オリガミ ヲ キリガミ オカルティー(総合)

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必要以上の謝罪や反省を求めるその心には②

 
 
 
しかし、同時に
きのうネットニュースの「親が悪い」コメントに
『そうおもう』をクリックする
卑怯な自分を重ねずにはいられないのでした。
 

そう、
私は本心では分かっていたはずなのです。
事故は偶発的に起こってしまったものであり、
親がわざと起こしたものではない、
注意が足らないといくら言われようと、
事後、いくら猛省しようとも、
親だってもうどうにもならないのだということを。
 

私が自転車のカゴのぬれに気付いたとき、
家に戻って本をビニールに包んで出直してくるのが
正解
だったのでしょうけれど、
バッグがナイロンだからとか、
いつも大丈夫だからとかで、
問題ないとおもった。
しかし、
それらの甘い判断を超えて、
水滴はバッグをどんどんすり抜け、
本をぬらしてたわませた。
100%の注意ではなかった・のです。
 

事故になった親御さんたちも、
100%の注意じゃなかったじゃないか!
と責められていたわけですが、
いやいや、現実問題、
忙しい2児の親御さんが、
いつもはいろいろ気をつけていたとしても、
全ての瞬間、ず~っと、100%の注意
子ども二人を見続けるなんて不可能でしょう。
家以外では目と手を離したことがないという
立派な親御さんの書き込みなどもコメント欄にありましたが、
たいていの人はなかなかそこまで
ずっと立派な判断をし続けられるわけではないのです。
本をぬらした私は、確実に後者です…
 
 
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故意でないことに対して、どんなに反省を求めようとも、
どうにもならないのです。
失われた命が戻ってこない事実には変わりない。

ましてや我々傍観者
起こってしまった事故に対して、原因を作ったお前が悪い!
と、いくら誰をなじろうとも(犯人にしようとも)、
そこにそれほど意味は無いとおもうのです。

傍観者の立場として出来ることというのは、
どんな油断(判断)がどんな事故につながるのかを
そこから学ばせていただいて、心に留めておくこと
そして、
自分の身に近いことが起こりそうになったとき、
ここでこういう油断や判断をしてはならないな・
自分の行動をいましめる
そのことで一人でも多く、
同じ悲しい事故が防がれたのなら、
それが亡くなった方への
一番のご供養になるのだと、そう思います。
 
 
↑それを分かっているのに
その人を責めたって傷つけるだけでどうにもならないのに、
ネットという匿名性を良いことに
親を叩く不毛なコメントに『そうおもう』をクリックする
自分の醜さよ(遠い目…)

中村氏のいう、
安全な所から間違ってしまった人を批判する卑怯者
それは自分にもしっかり該当するのでした・・・。
 
 
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私はおもう。
あのしつこく反省を求めた図書館員さんは、
たぶん、幸せじゃないのだろうな・と。
人生の何かが、どこか不本意なのではないかと
逆に、
いま幸せいっぱい・人生キラキラ:*:・゚☆ 状態の人なら、
必要以上に誰かをおとしめたい(うっぷん晴らししたい)
とも、そもそも思わないでしょう。

という観点から考えると、
不毛な『そうおもう』クリックをする私も、がっつり
人生不本意な奴なんですね
(゜Д゜)ハッ

『そうおもう』クリックのカウント数、
すごい数だったな…
もしかして、自覚無い人も含めて
人生なんだか不本意な人すごく多い in Japan ?
 
