものがボコンボコンできるようなところが多いんですか。」
私はてっきり、緑のオーブ(写真に写り込む球体)は自然礼の一種かと思っていましたが、亜空間とつながっていることを意味している?
そういえば、
先の出雲大社の記事で使った写真に。オーブかは分かりませんが緑色の光が写っているものがありました。ちょうど御本殿の真裏でした。
(中央の木の上の方)
真ん丸じゃないし、逆光なんで単にカメラのレンズのいたずらかも知れませんが、ご本殿の真裏というのが「そこには亜空間の入り口が実はあるのか?!」みたいなロマンを感じたのでした(笑)
木内氏はこのように続けます。
「あれは何なんでしょうね。僕もよくわからないです。ただ、その中に写り込んでいるものがある。拡大してみたらいいですよ。ぞっとするものが出てこなければいいですが」
えっ?なになに?
ぞっとするものって何だろう?一応上の写真の緑の部分を拡大して見てみました↓
(写真左がオリジナル。右は色を濃く分かりやすくしたもの)
う~ん、べつにぞっとするものとかはないかなぁ…
あえて言うと、右下の明るい色の葉っぱがドクロっぽく見えるかな?ぐらい?
まあ特になんてことはなさそうです。
他にもオーブとか写ってないかな~と出雲大社内で撮った写真を調べましたが、同じ場所で御本殿を真裏から撮ったものにやや虹色っぽいオーブがあるかな?というのと、
ちょっと見えにくいけど氏社(うじのやしろ)の屋根のところに薄く虹色っぽいオーブが写ってるかな?ぐらいでした。
まあどれもレンズのいたずらかも知れません。今回の旅行では大して霊威を感じるような写真はありませんでしたし。(先日行った玉造の神社はけっこうアレでしたが…)
そもそも私には「異空間」とか「亜空間」がどういうものなのかは分かりませんが、たまに一般の人の体験談とかでも、全然違う時代とか空間に一瞬行ったという話がありますが、こういう空間が何かの拍子に空いた瞬間、うっかり入っちゃう人が居られるのでしょうか?
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出雲大社のご祭神、大国主命のエピソードに「因幡の白兎」というのがあって、ウサギが皮を剥がれて泣いているところに出くわし、かわいそうに思った大国主がガマの穂で体を覆い、傷を治す方法を教えてあげるというものがあります。
木内氏が考えるには(たぶんこれは臨死体験で見てきたエピソードじゃない)、
「ガマの穂で治したと伝わっていますが、実はそうではなかったのです。ガマの穂でないと絵にならないのですが、本当はイネ科のマコモでくるんでやった(白兎はそれで傷口の治りが早かった)」
であろうと。
木内氏は古代人がマコモという優れた植物の利用法を知っていたと考えておられるようです。
「大昔にすでにそういうものがあって、それを食すると体の中の腸や何かにたまっているものを取り除くためには非常にいいということで出てきたのが、マコモだと思います」
と。しかも、
「出雲大社ではマコモがしめ縄として使われています。これが正解ではないか。麻や稲でやっていたりもするのですが、電子が1個足りない素材はまずマコモです」
(そうだったのか、これ、マコモだったのか)
ところで、
何でいきなり「電子が一個足りない素材」なんて話が出てきたのかというと、木内氏臨死体験で古代や未来の医療について見てきたところによる(?)ようです。(科学の苦手な私の説明ではアレですが)
「いちばん最初にできた生き物は藻ですが、その藻のもとになる細胞を作るためには、微弱電流が必要です。微弱電流が流れないと生命は誕生しません。細胞がつくれません」
で、
「微弱電流が流れる仕組みが、単細胞の藻の中にできたのです。そういった構成の中で、電子が足りない状態があります。それを補おうとして太陽の光や放射線のような光を受けると、電気に変える力がある。微弱電流が流れることによって、細胞ができてくる」
ちょっとついていけないですが、電子が一個足りないことにより、微弱電流が流れ、それで細胞ができるということらしいですわ…はぁ。
マコモは電子が一個足りない。だから微弱電流が流れるということですかね。
で、
ちょっと話が飛ぶように感じますが、生き物の体内で細胞がつくられるとき、どうしても放射能が出て、それが体にたまっていくのだそうです。そうやって帯電すると体の循環が滞り、電子をとばして遺伝子を焼いてしまう、と。
で、
とりあえず読んでみてください↓
「放射能とはいったい何でしょうか。ものすごくいろんなものが集まって、不安定な状態にいて、電子の振動を起こしているわけです。ラジオのアンテナと同じで、たまにパパーッと電波が出ます。これが放射線で、体に悪いわけです」
ふつうに細胞分裂が起こるだけで、体に悪い放射能が体内に生成されてたまっちゃうとか、どうしてくれるんだよと(笑)
で、
で、その時に、
