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雨すぎる…祇園祭・宵山②



太子山ちまきを売ってもらえず、
ぶらぶらと歩いているうちに船鉾(ふなぼこ)にたどり着きました。

鉾はレインコートを着ていて、姿が分かりませんでした…
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私はてっきり去年150年ぶりに復活したという
大船鉾かと思ってこちらの鉾町の方に話しかけてしまいました。
そうすると、
「うちは大船鉾とちがいます。うちは船鉾です。」と。

そう、去年から祇園祭
前祭・後祭に分かれていて、大船鉾はお隣の鉾町、
しかもまだ始まってない後祭の方なのでした。

しかし、
船鉾もなかなか興味深いです。

船鉾に乗せられるのは、
あの神功皇后(じんぐうこうごう)の人形です。
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古墳時代に興味の無い方は
神功皇后、誰?」
とお思いかもしれませんが、
昔は小学生がちゃんと教科書で習っていた歴史人物です。
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(尋常小学国史神功皇后のページ挿絵)

神功皇后(じんぐうこうごう)とは
古墳時代の大王、仲哀天皇の后で、
夫の死後、妊婦の身でありながら船で朝鮮出兵し、
新羅に勝って帰ってきたという、
伝説の、つおい女性人物です。
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朝鮮出兵から帰る途中の船で産気づき、
生まれないように石を腹に巻いて帰国したという
すごいエピソード満載です。
そして、その時生まれたのが
あの!応神天皇(おうじんてんのう)です!

といっても、古墳時代に興味の無い人には??でしょうか。
世界一大きい陵墓・仁徳天皇陵はご存知でしょうか?
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その仁徳天皇のお父さんが応神天皇
おばあさんが神功皇后です・・・

よろしければ、以前
宇治旅行で応神天皇と息子たちのエピソード
マンガのようなものを描いたので、
興味出そうでしたらご覧下さい↓


話はズレますが、
ちょうどこの間、借りた本が神功皇后のことに詳しく、
おどろくべきことに、
神話の世界のことだと思っていたアメノヒボコ系図がありまして、
その子孫だという歴史研究家の女性の本だったのです!

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アメノヒボコという人は、新羅の王子で、
倭国(日本)に逃げ帰った妻を追いかけ、国のことを弟に任せて
日本にやってきた人だとか・・・

ヒボコが近江にいたって住んでいることを
時の大王、垂仁天皇が聞きつけ、
天皇播磨国の宍粟村と淡路島の出浅村なら好きなように住んでよい」
ヒボコ「お許しくださるなら自分で気に入った所を与えてください」
というやりとりがあったとか。

この時代のやり取りが残っているのだとしたら、
本当にすごい。

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韓国ではなぜかこのエピソードを曲解している人が居るようで、
新羅の王子が日本に渡って最初の天皇になった。
だから、日本の天皇の祖先は朝鮮民族なのである。
と思っているそうですが、
いや、
もうヒボコが来日した時代、
とっくに倭国天皇は居ましたから(笑)

で、

なぜ神功皇后のはなしからアメノヒボコになったかというと、
この古事記系図を見てください↓
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オレンジの線がアメノヒボコ(天之日矛)。
その4世代したの子が、
天皇に不死の妙薬?かなんかを探してくるようたのまれ、
やっとトキジクノカクノコノミを見つけて帰ってきたとき、
もう天皇が亡くなっていた事を知って
陵墓の前で泣きながらついに死んでしまったという
タジマモリ(多遅麻毛理)です。緑の線。

今でも天皇の古墳の中にチョコンと
タジマモリの陵墓が存在しています
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そして、
そのタジマモリの弟の孫にあたるのが
赤い線のオキナガタラシヒメ(息長帯比賣)、
つまり神功皇后です。

つながったーーー♪

本の作者の方は、
いろいろな証拠を並べて
神功皇后が実在の人物であったことを証明しておられました。

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(古墳時代の船。船のハニワ)

