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マイナー?京都観光 大豊神社 ①

 7月にシリーズ化していました『京都マイナー観光』一連のシリーズが、
 
 
で止まってしまっていました。
 
今さらこのネタ・・・とも思いましたが、
次の大豊神社(おおとよじんじゃ)というのが
なかなかに素朴で、興味深くて、
やっぱりUPしておきたいなと。
 
 
とくに神社へ続く参道が良い感じで、
(あいかわらずガクガクとブレた動画ですが、)
この素敵な雰囲気を味わっていただきたくて
参道 ⇒ 境内 ⇒ 本殿
を歩きながら撮りました。
 
よろしければ気分だけでも観光してみてください
 
A Shinto shrine of Japan. Otoyo shrine in Kyoto. 大豊神社
 
 
英語でごちゃごちゃと書いてあるのは、
「参道」というのは「産道」の意味もありまして、
私たちは参道から境内に抜けることで産まれなおします。
みたいな説明を、
翻訳機にかけた、いい加減な英文で書き込んであるだけです。
 
日本人にはたいした解説ではありません(笑)
 
 
大豊神社は、
梅雨時期の京都の観光名所として有名な
哲学の道の、南端の方にあります。
 
動画では省略していますが、
石橋よりももっと手前から大豊神社の参道が続いていまして、
その道中にレンタル着物のお店もあります。
哲学の道を着物姿でしっぽりと歩けるのですね。
 
このレンタル着物屋さん、けっこう有名みたいで、
店を訪れた有名人の写真がたくさん張り出されていました。
 
これは、
若きころのブラックマヨネーズさんですね↓
イメージ 2
 
まだ細い・・・(笑)
 
その横に、非常に美しい女性の写真がありましたが、
昔の有名な女優さんなのでしょうか?
イメージ 3
 
このような女性がお着物でしっぽりと
哲学の道を歩いていたら、
さぞや素敵な光景でありましょう・・・
 
 
哲学の道から入るときは、
この石橋を目印に東へと入っていってください。
イメージ 1
 
 
緑に囲まれた参道へ入っていきます。
イメージ 4
 
 
 
私はこの参道がとっても気に入りました。
イメージ 5
 
鳥居をくぐり、広い境内が視界に広がったとき、
ほんとうに『参道』は『産道』なんだなと感じられました。
私たちは生まれなおした無垢な心で
神社の神さまにお会いするのですね。しみじみ。
 
 
境内の奥にはさらに階段がありまして、
ご覧のとおり、
非常にワイルド。
イメージ 6
 
この緑あふれる空間に、なぜか心地よい感動を覚えました。
 
よく見ていただければ分かると思うのですが、
野放しの草ボウボウではないのです。
自然な木々のはぶりを活かしながら、
それなりに綺麗に清掃してあるのです。
 
こういう「自然との共生」感が、
本来あるべき神社の姿ではなかっただろうかと、
ハッとしたのでした。
 
 
階段を上がると、
木造づくりの素朴なご本殿が。
イメージ 7
 
 
 
大豊神社の御祭神は、
少彦名命(すくなひこなのみこと)
応神天皇(おうじんてんのう)
菅原道真(すがわらのみちざね)
の3柱です。
 
少彦名命 ⇒ 日本神話の大国主の時代
応神天皇古墳時代(日本神話では人間の時代)
 
という、時代がバラバラな御祭神です(;^□^)
 
 
ご本殿に着いたとき、
運よくこの神社の神主さんと思われる方がいらして、
私がいつの間にか落としていたマスクを拾って
声をかけてくださいました。
 
おかげさまで、
この大豊神社のことをいろいろと聞かせていただけました。
 
まず、
「御祭神は応神天皇なんですね」
古墳時代のことぐらいしか知らない私は改めて聞いてみました。
 
すると、宮司さんの言葉がすごかった・・・
イメージ 8
 
「ああ、そうです。昔の天皇は偉かった。
今のは大したことないけど。」
 
ぇええええええええ~~~~~~~!!!!!
な・なんですと?!
Σ(゚д゚ ;)
 
神道のトップである天皇陛下のことを、
こんな歴史のある神社の宮司さんが…何ということを!!
心の中ではかなり驚愕しましたが、
年代的に
反日的左翼教育バリバリの時代の方とお見受けしました…。で、
『そうか・・・宮司さんまでそんな考えに染まって・・・』
と、落胆を覚えましたが、
とりあえず
「大したことないことないですよ。
外交だとか、すごく大変なお仕事をされているし・・・」
と、
ちょっと天皇家をかばって(?)みましたが、
「外交だけね。そんなん大したことあらへん」
と・・・おっしゃる。
(゚д゚|||)ななななんと・・・
 
 
まぁ、それはそれとして(汗)
 
宮司さんの説明はいつの間にか少彦名命(すくなひこなのみこと)
のことに移り変わっていたようで、
「昔、日本と大陸はくっついてたんやけど、
この神が綱で引っぱって、
今の日本の形が出来たっていう神話があって・・・」
 
ああそうだ。
島根県の出雲に行ったとき、
どこかの神社の由緒にもそんなことが書いてあったなぁと。
 
イメージ 9
改めて調べてみますと、
こういう神話を総称して(?)
国引き神話というらしくて、
 
「綱をかけ海のむこうから土地を引き寄せ
縫い合わせた国土生成の話」
 
なんだそうです。
 
 
何で大陸とくっついていたのを、
綱で引っぱったら〈列島が大陸から分離〉
というかたちになるんだ?
 