「そういうものに対して何がいいか。そうしたら、電子が一個足りないものが昔から存在しているなと思い至りました。マコモは原始的なものだったな、と」
(こんな普通の草っぽいマコモ)
要は、体に帯電してるいらない電気をアースして放電すれば、体で細胞を作る微弱電流が流れ、循環が取り戻せるようになる・と(?)。
つまりつまり、
マコモがアースしてくれる(?)。そのことを古代人は知っていた…ということかな?だったらすごいですよね。
(家電のアース)
そういうわけで木内氏は、因幡の白兎はガマの穂ではなく、マコモに包まれることによって(細胞を活性化させ)傷を早く治したのだろう、と考えたわけですね。
木内氏がそう推測したのには、ご自分が臨死体験時に見てこられたこんなエピソードがあるからだと思われます↓
「(スサノオは)暴れ神様で、大変な暴れ者であったと言われていますが、スサノオのモデルになった人はそうではなかった。私たちが生きていきやすいようなものをつくってくれた」
「たとえばマコモをとって、それをうまく堆肥化させて、田んぼや何かにまいていくと、地電流の流れがよくなってきます。そうすると、作物のでき方が変わります。
今では炭を入れたりすることもありますが、昔はそういう繊維を使ってやった可能性もあります」
スサノオは神話に描かれているような暴れ者では無かったと、木内氏は繰り返し話しておられます。
古代には、今とは違う古代の化学があったようです。スサノオや大国主をはじめとする出雲族は、そういったマコモの有用性を既に知っていた可能性があるという。それが、出雲大社のしめ縄がマコモで作られてきたことの意味するところなのかも知れません。
深いな~日本の古代史はっ!
ちなみに、
「あの世飛行士《木内鶴彦》隕石落下と古代イワクラ文明への超フライト」では、古代史に詳しい他のゲストとの対談も載っていて、巨石写真家の須田郡司氏と木内氏も出雲大社とマコモのお話をされています。
須田氏「出雲では、(しめ縄を)蛇巻き(じゃまき)という言い方をします。出雲大社は左側が頭で、右が尻尾になっていて、向きが逆みたいです」
木内氏「世界中同じようなものがありますね。マコモに着目して、昔の人たちは、例えば着るものや何かにやったような感じです」
木内氏「昔、日本に(天皇家は)南朝と北朝とあったらしいのです。(今の天皇家は北朝系だが)南朝の天皇家というのがあるらしく、その方々に会ったときにいろいろ話を聞いたら、マコモの研究をしてるんです。マコモの繊維をすいて紙をつくったんだとか、布みたいなものをつくったりしている」
どぉーーーーーーん!!!!
なんと、南朝の天皇家の人と木内氏が会っていたとはかなり驚きです。しかも、衰退したかに見えたマコモの古代知識を?南朝の天皇家は未だ保持していたということでしょうか?
オカルティー界では「孝明天皇は伊藤博文に殺害され、南朝の下級武士だった大室寅之佑が明治天皇としてすりかえられた」説がけっこう流れています。事の発端は、明治天皇の孫にあたるという中丸薫氏が、実はこのような写真が発見されまして、と「フルベッキ写真」というオランダの宣教師を囲んだ武士の群像写真を、知らない男に見せられ、「真実」として明治天皇すり替え説を吹聴されたことからではないかと。
(赤で囲んだ人物が明治天皇であるという話になってます)
何者かもわからない男が急に、明治天皇の孫でさえ知らないことを吹聴しに来るとか、私からするとかなり怪しく感じますが、どうも中丸さんは純真な人で、北朝鮮で「俺たちは核爆弾をすでに600個持っている」とかのハッタリもまんま信じて、対談で披露されたりもしています…人が善いんですね…。
オカルトの雄・飛鳥昭雄氏も明治天皇すり替え説を熱心にとなえておられたので、私も一時期真に受けていましたが、上記の中丸氏が「真実」を知ったエピソードに「あれ?」と感じたこと、そして、南朝に仕える身として代々口伝を継承している武内宿祢の子孫・竹内睦泰氏が「南朝の天皇は(偽物の南朝天皇が昭和に世間を騒がせたこともあり)非常に慎重に存在を隠しておられる」といった旨のことを話しておられた。つまり、南朝天皇は今でも表に出ることなく、静かに息をひそめて暮らしておられるわけですね。そして、木内氏の「その方々(南朝の天皇家)に会った」というお話。やはり実際には南朝の天皇家の方は表に出てはおられない・・・
(画像中央が竹内睦泰氏。というか、お若いのに今年亡くなっておられたことをさっき知ってショック…)
そして、どうも私の観察する限り、その噂を積極的に広めているのは共産主義思想の人、つまり反天皇の人たちと被るんですよねぇ~。(そして、その情報を真に受けて広めてしまっている人たち)
