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京都・大原⑥天皇陵


『京都・大原⑤三千院・山上から出口まで』のつづきです。

今回の記事は大原の一般的観光地からは外れた
マニアック観光記事です(;^□^)

天皇(天皇のお墓)皇子・王のお墓を巡ります。

さて、いよいよ今回のメイントラベル、
天皇陵へ行くべ!
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と、三千院から天皇陵の方角へと歩いていき、
リュックのポケットにさしておいた地図を確認・・・と、
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なぬ?地図がない!

どうやら三千院観光中に落としてしまったようです。

もう三千院から出ちゃったし、
あの山をさかのぼって探そうという気概もありましぇん…

ま、とりあえず方向さえ間違ってなければ大丈夫だろうし、
メインの天皇陵にさえいければ
ちゃっちゃと帰ってしまってもいいのです。


と、
なんのことはない、
三千院を出たすぐの所天皇陵はありました(笑)
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メインの街道に観光地に紛れて門を開いています。
きっと何も知らない観光客が、
日に何千人もお寺かなにかと間違えて入り、
「え?何この空間?」と、意味が分からないまま退散する姿が
容易に想像できます(笑)


〈大原陵〉です。
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あの天皇陵の白い鳥居に向かうドキドキ感がたまりません(笑)
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わ~綺麗だ~! さすがは大原!景観のよい天皇陵です。
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さて、
こちらの陵墓に眠っておられる二人の天皇ですが、
後鳥羽天皇順徳天皇の親子であられます。


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平安時代末から鎌倉時代初期に在位しておられました。
武士の世になっちゃった頃ですね。
もう一度朝廷に権力を戻すべく倒幕を試み、承久の乱を起こすも敗北。
隠岐の島に配流された天皇です。


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息子の順徳天皇
も倒幕に失敗し佐渡へ配流となったのでした。
「還京の望みがない以上の存命は無益として、断食を行った後、
最期は自らの頭に焼石を乗せて亡くなったと伝えられる」
とのこと…自殺した天皇がおられたとは…


後鳥羽天皇順徳天皇おやこは共に配流先で崩御されましたが、
現地で火葬され、この大原陵に埋葬されたとのこと。

隠岐の島、佐渡島それぞれに火葬塚(天皇を火葬した跡地)があるので
それを天皇陵だと思っている人もおられるそうですが、
ご遺体が埋葬されているのは大原陵なのです


と、陵墓を管理する職員さんが教えてくださいました。
そう。急な旅行だったので、
私は何の基礎知識もなく天皇陵を訪ねていたのでした(笑)

(左・話しかけてきてくださった陵墓の職員さん)
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振り返ると美しい大原の景色。両天皇も眺めておられるでしょうか。


気さくな職員さんがいろいろと教えてくださいまして、
で、
この近辺にあるであろう皇子や王の陵墓の所在地
この機会に教えてもらいたくて聞きました。
なんせ、地図がなくなって場所が分からなくなったのです。

するとなんと、
職員さんが案内してくださるというではないですか!

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人生、塞翁が馬。
地図を無くしたピンチから
陵墓の職員さん直々の案内へ!


ということで、
皆様興味を感じないでありましょうが(´v`;)
お次は皇子や王のお墓『梶井宮墓地』の記事をUPしますね♪


大原旅行⑦につづく ⇒