130.蝶
↑こちらがオリジナルの切り紙です。
............................................................................................................
最近『先代旧事本紀(せんだいくじほんき)』という、古史古伝についての本を読んでいます。
古史古伝というのは、『日本書紀』とかより以前の、神代文字で書かれた書のことです。
こういう書はいくつか現存しているのですが、日本の『歴史』としては認められていないようです。
漢字が伝来するまでの日本に、文字はなかったという見方が一般論とされているんだとかで。
古史古伝というのは、『日本書紀』とかより以前の、神代文字で書かれた書のことです。
こういう書はいくつか現存しているのですが、日本の『歴史』としては認められていないようです。
漢字が伝来するまでの日本に、文字はなかったという見方が一般論とされているんだとかで。
私はそういう『アヤシイ』本に魅力を感じてしまうので、図書館で借りてきました(ミ^ェ^ミ)
しかしこれが、思っていたより良い感じで、現代に生きる私にも
暖かい気持ちを、時を越えて与えてくれたのでした(まだ半分しか読んでないけど)。
暖かい気持ちを、時を越えて与えてくれたのでした(まだ半分しか読んでないけど)。
みたいなことを進言し、編纂されたのがこの『先代旧事本紀』なのだとか。
ところが、書の完成を見ることなく、聖徳太子はこの世を去る。
亡くなる3ヶ月前、「この書は近い将来、人によって失われることになるだろう」と予言。
推古天皇は不安になり、3冊の書き写しを作り、3つの神社にそれを埋める。
亡くなる3ヶ月前、「この書は近い将来、人によって失われることになるだろう」と予言。
推古天皇は不安になり、3冊の書き写しを作り、3つの神社にそれを埋める。
という、なかなかロマンあふれる書物です(^д^*)
まあザックリ言ってしまうと、時々の権力者の立場をマズくしかねない内容だったわけです。
特にいけなかったのが、『人というのは、誰に支配されるものでもない』という、
『人の尊厳』に関する古代の考え方の記述で、そんな自意識を庶民に持たれては、
為政者は支配が困難になってしまうのです。しかも、人間の力を自覚した者は大きな力を得るのだとか。
なので、
この書が歴史に登場するたび、偽書とさげすまれ、禁書とされ、出版を阻まれたのだそうです。
『人の尊厳』に関する古代の考え方の記述で、そんな自意識を庶民に持たれては、
為政者は支配が困難になってしまうのです。しかも、人間の力を自覚した者は大きな力を得るのだとか。
なので、
この書が歴史に登場するたび、偽書とさげすまれ、禁書とされ、出版を阻まれたのだそうです。
『人というのは、誰に支配されるものでもない』
現代の我々も、いまだ『誰かの支配』を逃れられていないように思いまする・・・
人はひとを、縛らずにはいられない性なのか?
親に、夫に、上司に、権力者に、近辺の「変わり者・はみ出し者」を許さない目線に・・・
そして、
自分の理解の範疇に入らない者をさげすむことで、自分自身を縛る。
自分を縛る者は狭量になり、また人を縛る。
人はひとを、縛らずにはいられない性なのか?
親に、夫に、上司に、権力者に、近辺の「変わり者・はみ出し者」を許さない目線に・・・
そして、
自分の理解の範疇に入らない者をさげすむことで、自分自身を縛る。
自分を縛る者は狭量になり、また人を縛る。
そんな人類史が連綿と続いているように感じさせられた次第です。
不思議なことに、この本の前に読んだ外国人作家の本にも近い記述があり、
ぉおっ?! とプチビックリです。
ぉおっ?! とプチビックリです。
『人間には本来、もっと大きな力がある。男と女は互いの力が等しくなった時、
大きなエネルギーが現れる。だが(そうさせたくない勢力により)女が男に従う制度がつくられ、
人間に本来の力を出せない状況にさせている』
大きなエネルギーが現れる。だが(そうさせたくない勢力により)女が男に従う制度がつくられ、
人間に本来の力を出せない状況にさせている』
みたいな内容で、こちらも本当の人間の可能性の大きさを訴えている。
それはまず、自分が人を縛ったり支配したがることをやめる。
そして自分自身を『縛りあう』思想から脱却させる。
己の大切さを知る。そして、人の大切さも知る。
あらゆる命、存在に対する理解を持てるようにする。
そして自分自身を『縛りあう』思想から脱却させる。
己の大切さを知る。そして、人の大切さも知る。
あらゆる命、存在に対する理解を持てるようにする。
そのスタンスを守るようつとめていれば、おのずと『足のひっぱり合い』構図から
抜け出しているのではないか?と考えました。
人に対して狭量になっている時、実際自分でも苦しいですからね~
抜け出しているのではないか?と考えました。
人に対して狭量になっている時、実際自分でも苦しいですからね~
そんなわけで、古来の叡智が教える『人間の尊厳』を
自分なりに現代バージョンに解釈し、切り紙の蝶々も交えつつ(笑)
詩?みたいな物を作ってみました。(ありきたりな言葉の連続ですが)。
自分なりに現代バージョンに解釈し、切り紙の蝶々も交えつつ(笑)
詩?みたいな物を作ってみました。(ありきたりな言葉の連続ですが)。
そういうわけです(^.^)
長々とお読みいただき、ありがとうございます☆
長々とお読みいただき、ありがとうございます☆