オリガミ ヲ キリガミ オカルティー(総合)

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どうすればWin-Winにできるのか in 『氷輪』①

 
Win-Win(ウィン・ウィン) とは?
「自分も勝ち、相手も勝つ」
取引などにおいて、関係する両者ともにメリットのある状態であること。
はてなキーワードより。)
 
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Win-Win …そんなことって、そうそう出来ますかね?
人にはそれぞれに考えや言い分があり、それは人の数だけあり、
互いの欲するところに食い違いがあるのは当然
どこかでどちらかが折れないと、議論は永遠に解決をみないのでは?
 

意見のあわない人と組んで、すり合わせすることは大変です。
ましてや、それが集団と集団であればなお・・・


と、私はそう考えていました。
 
 

では、どうすれば Win-Win を実現することが出来るのか?
長年のこの悩みにヒントを与えてくれたのが、
永井路子氏著作『氷凛』
中のワンシーンです。
 

自分たちの理念を理解し、取り入れて欲しいと願う僧団と、
利権の喪失を恐れ、それに反発する僧団との、
とてもクリアーな Win-Win の実現シーンです。
 

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まずは、内容を振り返ります。

”「氷凛」を読むも、難しくて倒れそう”の記事でさわりだけ紹介いたしましたが↓
 

仏教界ではもはや常識であった 『授戒』の制度
それを未だ持たない日本の為に、
請われてやってきた鑑真(がんじん)と唐僧たち
 
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授戒(じゅかい)というのは、7人の上僧立会いのもと行われ、
彼らに認められた者が『僧』として認められる
・というシステムで、
日本には受戒を行える僧が、当時はまだ存在していなかったのです。
 

唐から鑑真一行が日本に到着したとき、日本の僧たちはこれをおおいに歓迎した。
 
しかし、いざ、
『日本の僧たちにも授戒を与えなければ』
という話になると、
とたんに
『どの範囲の僧にまでそれを適用するんだ?まさか、改めて高位の僧まで
それを受けねばならないんじゃないだろうな?』
という議論が、日本側の僧たちから沸きあがった
(´~`;)

 
*★*―――――*★*―――――*★*―――――*★*―――――*★*
 

唐から来た僧たちの考える『僧とはいかにあるべきか』と、
日本で独自に発達をみせた(?)仏教界というものとは
だいぶの誤差がすでに生じており、

 
唐僧
”僧の集団を平和裏に維持すること”を理念に同志的結束が根本であるのに対し、
日本では
仏教は、国家権力の保護と育成のもとに成り立っていた。
 

当時の日本の僧
国家が資格を認めて、税を免じ、生活費を支給していたそうで、
いわば公務員のような(国立大学の教授に近い)存在だったそうです。
 
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そこへ唐僧がやってきて、授戒を受けよというもんだから、
日本の僧たち
 『資格を取り消されてしまっては大変!』 と、危機感を感じ、
反発し始めた・といわけです。(食いっぱぐれる心配ね)

著者は、
『国立大学の教授が、外来の学者の前でもう一度試験しなければ
教授の資格を剥奪される、と申し渡されたとしたら』
と、日本僧の心境を上手く表現されています
(;^□^)
 
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僧団の輪と戒律を重んじ、(上僧であろうとも)僧とは何かを再確認する必要がある
と考えているに対し、
『我々を僧として認めないというのか!(食いっぱぐれてたまるか)
という日本の僧の反発。
 

ついに、彼らは
興福寺にて”公式の議論”をおこなうという事態に至った
ゞ(`□´ )
 

*★*―――――*★*―――――*★*―――――*★*―――――*★*
 

唐僧たちは、思託(したく)という中長老格の僧を中心に、興福寺にやってきた。
鑑真渡日に、最初から付き従っていた僧は彼一人であり、
鑑真の〈日本に授戒を伝える〉情熱の理解者であったろう
と著者はおっしゃっています。
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一方、日本側の僧ですが、
その中に彼ら唐僧を出迎え、歓迎した賢璟(けんよう)も入っていた…
(あの時歓迎してくれたのに?って感じ)
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*★*―――――*★*―――――*★*―――――*★*―――――*★*
 

両者は通訳を介して論争を始めた。
 

日本側賢璟(けんよう)がうったえかけた。
我々があなたたち唐僧を出迎えた日、一緒に行道(ぎょうどう)をしたではないか・と。
その作法が寸分も違わぬものであったことをあげ、
それでも我らを僧とは認めないのか・と。
 
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僧は、毎日決まった時刻に行道というものを行うそうで、
唐僧たちは、河内入りした当日も時刻に従って行道を行った。
その時、迎えに行った
賢璟一行
も、了解を得て
供に行道を行っていたのだった。
 

しかし、賢璟のうったえに思託はこう答える。
作法は心得ねばならないが、それだけが全てではない・と・・・
 

恐ろしく汚い字ですが、その辺りを漫画っぽく仕立てました↓
(少々セリフを省略してます)
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(当時の装束、思託や賢璟の容貌は、私個人の想像です。)
 

賢璟(けんよう)はなおも食らいつく。
「すれば、僧の資格は」
「授けられた戒を保つことです」
「それならば私どもはかなり厳しく戒を守っております」
「その戒は誰から授けられましたか」
「誰からというものではありません」

適当な師が居ない時は、自誓すれば比丘(僧)になれる
という内容の本のことを持ち出す賢璟
しかし、
思託もその本のことは知っていた。
その上で、
それが偽経・邪道とされる
疑いについて論理的に説き伏せる
 

「・・・・・・。」
賢璟は沈黙せざるを得なくなった。
(内心はたぶん怒りでブルブルしてる。)
 
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さて、
互いの思惑がぶつかってしまい、プライド失職の不安もからんで
和合・解決の見えてこないこの状況
 

あなたならが思託(唐僧側)なら、
ここでどうしますか?
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まぁ、私なら、
『バーロイ、僧のくせに自分の身のことばっか考えて情けない奴だ!
お前らみんな僧じゃねぇよ・帰りやがれボケ!』
というニュアンスで(笑)キレて追い返しておわり!
何も解決になりません。
ましてや、Win-Win ではありません。
 

こんな難儀な状況で、しかし、思託
自己防衛で躍起になっている賢璟無理なく説得

プライドを傷つけることも無く賢璟は気持ちを切り替えるに至る。
しかも、
後に「持戒の高僧」とたたえられ、
鑑真亡き後は
唐僧たちのために良き理解者、協力者となったのである・・・。
 
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思託
どのようにして Win-Win を実現したのでしょう?