隠岐の旅③ 神々の上陸
『隠岐の旅② 隠岐の島の始まり』のつづきです。
前回では隠岐に最初に上陸した『木の葉人』
についての伝承を紹介しました。
後から入島する者とも融合し、
協力して栄えていた木の葉人たちの隠岐。
そこへ、
ある時、見なれぬ者たちが上陸してきました…!
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神々の上陸。
●海人(おそらくアマと読むのだと思われます)
木の葉人の次に隠岐の島に上陸したのは
「海人」だったそうです。
「海人」だったそうです。
海人は体中に刺青を入れていたので、
木の葉人は怖れて対戦を準備したようですが、
思いのほか海人が温和だったので、戦いにはならなかったといいます。
海人は魚を捕るのが上手く、
木の葉人と一緒に暮らすようになったそうです。
木の葉人と一緒に暮らすようになったそうです。
その後、海人の一族は出雲の国から次々に移住してきて、
木の葉人より数が多くなったといいます。
風俗・言語は同化していったようです。
木の葉人より数が多くなったといいます。
風俗・言語は同化していったようです。
(※当時、日本中に出雲があったと竹内宿祢の御子孫は言っておられるので、
島根の出雲からとも限らないもよう。)
海人には長(おさ)神がいて、
島後の大久諸浦に住んでいましたが、
島後の大久諸浦に住んでいましたが、
海賊に殺されてしまったそうです。
隠岐にはもう一つ、
こちらはさらに詳細な神様来島の伝承がありますが、
詳しくは後の「加茂那備神社」のエピソードで紹介するとして、
ここでさわりだけ紹介しますと、
詳しくは後の「加茂那備神社」のエピソードで紹介するとして、
ここでさわりだけ紹介しますと、
進歩した稲作などをもたらした、という伝承です。
この神様が上記の「長神」にあたるのか、「大山祇神」にあたるのか、
あるいはそれ以外なのかは分かりませんが、
釣りや航海、稲作に秀でていたところをみると、
他の「神様」同様、弥生時代の民なのだなと思わせます。
(縄文人と古墳時代の入植者に、稲作に秀でているイメージが無いので。)
あるいはそれ以外なのかは分かりませんが、
釣りや航海、稲作に秀でていたところをみると、
他の「神様」同様、弥生時代の民なのだなと思わせます。
(縄文人と古墳時代の入植者に、稲作に秀でているイメージが無いので。)
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ところで、
上記の神々の上陸で気付いたことはありませんでしたか?
最初に上陸した木の葉人は先住民であるにもかかわらず、
誰も神格化されていない。
それなのに、後から入植してきた海人たちのリーダーは
神として後々まで崇められている。
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個人的な話ですが、
郷土の資料館も近く、また特殊な職業だったので
私の家系のある筋はひじょうに調べやすく、また、
ひじょうに古い代まで調べることが出来ました。
他の、現存する古い家系と見比べても、
だいたいの人物の代と年代がちゃんと同時期だったので、
日本神話ファンタジーも、案外、
実在の人物と出来事にそっているのだなと、
日本の歴史の底力に目から鱗ったものです。
日本の歴史の底力に目から鱗ったものです。
そして、
だいたいの寿命と代数を計算しながらさかのぼると、
弥生期、古墳期あたりの有力者から「命」が付いて神格化され、
おそらく
列島に上陸する以前の有力者に「尊」が付けられているのだなと、
ぼんやりとそのように理解しました。
ぼんやりとそのように理解しました。
人間の神格化は、列島外部から持ち込まれた概念なのだと思います。
古墳期までの入植者(つまり弥生人)は、何らかの使命感を持って
日本(秀真国?)各地を発展させることに情熱を持っていたようで、
そんな彼らを原住民(縄文人?)は
純粋に『神』として受け入れていた感じがします。
日本(秀真国?)各地を発展させることに情熱を持っていたようで、
そんな彼らを原住民(縄文人?)は
純粋に『神』として受け入れていた感じがします。
強引に武力をもってして、
恭順しない者を無残に「討伐」したのは
恭順しない者を無残に「討伐」したのは
古墳期の入植者からではないでしょうか。
なので、隠岐のこれらの伝承は
縄文晩期・弥生期あたりのものだと
個人的に解釈しています。
個人的に解釈しています。
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隠岐の島のことだったのなら…
日本神話のこれまでの見方がいろいろと変わってくるように思います。
日本神話のこれまでの見方がいろいろと変わってくるように思います。
海人の伝承のあたりになると
「大島(たぶん島後のこと)を於母(おも)の島、
南の小島三島(たぶん島前のこと)を三つ子の島と言った」
となっており、
「隠岐の三子の嶋」は島前だけのことになっています。
では島後は…?
「大島(たぶん島後のこと)を於母(おも)の島、
南の小島三島(たぶん島前のこと)を三つ子の島と言った」
となっており、
「隠岐の三子の嶋」は島前だけのことになっています。
では島後は…?
(仮定)
島後 = 最初に生んだおのころ島
島後 = 最初に生んだおのころ島
島前の三つの島 = 次に三つ生んだので、合わせて四つ。
だから「四番目に生んだ」と表現した。
もしかして隠岐の島後こそが「一番最初に生まれた島」?
というロマン(笑)
意外にもこの仮定、100%残念な大外れ、
ともいえないかも?
なぜなら…
長くなるのでまた後に語りたいと思います (-ω-)/長いの
ともいえないかも?
なぜなら…
長くなるのでまた後に語りたいと思います (-ω-)/長いの
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もう長いので、今日はこの辺にしておきます
(≡д≡)
また次へ ⇒