今日も安定のオカルティー✨まともな人は割り切ってください…(オカルトなんてこんなものだと…)
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こちらは前記事『②』の続きです
地元の正体のよくわからない荒神さんと歳徳神の正体を知りたくてペンデュラムしたら、
荒神さん ⇒ 龍が宿っているもの
歳徳神 ⇒ ヌビアからアッシリア、ササン朝を経て、さらにインドから陸路を東進し、海を渡って日本に入った一族
というまさかの結果が出た・というのがこれまでの流れです。
ちなみに、出雲族の祖と思われるクナド大神一族は歳徳一族とインドで婚姻関係になった遠い親戚とのことでした。(クナド一族のほうが先に来日しているとのこと)
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で、
歳徳一族が陸路を「東進した」というところに個人的に引っ掛かりました。緑豊かな国があるとして東征を決意した初代神武天皇。それは明らかに「緑に恵まれない」地域の人のセリフだということで、九州からという説はないなと。ということは外国から来たことを意味しているな、と。
で、何となくですが、歳徳一族は現在の天皇家の始祖(天神族)よりも少し早く来日していると私は考えまして、で、天神族は日本を制圧後、その前に居た一族の伝承を自分たちの伝承の前に付け足して、歴史を長く見せかける工作をしてたのではと。そういうあいまいな「前の族の付け足しの歴史」が欠史八代辺りかなと。
一般的に天神族の本当の始祖は第10代天皇崇神と考えられており、初代の神武と崇神は経歴がミックスされている可能性が濃厚のようです。
話を戻します。
初代天皇と言っているけれど、神武の経歴には天神族以前の族の経歴・伝承が組み込まれている可能性があると。で、もしかして歳徳一族のインドから日本への東進の記憶は、神武の東征として組み込まれた?
と勝手に疑ったので、ペンデュラムしてみました(歳徳族とクナド族が紛らわしいのでご注意ください)
●歳徳一族のインド東進ルートが神武東征に似ていますが、神武は歳徳一族ですか?
ブンブン平行。 おしいよ・おしいけどけどちょっと違うんだな・という反応ですかね。ちょっと質問の方向性を誤っていたかもしれません。
●歳徳一族のたどったルートが天皇家の伝承に加わった。
ややYES。 ふむ。伝承の一部は神武の伝承にやや足されたのかな。
●神武東征は歳徳一族のたどったルートとかぶる
ややYES。 やはりここの部分…か?
というより、まずは初期天皇の一族の友好関係を聞くべきだったかも
●ごく初期の天皇は出雲族(クナド一族のほう)と関係ある?
平行。 私はずっと欠史八代は出雲族関係だと疑っていましたが、それほど関りは無かったのかな
●初期の天皇は歳徳一族とかぶっている?
や~やYES? 微妙なんだけど、関係無いでもない…のかなぁ
●初期の天皇はクナド一族と関りがありましたか
平行。 やっぱりこちらは平行ですね。
ほんじゃ、関りというよりもズバリ
●歳徳一族の末裔が初期天皇の一族ですか
平行。 そうではないのか。
●歳徳一族の一部が初期天皇の一族になった
や~やYES。 そうとは言い切れないけど、まあそんな感じ・ぐらいの?
●歳徳一族と初期天皇の一族は婚姻関係がある
YES。 そっちか!まんま天皇の一族というわけではないが、歳徳一族から姫が献上されたか、あるいは天皇の一族から歳徳一族に姫が来たわけですかね
では、出雲族の祖?クナド一族とはどうかな
●クナド一族と初期天皇は婚姻関係がある
No。 おっとハッキリ違うと出ました。これは意外です。私はかなり長年、初期天皇は出雲族とつながっていた、あるいは出雲族だと思っていたので、今までの思い込みを大幅修正しないといけないかも知れません。
というか、歳徳一族とクナド一族の立ち位置が今一つ理解できていないかも
●歳徳一族とクナド一族は日本に入ってから別々になった?
平行。 インドから一緒に来たわけではないのかな
●歳徳一族よりクナド一族の方がより早く日本に来た
YES。 やっぱりそうか。クナドを出雲族の祖と考えて良さそうですね。逆に言うと、歳徳族と出雲族は別物ということですね
では、
天皇家の欠史八代とは
●欠史八代と歳徳一族は関係ある
YES。 あるのか!ということは婚姻関係があったのは欠史八代時代のことかな。
では、
●欠史八代とクナド族は関係ある
平行。 ふ~む。思ったよりもクナド族は天皇家と関わっていない。それよりも後から入ってきた歳徳一族と関りがあると考えた方が良さそうです
そうすると、
おそらく天皇家よりも早く日本に入り、出雲族の祖となったクナドとはどういう一族だったのかちょっと見えてきません。
●クナド一族は(これまでの日本にはない)技術や知識を持っていた
No。 え?秦氏のように建築技術やら何やら持ってきたんじゃないの?来日しただけ?
●歳徳一族は?
平行。 そんな馬鹿な!何の知識も技術もない一族が、様々な族でごった返していたであろう当時の日本でどうやってはびこることができるんだ?歳徳一族に至っては天皇の一族と婚姻関係まで結んでるというのに…
か・考えろ、考えるんだ!技術や知識以外の魅力的な要素を!!!!
あ、もしかして
●歳徳一族は霊的な力や呪術に長けていた?
