オリガミ ヲ キリガミ オカルティー(総合)

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弥生後期の硯発見とオカルティー目線

 
久々にオカルティーネタはさもうと思います。
苦手な方はスルーしてくださいね(˙ ˡ̼ ˙)
 
 
今日、
福岡県糸島市の三雲・井原遺跡で、
弥生時代後期(1~2世紀)とみられる硯(すずり)の破片が出土した
というニュースを偶然見ました。(日ごろテレビを見ないので。)
 
 
 
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上記のニュースサイトの記事によると、
国内の文字の使用は3世紀ごろということになっているそう。
私など情報が古いので
飛鳥時代に漢字が入ってくるまで日本に文字はなかった」
という説で止まってました(汗)
 
 
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この硯の発掘で、
弥生時代後期には日本でも文字が使われていた
という新発見になるのがグレイトなようです。
 
 
 
で、

このニュースを見て想い出したのが、
2010年の「ムー」
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マクモニーグルという透視能力者に
「ファースト・天皇
というお題だけ与えて歴史を透視してもらうという
私には興味ある企画内容でした。

ファースト・天皇というのは
初代・神武天皇のことです。

日本の古代史など知らない外国人に
何の予備知識も与えずに透視してもらうというのは
なかなか面白いなと。


だって彼の見たファースト・天皇の御姿が↓
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しかも名前が「ムイジン」
すっかりモンゴル風味ですやん。

透視ストーリーの結果では、
ムイジン(神武)はゴビ砂漠より西に生まれ、
大きな船で一族たちとともに大陸を東に進んだと。

そして、
西暦260年ぐらいに朝鮮半島に到達し、
その後、
日本の長崎の八郎川の所に到達した・と。
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八郎川の所↓
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その時の上陸エピソード文なのですが、
「そこには小さな漁師村があったが、突然現れた大船団に
みんな逃げ出してしまった。
翌日には、村人が恐る恐る戻ってきたが、
村人の何人かは彼らの言葉を多少理解できたらしい」
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「また彼らは、言葉が分からない時は
文字を砂の上に書き、意思の疎通を図ったという。

文字による意思疎通とはおそらく漢字のことを示しているのだろう。
定説では日本で漢字が使われ始めたのは、5世紀ごろとされている。
しかし、マクモニーグルの透視によると
まだ3世紀の後半だったこの時期に、少なくとも九州には
漢字を理解するものがいたことになる。」
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記事は2010年の物なので、
この当時では日本の漢字の使われ始めは5世紀ごろになってます。

それが3世紀後半に、
しかも漁師村の村人が漢字を理解していたとはおどろいたものです。


今日のニュースでは国内の文字使用が
3世紀 ⇒ 1~2世紀
にググンと早くなりました。

ただし、
この硯は外交業務にを担っていた渡来人が使っていたと考えられ、
倭人が文字を使いこなしていた可能性は低い。」
「在地の人にはまだ定着しなかったのではないか。」

との見方のようですが。
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たとえ渡来人が文字使用していたとしても、
それが1~2世紀なら
3世紀後半には田舎の村人レベルでも文字を使用できた
というロマンもありではないかなぁ?



ところで、

マクモニーグルが話題にしていた神武の上陸地は長崎ですが、
硯が発見された三雲・井原遺跡というのは
福岡県の糸島市です↓
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この糸島にも聞き覚えがありまして、

以前これまたオカルティー
「ベールを脱いだ古代日本史」というものを読んだとき、
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著者の坂本氏ヘミシンクを使った透視?結果では、
天皇家の始祖が最初に日本に上陸してきたのは
九州の糸島半島だということで、
糸島半島を調べた覚えがありました。


マクモニーグル氏と坂本氏の
天皇の始祖上陸地に違いがありますが、
そこは気にしてはいけません(笑)
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なぜなら、オカルティーな世界観によると、
私たちに、自身が選ぶ未来がいくつもあるように、
過去もいくつもあり、
「現在」から過去も未来も放射線状に存在するのです!
(´v`;)

だから、選ぶ過去がちがってもいいのです(キリッ)



で、


坂本氏の説をとれば、今回硯が発見された
糸島市の三雲・井原遺跡には
神武天皇一族、あるいはそのご先祖さんの
ウガヤフキアエズさんとか玉依姫さんとかが上陸し
ここあたりに眠っていることに?
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あーしかし、驚いたことに
その存在さえ「ただの神話でしょう?」と思われがちな
ウガヤフキアエズさん(神武のお父さん)の墓だといわれているものや
神武の生誕地・はては使った産湯の場所まで比定されていて
それは宮崎にあるのでした。

日本、深いな。




で、


話を硯が発見された三雲・井原遺跡にもどしますが、
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ちょいと遺跡をネット検索してみたら
たくさんの出土物があるようでした。

硯が発見されたというと、
どんな文字が使われていたのかなぁと単純に思っていたのですが、
ここで出土した弥生時代中期後半の
中国製銅鏡に文字がついてました。
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外の枠の中の象形文字みたいなの、
これが古代の漢字のようです。
これが2千年前の文字かー。

上の中国製銅鏡だけみると
渡来文化だけで構成されたように見えてしまうので、
いちおう糸島半島の名誉のために、
この銅鏡が甕棺(かめかん)という
日本の弥生時代らしい文化の物に入っていたことと、
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同じところから発掘された勾玉が日本式だったことを
付け加えておこうと思います。

すでに確立された文化があったのではないかと。


あ、で、


日本式の勾玉について検索確認していたら
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とんでもないことを知ってしまいました。


なんと、NHK
「勾玉は朝鮮半島から日本にもたらされた文化」
と紹介していたそうではないですか Σ(゚д゚|||)

 茶道や桜や柔道、いろんな日本の文化が
「朝鮮発祥文化」としてあちらの人たちはすげ替えているようですが、
まさかいつのまにか勾玉も朝鮮発祥・日本にもたらしたもの
にされていたとは!
そしてその言をNHKがその言に従って放送する?とは…


とんでもない!


勾玉は日本の縄文時代からつくられていたもので、
その発達の段階も発掘物によって見て取ることができます。
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朝鮮発祥文化だというのなら、
縄文時代よりも前からある勾玉を出してきてください。


形成の難しい日本式の勾玉よりも初期に
高度な形成の勾玉もないとおかしいですよ。
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朝鮮で形成されたものでは
先がとがった簡単な形成の勾玉しか私は知りませんよ。
(日本から輸出された日本製は省く。)




ちなみに、
日本の天皇家の始祖も朝鮮から渡日した王子だと
言ったりもしているそうですが、
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確かに朝鮮半島から王子らしき人物が古墳時代
女性を追いかけて渡日している話があります。

しかし、
その王子の渡日に気付いた天皇が使者を遣わし、
事情をきき、
その人物の要求どおり、現在の滋賀県に住むことを
天皇が許可してあげましたという記述もあるので、
その王子が天皇家の始祖と考えるのには無理がありますよ。


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要は
私たちも自分の国の歴史をちゃんと知っていないと
私たちの国の歴史や文化も
外国の都合ですげ替えられてしまったりする
ということなんですね。
(日本古代史の先生方に外国由来のお名前の方が結構おられるのも
個人的に気になっています。)



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せっかく日本人なので、
日本の歴史に興味を持ちましょう
(ある意味オカルティーな切り口の古代史は
へたに国際的な思惑が絡んでいないので私的には信頼しやすいです(笑))