と、
私はずっとこの神話に違和感を感じていたのですが、
よく考えたら、
 
こういう図をイメージするから混乱していたのであって↓
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たぶん神話は
このように綱を引いたと言っている訳ですね?
イメージ 11
 
(たぶんですけど。)
 
 
しかしこれ↑では、
神様が海の中に入って引っぱったことになりません?
しかも、
縫い合わせたらまた元に戻ってまいません?
 
それも何かおかしいんだよな~・・・
 
 
と、
宮司さんの前でまたもモヤ~~ッとしていたとき、
ハッと「あの」新説の日本列島創生説を想い出したのです。
 
以前もブログにこの説のことを
で語りましたが、
 
トンデモ界の雄、飛鳥昭雄先生が
アメリカの地質学者から聞いた話によると、
弥生時代末期まで、日本列島
東と西が分かれている別々の列島であった。
その2つが弥生末期の激しい地質異変で大きく動き、
2つがぶつかるかたちで合体し、
今の日本列島のかたちになった。
と。
 
 
大豊神社の前で、
「一人”そうだったのか”状態」で内心ハッとしている
自分が居ました(笑)
 
 
そうだよ!
これなら「綱を引いて土地を引き寄せ、縫い合わせた」
国引き神話そのものじゃないか!と↓
イメージ 12
 
 
もしかして、国引き神話というのは、
弥生時代末期の日本人がかつて経験した
この出来事を、
「神さまが引っぱって縫い付けた」
という神話にして語り伝えていたのでは?
 
そして、それを現代の私たちは
「日本列島は昔から今の位置にあって、
朝鮮半島中国東北部と繋がっていたのだ」
という刷り込みから思考が抜け切らず、
???状態になっていたのではないか?
 
 
・・・などと、
ひとりで想いをはせていたのでした。
 
 
 
ちなみに、
これ↓今月の14日に載っていた新聞記事ですが、
イメージ 13
 
 
弥生時代古墳時代の墳墓から出土したガラス玉の成分をしらべ、
海外のどこのガラスと同じ成分かを調べることで、
同時代のガラスがどのようなルートから来たのかを考察する、
という興味深い研究の記事でして、
で、
結果的に、
佐賀県弥生時代後期の墳墓から発見されたガラス玉と
成分・構成がほぼ一致したのが
ベトナムハノイ所蔵のガラス玉」
ということでした。
 
イメージ 14
弥生時代末期まで日本列島は2つに別れていた〉説では、
2つの島は今よりずっと南の海にあり
それは今の台湾やフィリピン沖のあたりだったと。
 
西日本にいたっては、
中国福建省辺りにくっついていたこともあるとかで、
弥生時代のコメの遺伝子を調べたら
中国東南部の稲の遺伝子と一致したという不思議な調査結果に
妙に納得を覚えたものです。
 
この説で説明すれば、
新聞記事のベトナムハノイと成分の一致した〉ガラスにも
すご~く納得しちゃうのです。
 
 
イメージ 15
 
 
いつまでも『正史』として
「日本に稲作や文化など、全ては中国大陸 ⇒ 朝鮮半島
のルートで日本に入ってきたのだ」
という教育を覆せないのは何故でしょうねぇ~~?(笑)
 
これは私だけの疑念ではありませんが、
もしかして日本の「教育」を担っている組織の中に
「日本の文化は全て中国が教え伝えてやったアル。」
「中国が父、朝鮮が兄で、日本は弟分。
我々が教えてやらなければお前たちは土人だったのだから、
日本は中国・朝鮮を敬わねばならない。
そうでなければならないニダ!」
という
自虐思想を日本人に教育し続けたい人
居たりするんじゃないですかね~~?(笑)
 
イメージ 16 
ま、
DNAや成分でみる歴史の伝播ルートが
これからどんどんハッキリしてくるので、
いろいろなことが見えてくるでしょう。
(もみ消されなければ良いんですが。)
 
未来が楽しみです。
 
  
話がずいぶんそれましたが、
大豊神社の宮司さんから聞いたお話に
他にもいろいろと興味深いものがありましたので、
②に続けたいとおもいます ⇒