作品132.小さなたくさんは大きなひとつ
できあがり。
よく見ると小さな花がたくさんでしょう?
でも、遠目で見ると、大きな一輪の花に見える・・・
小さな様々のたましいが、ひとつの摂理でつながっている・・・
ように見えなくもない?
意図せずにこういった仕上がりの作品になりましたが、
出来上がりを見て、何となくたましいと宇宙のことを考えました。
出来上がりを見て、何となくたましいと宇宙のことを考えました。
以前読んだ本によると、古来の人類は
『すべてのたましいは元々ひとつだったもので、それが細かく分かれただけ。たましいはみんな同じ。』
という考え方だったそうです。
ネイティヴアメリカンの神話にも、確かそんな思想があったと記憶しています。
『すべてのたましいは元々ひとつだったもので、それが細かく分かれただけ。たましいはみんな同じ。』
という考え方だったそうです。
ネイティヴアメリカンの神話にも、確かそんな思想があったと記憶しています。
私は仏教には造詣がありませんが、
経験の蓄積のため、分化されたたましいたちはそれぞれに肉体を与えられ、
愛や悲しみなど、人生経験を通してたましいを大きくして、また元の所へ帰って行く。
それを繰り返して大きくなっていったたましいたちは、遠い未来、
菩薩とともに、ひとつの大きなたましいに戻る・・・
みたいな考え方があったように思います。(流派不明ですが。)
経験の蓄積のため、分化されたたましいたちはそれぞれに肉体を与えられ、
愛や悲しみなど、人生経験を通してたましいを大きくして、また元の所へ帰って行く。
それを繰り返して大きくなっていったたましいたちは、遠い未来、
菩薩とともに、ひとつの大きなたましいに戻る・・・
みたいな考え方があったように思います。(流派不明ですが。)
つまり、嫌いなあいつも、憧れのあの人も、宇宙の果ての知らない生物までも、
自分自身なのであり、また、自分も大いなるものの一部なのですね Σ(・口・)
自分自身なのであり、また、自分も大いなるものの一部なのですね Σ(・口・)
なので、いがみ合うことや、おとしめ合うことは、非常にばかばかしい行為・
ということになります。
なぜなら、
誰かを蹴落とすことは、自分(の一部)を蹴落としていることになるわけですから。
ということになります。
なぜなら、
誰かを蹴落とすことは、自分(の一部)を蹴落としていることになるわけですから。
為政者がその権力を独占し続けるためには、『みんなどうせ同じなんだから』
という思想は邪魔だったわけですね。上下をはっきりつけ、
権力とそれに従うものという構図を作らなければならない。
↓
であるからして、古来の思想は地上から消す! みたいな感じですね。
という思想は邪魔だったわけですね。上下をはっきりつけ、
権力とそれに従うものという構図を作らなければならない。
↓
であるからして、古来の思想は地上から消す! みたいな感じですね。
今回も長くなったから読んでもらえなくなっちゃうでしょうな~(汗)
でも一応、これも作品の解説なのでした(;^_^A)
でも一応、これも作品の解説なのでした(;^_^A)