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帰り、
『バッグがぬれてるから今日は本を借りて帰れないな~』
と思っていたのですが、
バッグの中をさわってみると、キレイに乾いてました
そもそも、
自転車カゴの水滴ぐらいであんなに本がぬれる
ということ事態、信じられない感じでした。

・・・・・。

私が昨夜、卑怯な『そうおもう』クリックをしていなければ、
本はぬれなかったんだろうな~
と、
何だかそう思えました。
そして、
あの図書館員さんの態度に腹をたてるような事態も
おこらなかったんだろうな・・・と。
 

安全に誰かを叩こうとした私のさもしさが、
同じように安全に誰かを叩きたい人をひきよせ、
自分と同類の性質をもってして対応されるハメになった。
そして、
自分自身の行為(心)を省みるハメになった・・・
という、わかりやすい因果応報 (´д`|||)
 
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でも、
鈍い私でも分かりやすく報いを受けらて、
良かったなぁ
と、安堵・納得しています。
↑これ、
ここで気付かなかったら、また次の因果応報
廻って来たんじゃないでしょうか。
(分かるまで学ばせてあげます!みたいな。)
 

たとえ誰も見ていなかろうが、知られなかろうが、
自分の悪意や醜さを発動させたその罪は

ちゃ~んと同じ悪意や醜さをもってして
還されるのですね~~~。
昔の人は知っていた、因果応報というもの。
たしかに・ありました~(´д`|||)
 
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何かが起こったそのとき、
そこから自分の罪を省みられなかった場合
また違ったかたちで
残念なことが廻ってくる
んだと思います。
自分自身をごまかさず、向き合うまで、ずっと。
(人のせいにするとかも、自分に向き合いたくない行動)
 
 
自分の醜い部分を認めるのは、
嫌なもんですよね~。
目をそらしていたい・死ぬまで!
と、ついそういうスタンスになってしまいます。
あぁ、でも、
認めてしまえば、その瞬間は不快でも、
終わってしまえば想いのほかスッキリして、
むしろ見まい・認めまいと必死に目をそらしていた
自分のほうが可哀相
に見えてくるんだから
不思議なもんです。
 

正直・自分の悪い部分を自覚して認めても、
すぐには性格や考えを改められないんですけど(笑)
また同じ事を何度も繰り返しちゃいもするんですけど、
でも、
『自覚する』『認める』
それは小さな、
そして、大きな第一歩
泡のようにもろい、刹那的な幸せ感とはちがう、
本物の幸せは、たぶんその先にある・・・
 
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幸せな人は意地悪しない。

幸せな人が増えていくと、

意地悪な人も減っていく。

意地悪な人に出くわすことが減れば、

不安やストレスもグッと減る。

人間関係が信頼や喜び中心になる。
 
 
そんな世界に私は住みたい!
(´□`。)°゜。
 
 

なので、
ちょっと勿体無いけど(笑)
徐々に意地悪を卒業していけるようにしたいと思います
たぶん、
そんなに難しいことじゃないんですよね?
頭で怖がっているほど。
『幸せな人は知っている・
幸せになることは案外簡単であることを!』
みたいな(;^□^)
 
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図書館から帰るとき、
改めてカウンターへ寄った。
あの件(くだん)の図書館員さんは居なかったけれど、
チャチャっと本をふいて処理してくれた方が居られて、
近日、また来ますので、その時にぬれた本がどうなったか
知らせてください。ダメでしたら弁償しますので。
と話しかけたら、
「は?あぁー(そんなこともう忘れている様子)
大丈夫ですよたぶん。」
と、あっさり・・・
 

そ・そんなものだった・・・と?
あんなに狼狽したのに・・・Σ(・口・!)
(笑)
 
 
 
結局、『賠償だった場合』の連絡は今のところなし。
あのあと、
件の図書館員さんが上手に雑誌をプレスしてくれたのかな?
だったら、ありがとう(笑)
クサクサしながら本をプレスしている様子が
思い浮かぶようです(;^□^)
もし、
あなたも私に出くわしたことで、思うところがあって、
「ちょっとしつこくしすぎたのかな?」
「なんで私はそうしたんだろう?」
と、
自身を振り返り、見つめるきっかけにしてくれたら
私も本望です。
( ^_^)
 
 
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自分自身を見つめ、
等身大の自分を認める。
そして、
『今』を冷静に受け容れる。
それは、
自分を許すことじゃないかな・・・
何からって?
それはあらゆる不安でからまる自分自身から。