御蔭祭 2015 動画と写真で②
『御蔭祭 2015 ①』のつづきです。
①では、御蔭祭・葵祭など、一連の祭祀の〈本当の意味〉を
オカルティーな方向でUPしましたが、
今回は普通に、動画と写真です。
御蔭神社での写真ですが、
じつは、
ここへ1時間早く到着したために、
「じゃあ、崇道神社をちょっと観てこよう」
と、
川向こうの神社を観に行ったのでした。
で、そこで宮司さんに
非常に有意義なお話を聞かせていただき、
貴重な発掘物まで見せてくださり・・・
もう御蔭神社で〈御蔭神社の儀〉が
始まっているのは分かっていたのですが、
なかなか御蔭神社へ向かえずですね、
で、
慌ててそちらへ向かったときは、
すでに3つの祭祀のうち2つが終わった後でした…
雨天ということもあり、
早めに引き上げている?出演者の方々もおられたのか、
まだ祭祀を残した状態で
山を降りていく方々とすれ違いました。
(地面がぬれていたので、裾をまくって歩く方も。)
(きっとこの装束を着ていた時代(鎌倉時代?)の人たちも、
雨天の日はこんなふうにして歩いたのかなと想像しました。)
(すごく寒そうです。ぬれた装束は冷たいでしょうね。)
(笑顔でポーズを決めてくださる出演者さん。)
(千年の昔もこんな光景だったんだろうかと想いをはせる。傘以外は。)
(『男前に撮ってや!』 傘は下鴨神社オリジナルなんですね。)
(しとしと、しとしと。
そういえば日本って雨音の擬音おおいですね。)
白い箱(棺)にうつった神様が神社を出て、
下鴨神社へ向かっていく様子を動画にまとめました。
今年は雨天のため、
ものすごい短縮バージョンの道のりになっていました。
どんな感じだったか、よろしければご覧下さい
↓
『御蔭祭 2015・神様の移動の様子 今年は超略式』
祭祀の後。
開かれたお社の扉が再び封印されます。
(動画にその様子がちょっと入っています。)
おわり~。
次の賀茂波爾神社(かもはにじんじゃ)に向かわれるのですね。
賀茂波爾神社の波爾(はに)というのは、
粘土質の土のことです。
(ハニワのハニも土のことです。)
この御蔭神社がある一帯から、賀茂波爾神社あたりまで、
昔は良い土が採れる産地だったそうです。
たくさんの器や瓦が作られ、
その産物は京の都へ届けられました。
平安京の頃の御所の瓦もここで作られたものだそうです。
(扉に葵・蔓の封が)
(神様に捧げられていたご馳走(神饌)。ご飯の形が個性的です。
右の麺はうどんかな?)
(素朴この上ない八瀬のバス停。山から水煙がもくもくと上がっていました。)
昼すぎ、賀茂波爾神社に到着しましたが、
毎年、神様をもてなすために行われる演舞が、
これまた雨のために中止・・・
ものすごくサクッと車で去っていかれる神様の様子は
上の動画にて・・・。
本当はこの後、
神様の魂が神馬にうつされ、
その神馬がとおりを練り歩く〈神馬行粧〉があるのですが、
(神様のやどった神馬)
今年はトラックに乗車された神様が
これまたサクッと通り過ぎられるにとどめられました・・・。
(例年の神馬行粧)
今年は例年の「中通」ではなく、
表の広い通りで行われるという話があり、
けっこう混乱している人が多かったように思います。
当日朝、わざわざ電話で問い合わせて、
表の通りであると聞いた人もいたのですが、
何の準備・警備も見当たらなかったので
中通のポリスボックスで聞いていました。
そのとき、
しゅーっと神様トラックが通ってゆかれました(笑)
けっきょく中通でを通ったんですね。
私は
神様トラックを追いかけ、
次に祭祀があるはずであろう河合神社へ行きましたが、
どうもその祭祀もショートカットで?
ちょくせつ下鴨神社へ向かわれたようでした。
ことしはなんという省略バージョンな御蔭祭なんでしょう
(×_×;)
そして、
下鴨神社のご本殿へ神様がお入りになると、
東遊(あずまあそび)という、
優雅な舞が神様のために舞われました。
その様子の写真と動画はこの次に ⇒