京都・大原⑤三千院・山上から出口まで
『京都・大原④三千院・壮大にして静寂』のつづきです。
〈往生極楽院〉の前の庭から左奥につづく階段へ向かいました。
階段を上りきったところには神社が。
三千院は基本お寺だと思うのですが、
日本は幕末までは神社もお寺も一緒になっているものだったので、
そういう名残が今でもちょいちょい残ってるんですね。
幕末とか私はあまりよくわからないのですが、
この頃、日本国内に西洋人が入ってきたわけで、
その意図は内側からの侵略だったという見方もあるようです。
(弁財天さんでした。)
少なくとも、長い歴史、
神仏混合精神を持っていた日本人の価値観が突如、
お上からの一方的な通達で無理に分けられたわけです。
その意図は日本人の精神の破壊活動ではなかったかと
このごろ私は個人的に思うところがあります。
この時に、
古い時代から代々神仏・宮中に仕えてきた家系の人が
ザクザクとリストラにあっていて、
長い時代受け継がれていた何かが途切れてしまったように思われます。
何があったのかいろいろ出てくるんじゃないでしょうか。
山上へ続く美しい石階段。
空が、伸びやかに高い。
石階段を上りきったところに、ぱっと広い空間が。
〈金色不動堂〉という建物のようです。
中にも入って観られるようでしたが、信心がなさすぎるあまり、
何気なく視界に入った、さらに山上へと続く階段に
ふらふら~っと吸い込まれるように上って行ってしまったのでした。
あまりの無意識に、
その道程の写真も撮り忘れてました(笑)
山上には〈観音堂〉がありました。
ここで御朱印の受付がなされていましたが、
御朱印を印すこのお仕事の方は
毎日この山上までえっさえっさと登ってこられるのだなぁと
違う意味で感心していました。
観光として立ち入れる所はここまででしたが、
視界に入る限りの山々はきれいに整備されていました。
景観を守るということは、何という労働力のたまものでしょう。
敷地内には横道のようなところもありまして、
そちらへもちょっと足をのばしてみました。
山の上から川が流れていて、
広がる緑の空間の中、
朱色の橋が架かっているのが印象的でした。
橋を渡ったところには石仏が。
なるほど、ここへお参りするための橋だったのですね。
山を下る道すがら、このような粋な小さい建物があり、
お茶室だろうか?と、写真を撮っておきました。
(休憩所だったようです。)
メインの建物でなくても、その景観の整備にぬかりはありません。
このあたりで車いすの方々とすれ違いました。
気付きませんでしたが、階段の横にスロープが併設されています。
けっこう上のほうまで車いすで上がれるようですよ。
足の悪いおじいちゃん、おばあちゃんと家族旅行に来るのも
良いかも知れませんね(*^^*)
再び〈往生極楽院〉の前の庭の所まで折り返してきました。
やはり綺麗です。
時間が遅くなっていたこともあり、ひとけがなくなっていて、
よりしっとりした静寂感が増して見えました。
奥の門が、庭の出口だったようです。
門から出たところで振り返ってみる庭もまた、
小さなフレームに区切られた景色が絵画のようで
いい感じに見えました。
これは絶対、
ひと気のない時期・時間がおすすめですよ。
この風景の一瞬の独り占め、
その贅沢さは
三ツ星レストランの貸し切りよりもかけがいがないかも知れません。
庭を出たそこは、なんとなく田舎の城壁風?
空がとても青くて、
白い壁とのコントラストが爽快です。
いやぁ~お天気がいい日で本当に良かった。
出入り口の門が見えてきました。
その向こうに広がる、のんどりとしたお天気の日の山が
とてもとても穏やかです。
門から見下ろす風景が
なんだか明治時代にタイムスリップ気分です。
ビルやマンションが視界に無い景色なんて
本当に久しぶりでした。
さて、お次は
第一の目的である天皇陵へ。
ここに興味のある人はかなり少ないと思われますが(笑)
すごくラッキーなことがありましたのでUPしますね。