船鉾の話に戻りますが、
船鉾神功皇后の時代の船を模して作られていると
鉾町の方が教えてくださりました。
レインコートで隠れて見えないのが本当に残念です・・・

そして、
船鉾は神功皇后出兵時、つまり行きの船で、
去年復活した大船鉾が
神功皇后の凱旋、つまり帰りの船なのだそうです。
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(古墳時代の船のハニワ)
150年ぶりに凱旋の船が復活したということなんですね。
何だかすごくおめでたいことですね。

そして鉾町の方は
「まあ、神功皇后は神話だから・・・
人と神の間ぐらいの時代だし。」
と、
当の鉾町の方がむしろ神功皇后の存在を
「まぁ神話のことだし」
といったようなさめた見方だったのでびっくり。
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(古墳時代の船のハニワ)

むしろ、
「私は神功皇后は実在の人物だと信じてます。」
と言ったら、
へぇえ~~?と言った顔をしておどろかれました(笑)
そんなものかも知れません(;^ω^)

めんどくさそうに話していたこの鉾町の兄さんが、
翌日、TVでインタビューに
めっちゃハイテンションで答えているのを見て笑いました

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浴衣姿の鉾町のおじさん。浴衣はかっぷくがいい人が似合いますね。


ところで、船鉾には神功皇后以外にも
3体の人形が乗せられるようです。
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左から、龍神、鹿島明神、住吉明神

ちなみに、神功皇后の産んだ応神は、
夫の仲哀が死んだ10ヵ月後に生まれています・・・。
あれ~、誰の子?
と人々は首をかしげますが、
なんと、
住吉大社神代記」というものが発見されたそうで、
そこには
「仲哀死後、棺のそばで
住吉の神と神功皇后のあいだに密事があった」
と書かれていたそうな (;゚д゚)
夫の棺のそばで浮気???
神功皇后、何もかもがすごいわ。
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それで、
船鉾にも住吉明神が乗ってるんですね~・・・
(ちなみに、住吉の神・とは
穴門直踐立という人物だと推理されたりしてるようです。)


なた話はそれますが、
この船鉾の人形の鹿島明神人形を
かがみながら覗き込んだ時、
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まるで生きている人間のように見えて、
ドキーーーッとしました。

関係ないですが、きょうだいに似ていて違う意味でもびっくりしました(笑)

全然関係ないですが、
きょうだいが昔、中国の田舎を歩き旅していた時のこと、
現地人に「お前は漢民族だろう。顔を見れば分かる」
と言われ、
「違う、おれは日本人だ」と何度も言うも、
「いや、絶対にお前の顔は漢民族だ!」と言われ、
そして漢民族はすごく珍しい」
と言われたそうな。
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漢民族って、世界で一番多いんじゃないの?
と、
そのエピソードを聞いたとき笑ってしまいましたが、
後に、古代の漢民族三国時代ぐらいに絶滅していて、
今の漢民族とは違う人種なのだと知ったのでした。
そして、
遺伝子研究がすすんでいくうちに
古代中国人の遺伝子は本土の中国には残っておらず、
日本人にその遺伝子がのこっていることが分かったという。
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確かに、
中国では戦に負けた民族は文化ごと根絶やしにされます。
しかし、
日本に渡ってきた(逃げてきた?)古代漢民族
日本の中で混じって生きのびました。

だから、
日本に古代漢民族の遺伝子が残っているというのは納得です。

ちなみに、父方の祖母は
古代、中国から日本に渡ってきた一族の末裔だったそうです。

漢民族はすごく珍しい」
そう言った現地の中国人の人は、
古代漢民族を知っている、まれな人だったのではないでしょうか?
(ほとんどの現代漢民族は、自分たちを古代漢民族の末裔だと思っているのです。)



さて、
時間をしっかりつぶして、
ちまきが再販売される6時になり、
太子山へと戻りました。

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子供たちが歌いながら売ってます。
なんとかちまきをゲットできてほっとしました。

岩戸山
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豪華なタピストリ
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屋根の裏も豪華。
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鶏鉾
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戦乱の長くなかった平和な時期に、
(戦争の出陣で使う?)太鼓に鶏が巣を作った
という古事に基づいてるとか書いてありました。
なるほど。


長刀鉾と浴衣女性たち。
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浴衣カップル、いいな。
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雨の日の祇園祭宵山でした。