オリガミ ヲ キリガミ オカルティー(総合)

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自己中世代を生んだ「自分らしさ」の功罪~

 
 

年々目に付くことが増加していっている
「大衆の中での自己中行動・その自覚の無さ」について、
自分も含めて、どうしてこうなるのか?という悩みがあったわけですが、

永井路子氏の『氷輪』を読んでいる中で、
そのヒントを発見した!
 
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というのが前回の記事の内容です。
 
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それは、
『一人一人の個人的自覚と自己規制はもちろん根底に必要だが、
一方では常に全体の中の個人がどうあるべきなのかを考えねばならない。』
という一文です。
 

僧の集団を平和に維持する為の理念として本文には出てきますが、
これは、いつの時代のどの集団にもあてはめることが出来そうです。
 

『全体の中の個人がどうあるべきなのかを考える』

これだ…この感覚が大事なんだ・・・
Σ(・口・!)
 
 

自分の世代に限って・で、言いますと、
ちょうど大人になっていく大事な過程の時期で、
世間では『個性』がやたらと叫ばれていました。
 

「日本人には個性が無い。それは、集団ばかり意識しているからだ。
それでは世界に通用しない。」
とか、
「今の若者には自分というものが無い。これからの企業に求められるのは云々…」
などと、
協調性を尊ぶあまり、突き抜けようとしない日本人の特性を、
だから世界基準になれない・などとやたらと批判する風潮が横行しており、
オンリーワンになろうと、若者たちは無理に自分の中から個性を見出そうとしていた…
ように思います。
 
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協調することより、「自分らしくあることがカッコイイ」という風潮に
多少なりとも踊らされていたような…?
(社会に迎合することがかっこ悪い・みたいな。)

しかし、この『自分らしく』っていうのが、
今おもえばかん違い世代を作り出す功罪になっていたのではないか?と。
 
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だって、
この世に全くおんなじ人間なんて居るわけ無いんですから、
無理に何者かにならなくたって『オンリーワン』ですよ。
今ならそんなことぐらい分かるのですが、
まだ経験も見識も浅い成長期の子どもに、
大人の作り出したその辺のトリックに気づけっていうのは少々無理が・・・
 

当時、
うっすら批判の対象であった『協調性』を学べないまま、
まだ『自分』というものが固まっていない段階で、
手探りして無理に個性を探しだす。
それが大量の『かん違いさん』を生産し、
後に
 『周り全く見えない自己中行動さん』をうみだすに至った・・・
 
 
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というふうに、
いま私は学生時代であった当時の風潮を思い出したのでした。
そんなこと、ほんっとうにずっと忘れてたわ(汗)

上記の『かん違いさん』というのは、
自分勝手に振舞ったり、協調性をわざと拒否したような行動をとって、
それを個性だ!などと思い違いしちゃう人ね。
 
 
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当時、新しいライフスタイルとしてメディアが『フリーター』を頻繁に取り上げていたものです。
世間を知らない子どもな私も、フリーターの生き方に憧れたもんです。
で、
みごと、(意図せずして)フリーターに成り下がり、その次に流行ったニートに、
気付けばなっていたのでした(笑)
 
 

『個性』を尊ばれた我々世代の、しかし、いざ、就職する頃になったとき、
世間はすでにバブルもはじけきって、就職氷河期が来ていました。

そう、個性をカッコイイとしていた頃は、
いま思えばバブル真っ只中だったのですね…(あじわってない~)
 

氷河期の厳しい社会において求められる人材は、協調性に戻っていました。
ひよっこのくせに自我の強い我々世代は、結局、会社になじめず(好かれず?)
すぐに会社をやめる人が続出・してました。
『いまの若者はガマンが無い。雇ってもすぐに辞めて行く。』
という声をメディアが頻繁に取り上げるのを、苦々しく見つめていたあの頃(笑)
 
 
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20代前半のときに、中学生当時のクラスの同窓会に出席しましたが、
半分以上の人がフリーターになってました。
百点取らさない為のテストを作るのに教師が四苦八苦していたほどレベルが高かったはずの、
あの学校、あの世代・・・
(あ、私は特別馬鹿でした。本気でやった漢字テストも0点。)
京大とか出て、フリーターって・あんた…
 

ちょうどその頃、
会社が嫌で結婚に逃げる人も続出(してたとおもう。)
そして、そのぐらいの同世代がいま、まさに子連れファミリー…
(モテない私からすれば、結婚に逃げられた人というのも凄いなっておもうけど(笑))
 
 
 
 
その辺のことを、
氷輪『全体の中の個人がどうあるべきなのかを考える』
という一文で、
どーーーーーーーっと想い出したのでした。

そうだ・これが抜け落ちてたんだ・・・(〇o〇;)と
 
 
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我々の親の世代でもすでに 『大衆の中での自分を意識する』ということを
子どもに教えられなくなっていたような、そんな感じがあります。
世間体はものすごく気にするのに、
『大衆と、自分という個人』という関係をちゃんと教えられない・・・。
 
で、
そこに、
『個性』を高らかにうたう教師や大人たちがワ~~~~ッと。
 
 
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『個性』・・・それも大事だけど、
まずはその前に『全体の中の個人』を考えられるようになることが大事でした。
 
 
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【自身が何かをする】・という前に、
その行動によって周りの人にどういう影響があるのか?
という想像力を働かせることの出来る、『周囲へのおもいやり』の心を
まずは子どもたちに育ませたいものです。
(あなたが今○○したことで、周りに居るたくさんの人がどう感じるとおもう?
という問いですね。)
 
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いつも、自分の立ち位置を誤解なく判断できる子に育てば、
『自分探し』の必要もなくなりそうです(;^□^)
 
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子育て中・孫育て中・これから子を持つ予定の皆さん、
その子を私のような人生にしないよう、
大衆の中で自己中発揮の残念な大人にしないよう、
まずは
『全体の中の個人がどうあるべきなのか』をよく理解できるまで
諭してあげて下さい(;´д`)
私も子を持ったときはそうしようと思ってます(妄想の範囲)
 
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長くなってすみません(><)

でも、
もう1つ『氷輪』から学んだことがあるのです!

それは、
Win-Win(ウィン・ウィン)』の関係、それを構築するには?
という、社会の難題を実現させる、ひとつのヒントであります。

何かを為すときに、両方とも勝者になる考え方・理念です。
 

またそれを、次にUPできるといいな・と。
(そっちが本命!)