オカルティー好きの人に知っておいてもらいたいことは、オカルトの分野に共産主義思想というか、要は大陸とかユーラシアの上のあの国とかの赤い人たちが、オカルトネタを利用して世論誘導をかなり積極的にしているということです。目的は反天皇思想や反政府思想に誘導することでしょう。宇宙人ネタや古代日本史ネタにちょこちょことそういう反日的な思想を紛れ込まして、妄信しやすいオカルティー好き人たちを反日的な思想の伝搬に利用しているようです。オカルト分野のプロの人たちですら騙されているように見えます。「情報」を提供して著書を書かせたりしているのでは。
とにかくオカ情報はよくよく警戒して下さい。
え~~~~と、
メチャクチャ脱線しましたが・・・
須田氏と木内氏の対談に話を戻します。
須田氏「皆さん、出雲大社の本殿の中のしめ縄はマコモだと知っていましたか。それも斐川という集落の17軒だけの方が代々つくっているのです。それは野生のマコモなんです。それをとりに行って乾燥させて、大祭礼の前につけるのです。
出雲大社はかならずお供え物はマコモの「こも」の上に載せるのです」
ふ~む。やはり出雲とマコモはただならぬ関係・・・
木内氏「本来は、神事も全部マコモみたいなものでやるのが普通だと思うのです。私が見てきた世界ではそうだったのですが、いつからか麻になってしまったのです。麻はそこまで力がないのです。今の神事は全部麻ですね」
臨死体験で昔の神事にマコモ(?)が使われていたのを木内氏は見てきたようです。
木内氏「(マコモは)家の中の変な霊とか奪ってくれる。炭などは電気の流れをよくするだけですけど、マコモは電気を放電する、引っぱり出す力がある」
マコモを栽培したくなってきました(笑)
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●神在月の真実
前記事では10月を神在月と間違えていたしょっぱい勘違い旅行のことを書きましたが(笑)、木内氏は神在月の秘密も臨死体験で見てきたようです。
お話は出雲大社ではなく佐太神社の神等去出神事(からさでしんじ)についてですが、
「あれはスサノオさんの御霊があの世から帰って来てしばらくいる。だから、スサノオさんを祭っているところの人たちは神在月なんですね。さっき言ったお餅をもらって(日本は元々スサノオの土地だったので、土地代としてお餅を払いに行っていた)、また船に乗せて、黄泉の国に帰ってもらうという儀式でしょう」
と、宮司さんに話しかけたところ、
「「ちょっとちょっと」と呼ばれて「あなた何でそんなことを知ってるんですか」
と」
言って驚かれたようです。当たってたんですね(笑) 秘密の話だったようですが、本で堂々ばらしちゃっておられますね。
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●神在月に神々が集まる理由
わざわざなんで年に一度、神様が集まるの?という疑問について、木内氏と星田妙見宮宮司である佐々木久裕氏の素敵な対談を最後に書き出しておきたいと思います。
佐々木氏「世界中の人から見たら、何とのんきなことを、心理はひとつだ。なぜ日本の神様がわざわざ1年に一遍集まって話をしなければいけないんだと言うでしょう。
そうではない。まず、日本の神様は意見を一つ残さず聞く。みんなが納得する中で物事をする。これが真理だと一遍に押し付けてはいけない。
10人いたら10人が皆それなりに納得する。「わしはわからぬけれども、みんながそんなに熱心に言うてくれているのだったら、一遍それでしようかな」と、これも納得なんです。
「お前はちょっと黙っとれ。頭が働いておらぬ。この人は立派な人だから、この人の言うことを聞いておればいいんだ。黙ってろ」というのはないんです。みんな意見を述べる。
天の安河原(あまのやすがわら)で八百万の神が1年に一遍集まるのはそのためなんです」
佐々木氏「八百万の神々一人たりとも逃してはダメなのです。自然の全てに役割がある」
木内氏「人間一人一人が同じことをしているのが平等ではなくて、一人一人の能力がこの世の中に発揮できること、その能力が平等なんです。逆に言えば、要らない人はいないのです。みんな重要な人たちです」
(感動)
未来の人類の在り方について、この頃よくオカルティー界で語られているのは、何でもできることを良しとする社会は終わりを告げるということです。これからの人たちは、得意なことだけをそれぞれに伸ばす。それで社会が上手く回るのだそうです。
運動が得意な人は無理に勉強まで出来なくていいし、研究者は経営まで出来なくていいというわけですね。経営ができなくても、経営が得意な人がそれをやれば、できない人が無理にやるよりは社会が上手く回るという仕組みですね。
近年、発達障害の子が多く生まれている理由はそこにあるのだと秋山眞氏は話しておられました。私ももうちょっと遅く生まれておればよかったなぁ・・・
もんのすご~~く長文になりましたが、日本史とオカルティーの深さには甘噛みすらできておりません。このジャンルは深いなぁ~。
ということで、
体調不良でなかなか進みませんが、次は『出雲旅行⑤』日御碕のことを書こうと思います。