隠岐の旅④ 古代人の攻防
『隠岐の旅③ 神々の上陸』のつづきです。
・*:.。. .。.:*・゜゚・*
さて、
隠岐の島の古代の伝承、
獣の皮を着た木の葉人から、
彼らと仲良く暮らした海人たち、
やがて神々の来島がはじまり、
平和が保たれていた隠岐。
そこへ、
鉄器で武装したおろち(於漏知)の来襲が始まったのでした。
・*:.。. .。.:*・゜゚・*
●山祇(やまつみ)
山祇(やまつみ)とは、
古代、それぞれの山に有力者がいたそうで、
それを山祇と言ったそうです。
古代史にはよく
大山祇(おおやまつみ)という人が出てきますが、
大山祇とは多くの山祇たちの、さらに長にあたる人です。
詳しくはわかりませんが、
上記に名前のあがった中津久欺山祇の神の場合、
中津久欺という山、地域の山祇なのかなと。
で、そのお父さんの
出雲の鞍山祇之大神という人の名前もあがりましたが、
どんな人物かと思ってPC検索してみたところ、
先代旧事本紀(センダイクジホンギ)という、
同様の古い日本神話を書き記した物の中に
その娘?と思われる人物の名前があったのでした(!)
系図の順に表にされているものを発見、
ちょいと拝借させていただきました↓
その10代目の子孫の奥さん(赤丸印)が
出雲鞍山祇姫という名ではありませんか!
おそらく出雲の鞍山祇之大神の娘ではないかと。
隠岐の伝承の神様の名前を検索しても
全然ほかの系図や神話にヒットしないので、
空想100%か?
とちょっと不安になりもしましたが、
出雲鞍山祇姫の場合、
夫や子供の名前までわりとはっきり記録があったので
何らかの事実・実在の人物に基づいているのかなと思えてきました。
ちなみに、
大己貴神から8代目の子孫の備考欄(青線)に、
和迩(わに)君の始祖だという記述がありますね。
だいぶ前ですが、宇治旅行の際に
物語を紹介しましたが、
その和邇氏の始祖ですね。
というと、
このあたりの人物の時代をかんがえると、
古墳時代の話だということでしょうか…
前回、あんなに弥生時代だと力説していたのに
間違っててすみませんでした
m(_ _)m
弥生時代の稲作と船の民たちは、
しばらく数世代は活発に新天地の開拓を頑張っていたんですね。
・*:.。. .。.:*・゜゚・*
で、
神々によって隠岐は豊かになっていたのですが、
そこへ
たたらを踏んで鉄をつくる「おろち(於漏知)」と言われた一族の
来襲があったのでした。(おろちはすでに出雲の国を奪っていた!)
鉄器を使う強いおろちは住民を襲い、財宝を奪ったり乱暴をしました。
三ツ子の島の民は於母の島へ逃げるが、
於母の島の東大津も襲われるように。
↓
やがて、宇都須山祇の神の代に至り、
やがて、宇都須山祇の神の代に至り、
神は宮を於母の島の西の主栖津・北方に移し、海防に努めるが、
三つ子の島は全ておろちに奪われ、民は於母の島に逃げる。
神は島民すべてに武事を教え、
おろちと長く戦ったが、鎧、兜、盾のあるおろちは
少人数でも強かった…。
少人数でも強かった…。
(小之凝呂島の米の始まりは、この山祇の神の代だった。
よって、島の各地の守護神として、山祇の神が祠られる。
流宮の大神祇の神も、海人たちによって各地に祠られる。)
隠岐の神々が助けを求める
流宮加須屋の大神祇とはどこの人ぞや?と思い、
「加須屋」で地名検索するも、人名(苗字)しか出てこず。
そもそも漢字の地名は、飛鳥・奈良時代に
元の地名の音に適当に当て字されたものなので、
こういう時は元の音「カスヤ」の地名で検索しなおすのもアリです。
で、「カスヤ」で地名を探したところ、
東京から船でというとちょっと難しいように思いますが、
これが島根だと一気に現実的に感じられますね。
ところで、
流宮加須屋の大神祇の流宮は、「竜宮」でしょうか?
同時代、大きな勢力を誇っていた(?)海の民、海人族の拠点(?)が
京都の丹後あたりだと思っているのですが、
そこに、それこそ
海部氏の神社、籠神社(このじんじゃ)があります。
⇧
籠神社は「籠宮大明神」とも称され、
その歴史を合わせて見ても、
「籠宮」が本来「龍宮」であったのではないかと
妄想をたくましくさせてくれます(笑)
ちなみに、この丹後から加茂川流域を発展させた神様、
加茂建角身命さんのもとへ姫が嫁入りしていまして、
女の子(玉依姫)を生んでいます。
「竜宮竜族」と記されているのを見ました。
海人族 = 竜宮竜族
だとすれば、
けっこう海人族の拠点は幅広く点在しており、
その中の一つの「カスヤ」から来た海人の竜宮竜族の有力者が
隠岐が助けを求めたという
流宮加須屋の大神祇のなのでは?と。
(はーっ、やっとつながった…)
ちなみのちなみに、
玉依姫の息子君は後に加茂川流域から小浜(上地図参照)を通り、
隠岐に移住しています。
ちなみのちなみのちなみに、
京都から小浜までのルートを掌握していたのは
和邇氏です!
(いろいろつながる!)
(菟道稚郎子さん)
・*:.。. .。.:*・゜゚・*
余計な話をたくさん挟むので、
また長くなってしまいました(汗)
不本意ではありますが、
続きをまた次に記したいと思います( ´△`;)