オリガミ ヲ キリガミ オカルティー(総合)

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未来へどう進化すればいいのか☆第一歩②

 
 
 
 
私は切り紙を制作しています。
それしかできることがありません(´~`;)

それなのに、ここ数年
切り紙を制作するのに拒否感があり、苦痛です。
とくに、大きな作品を作るときが・・・
 

最初の頃はただただ楽しく、いろいろな切り紙を意欲的に制作していました。
「今度はあんなことをやってみよう」
という好奇心のみで製作していたといっても良いかも知れません。

ところが
本を出版させていただいた直後ぐらいから
制作に楽しい感じがなくなってきました。

もう、2冊目出版の後になると、
机に近づくのも嫌になっていました。

出版に伴う、避けようのない種々の制作ストレスにこりて
嫌になってしまったのかなぁ
・とか、
たくさん作りすぎて、切り紙に対して新鮮味を感じなくなったのかなぁ
・などと、いろいろ考察しました。

新作を作りたい思いと、
机に向かいたくない思い

ひとり・揺れ動いて、結果、動けない・というもどかしい日々・・・
(´~`;)

そのうち、自分にかなり鞭(むち)打たないと、
大きな作品には取り組めなくなっていました。
ときには、途中でやめてしまうことも。

『これしかできない』状態で、
それもできなくなっていく悲惨
↓↓↓
焦るほどに自分への失望感が自身をむしばみます。
 
イメージ 1
 

負の無限ループにはまりこんでしまい、うじうじの日々。

しかし、
けっきょく逃げ場がないので、
たまに重~い腰を上げて切り紙を制作するのでした。
 
 
先日も久々に、大きい切り紙作品を制作しました。
おもえば、今年はじめての大きい切り紙・でした。

下描き・切り作業・・・もくもくと切り紙に向き合う時間。
そういう作業にもなれてしまったのでしょうか?
作業に集中しようとするほど、
作業に関係ないことが次々と頭をかすめます

しかも、
なぜか想い出したくもないような、過去の嫌~なことばかり
次々と鮮やかによみがえってくるのです。
 

己のゆがんだ自己顕示欲(けんじよく)にかられて発した言葉で
ヒンシュクをかってしまった気まず~い時のことや、
仲良くしていた友達のお母さんに嫌われていたようで、
『あいつを家に入れるな』と言われていたことを知ったときのことや、
車にはねられて、何事もなく家に帰れたものの、
お前が死ぬのは勝手だがひいた相手が可哀相だと言い捨てられたこと
etc・・・
 

人間、生きていれば傷つくようなことはいくらでもやって来る。
理不尽なめにもいっぱいあう。
苦しくてもがくと、自分の何かがゆがんで
そこからまた不具合が生じる。

だれにでも、そういう
想い出すだけで胸の悪くなるような、
あるいは、
恥ずかしくて赤面してしまうようなことがいくつもある。
そういうものですよね。
 

それにしても、どういうわけか
集中を要する切り紙作業の時に限って、
それらがわ~っと押し寄せてくるのです

あぁそうか、そういえばこれも、
机に向かいたくなった要因のひとつだったな・と
気付いたのはいつ頃だったでしょう。
 
 
過去の嫌だったことや、
自分の嫌な部分が起こしてしまったあれこれ。
そういうものには日ごろ、フタをするクセがあるように思います。
見ないように、考えないようにしているのです。
なのに、
切り紙作業をしていると、
ど~~~~っと出てくる(笑)。

これでもか・これでもか~~~~!って。

で、
そういうのがムクムク出てきて嫌~な気分になった時、
全然違うことを考えてごまかすのです。
でも、
それより強い力で嫌なことが想い出される
(´~`;)

これじゃ作業にならん!
と、
音楽やラジオをつけてごまかそうとします。
が、
そんなものおかまいなしに
負の想い出は押し寄せてきます
(;´д`) ゲンナリ
 

ついに
あ~~~もう、クサクサする!
と、
作業を投げ出して、コーヒーを飲みにキッチンに向かう。
落ち着いたところでもう一度机に向かおうとしても
気分が上がらず、その日は終了~
 
イメージ 2
 
 
それにしてもどうして、
切り紙をしている時に限ってそうなってしまうのでしょう?
似たような作業では、
私はビーズなどもやりますが
ビーズでは集中していても嫌な想い出は出て来ません。
不思議です。
 
そうはいっても、
いつまでも切り紙を避けているわけにはいきません。

嫌な思い出 ⇒ ごまかす
嫌な思い出 ⇒ またごまかす

といった感じに、なんとか切り紙を進めます。
 

しかし、
今回の切り紙作業では制作時間を要したこともあり、
わきあがる嫌な想い出に対抗することに
ほとほと疲れてしまいました
バカみたいなことですが、
自分の気持ちをごまかすのにエネルギーを要するのです
↓↓↓
 

んで、
もう対抗に疲れちゃって、逃げることをあきらめ、
想い出されることが恥ずかしいことであっても、
「ああそうだね・あんな馬鹿なことを言って、
周りの人もドン引きしたね。」
と・・・。
つまり、自分はそういう言動をしてしまうところがある。
愚かな動きもしちゃいますよ・ハイ。と。

深い反省とかじゃないけど、
まぁそれが等身大の自分で、ただ、そうなのだ・と
観念して認めた・というわけです。
 

理不尽な傷つけられ方をした・と感じた嫌な想い出も、
大人も子どもであり、だれかれにと人格者を求めるのも
いかがなものかとも思うし、
そう言わしめるようなかわいくない部分が
自分にもあるのだろう・しょうがないなと。
つまり傷ついてフタをしていても、それはなくならないわけで。
とりあえず受け留めて納得
 
イメージ 3
 
 
そんな感じで、
自分の中にわだかまっていたらしい未消化の過去を
ひとつひとつ、消化
というか、昇華

そうしているうちに、
もうあまり嫌なものが思い浮かんで来なくなりました。
いくらか消化したから、もうだいぶ減ったのかも。

そして、
もう、そういうものが浮かんで来ても、
逃げようという気も、なぜか無くなってきたことを感じます。
受け容れて認めたほうが楽な作業だと
自分でも分かったからかも知れません。
 
 
こんなこと、とっくに知っていて
ちゃんとその度ごとに消化している人も
たくさん居られるでしょうけれど、
私みたいな未熟な人格の者には
『そうだったのか…』
という、
何だかとても大きな発見だったのでした。
(まだ発見の段階で、過渡期ですが。)
 

これが出来ていないまま親になったり、
責任ある立場になっていたら、
きっと今頃ヤバイことになっていた気がします・・・。
自分にもちゃんと向き合わない人間が
誰かを導くことなんて出来ましょうか。
ある意味、
私は誰にも何にも影響力のない立場で良かったのです(笑)
 
 

もし、
『まだ私は自分自身に向き合えていない・受け容れられていない』
というかたが居られましたら、
この私の恥ずかしいエピソードを見て勇気を持ってください(笑)
 
 
 
ところで、
なぜ、切り紙作業をしている時に限って
『等身大の自分を認める』、『自分を受け容れる』
ことを
強要(笑)されたのか?
想うところがあったので、持論を展開させてください。
 
 
 
未来へどう進化すればいいのか☆第一歩③につづく⇒
長くてごめんね~
 
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