ややYES。 ややとついているからにはそのままではないにせよ、方向としてはそちらか!なんか霊能力があったということね。
なるほど。天皇家とはそもそも祈りの一族。祈りの一族に”なった”と言った方がいいのかな。武力で日本を制圧した天皇家が、徐々に物部とか賀茂とかの一族に神事とかを教わったイメージ。
そういう霊とか神の担当は賀茂一族のイメージだけど、その前に歳徳一族の存在があったんだろうか?
●歳徳一族の中から賀茂の一族が現れた?
ややYES。 そうなのか!ということは、賀茂族の前身は歳徳族か?
これはぜひ、賀茂の系図のどのあたりまでが歳徳族なのか知りたいところです。
ということで、
じゃーん👇賀茂系図のコピーが宅にあってすぐに用意できる自分(笑)
上の方の神様(命とか尊のついてる方々)のところからペンデュラムで「この人物は歳徳族の人ですか?」と一人一人確認していきました。
もうのっけからペンデュラムは右回りました。神皇産霊尊ですね。この方は歳徳族のようです。私は「尊」とついている人は日本にはいなかった人か、ぼんやりとした伝承の残像くらいかと思っていましたが、ちゃんと存在されてたんですね。
続いて天神玉命、天櫛玉命とちゃんと右回ります。存在していたんですね。さて、問題は四代目の鴨建角身命です。この方は京都の下鴨神社のご祭神です。代々祀っているのは賀茂族です。
で、鴨建角身命はどうかなとペンデュラムしたところ・・・右回りました
つまり、歳徳族の人だとペンデュラムを手伝ってくれてる存在はゆうておるわけですよ…
まぁ気を取り直しまして、どこまでが歳徳族の人なのか引き続き調べました。
鴨建玉依彦命、五十手美命、麻都躬之命、看香名男命と順調に右回っていましたが、津久足尼命のところでピタリとペンデュラムが動かなくなりました。そこからはもう誰にも右回らなかったので、神皇産霊尊から看香名男命までが歳徳族と考えて良さそうです。
※ただし、後日もう一度聞き直したとき、津久足尼命までが歳徳族で、その下の猿弟人命は歳徳族ではないと出ました。どうも津久足尼命の存在が曖昧なんですよね。
ちなみに、猿弟人命は神話に登場する猿田彦命と同一人物とのことなので、この人からの家系を猿弟人族と呼びますね。
で、先ほどもしやと思って聞いてみました
●津久足尼命は猿弟人族と歳徳族の血を引いているのですか?
YES。 あ、そういうこと。歳徳族なんだけど、猿弟人族の一族の血も引いていた、つまりお母ちゃんが猿弟人族の人だったんですかね
では
●津久足尼命は猿弟人命のお父さんですか
No。 ええ、どういう意味や(´・ω・`)?
●猿弟人命のおじいちゃん?
YES。 そういうことか。猿弟人は歳徳族の血は引いているけれど、別の一族になった?んですね。
さて、気になるのはなぜ歳徳族が看香名男命あるいは津久足尼命のところで途絶えたのか? もうここは禁断の質問をズバリと聞いてみます
●歳徳一族は津久足尼命(あるいは猿弟人命)の一族に殺られたのですか
YES。 どーーーーん…傍系の一族?の裏切り(+o+)
歳徳族は近畿に居たようですが、近畿の歴史からはすっかり消えていますよね(歳徳神は山陰ではお正月の神様として手厚くもてなされていますが)
●だから歳徳一族は出雲(山陰)の一族しか残らなかったのですか?
大きくYES。 ペンデュラムの動きの大きさが、手伝ってくれている存在がここを強調したがっていることを物語っていました…
●山陰の歳徳神は、出雲に残った一族が殺されてしまった(近畿の)同族を鎮魂したものだったんですか?
ブンブン平行。 惜しいけどそうじゃない!ようです。(山陰の歳徳神)
●出雲まで頑張って逃れてきたけれど、亡くなってしまった歳徳族を鎮魂したものですか
YES。 そうか…祀ってくれたのが出雲族(クナド族)か、いくらか歳徳族が山陰に居たのかわかりませんが、逃げ延びてきた人たちのための祠だったんですね。
●山陰に残った歳徳族は出雲族と一緒になっていきましたか
YES。 二つの一族は混じっていったんですね。それで歳徳族がいつの間にか出雲族と同一視されて見分けがつかなくなってしまった(あるいは歳徳族が消えていった)のでしょうか
上記に歳徳族とクナド族の来日の時期が違ったことについて触れました。では、来日した最初の場所・拠点も違ったのでしょうか
●最初に歳徳族が来たのは山陰ではなかった
YES。
●近畿で歳徳族が殺られた時に、生き残りの人が同族(クナド族の末裔・出雲族)のいる山陰に逃げてきた
YES。 同族だったのは古くインドに居た時代のことですが、いちおう二つの一族は同族だという意識があったんですね
ちなみに
●今の賀茂族と歳徳族は違う一族ですか
YES。 違うそうです(;´・ω・) 血のつながりはなさそうですね
(上の方で書きました、歳徳一族の中から賀茂の一族が現れたというのは、系図の上で、あるいはごく初期のころは・という話だったのかも)
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次回というかシリーズの続きは、歳徳族の不思議なヌビア時代or鴨建角身命さんについて追及したことをUPできればと思います。
歳徳族がヌビアに居た頃の信じられないペンデュラム結果はオカルティー好きでも引いてしまうかもしれません💧 また、鴨建角身命さんのお姿については、以前ヘミシンクで一瞬見えた男性を描き残しており、ペンデュラムによるとその男性が鴨建角身命さんだということだったので、それもUPできればと思います。神皇産霊尊のお母さんの出身とかも意外でした。
④につづく⇒ ☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