オリガミ ヲ キリガミ オカルティー(総合)

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隠岐の旅⑤ 異形の巨人英雄?




ちょいとオカルティー話もくっつけますので、
苦手な方はスルーでよろしくです!

・*:.。. .。.:*・゜゚・*


おろちにどんどん侵食され、
ついに耐えきれなくなった隠岐の長、宇都須山祇
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宇都須山祇のSOSを受け、
流宮加須屋の大海祇大神(おおうみつみおおかみ?)
息子の奈賀の大人様に軍兵を小之凝呂島(隠岐)へ遣わす。

この「大人様」の正しい読み方が分からないのですが、
どうやら「おとな」の意味ではなく、
「大きな人」という意味の大人のようです。

不思議なのが、
これまで至って現実的な隠岐の人物伝であったのに、
この「大人様」に至って、
急にその人物像が異形の様相を示すことです。
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この不思議な大人様の伝承を簡単に紹介したいと思います。


・*:.。. .。.:*・゜゚・*


大人様は父に命じられて、
危機に瀕する小之凝呂島(隠岐)へ助太刀に向かいます。

危機の助太刀のわりには、
その途上で出雲に寄って、大山祇の神の娘を娶っています。

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(隠岐に向かう途上で出雲に寄ったということは、
やはり位置的に宇佐郷(のカスヤ)が流宮加須屋の本拠地なのでしょうか?)


さてさて、
この大人様、何が異形かというと、
そのとんでもないデカさです。

あくまでも真面目に本に書かれている伝承であることを
先に言っておきますが、
大人様はなんと
(出雲から)一足で隠岐の於母の島に渡ってきます(笑)

そんでもって、
右足を重栖に、左足を都万に、
そして大満寺山に腰をかけて、焼火山の火で一服されたという

ウルトラ巨人ぶり(笑)

まあこんな感じになりますわ。
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今まで真面目に語っていた隠岐の伝承は何だったのかと…(笑)

それだけ軍兵が多かったということの例えなのか?
それとも、
超大型巨人なみのデカさだったのか?
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後者だとしたら、
出雲の大山祇の神の娘に心から同情しますわ…。


余談ですが、
巨人伝説は世界中の伝承に登場する興味深い人種です。
で、日本にはないじゃんって思いますが、
日本では「ダイダラボッチ」の伝説がそれにあたるんだそうです。
とりあえず日本にもあってよかった(?)巨人伝説。


さて、
一服してるそのキセル知夫里島でポンと打っただけで
おろち達をびっくりさせて10尺も飛び上がらせたという大人様(笑)
(どんな地響きがおこったんでしょう)
とりあえず
於母の島のおろちは討ち取ったのだそうです。
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しか~し、
おろちは次々に渡ってくるので、
戦いはその後、子孫五代にわたったのでした。

おろちってどんだけいっぱい居たのよ?
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だが時代は巡り、
出雲のおろちの勢力が衰えてきたころ、
六代目の大人様
出雲の大山祇の神の姫を娶り、援助を得て、
於母の島全島を
そしてやがて、
おろちが多く容易でなかった三つ子の島も征服しました。

長い戦いでしたね。


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その後、
出雲に大きな戦いがおこって、
天津神の御子が小之凝呂島を譲り受け、
土地を開拓して農耕をすすめたとのこと。
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〈出雲に大きな戦いがおこって〉
(隠岐を)天津神の御子が譲り受け〉

嫌な予感しかしないこの2行…。

まあ普通に考えて、
出雲天津神(天皇家の始祖)に征服されて、
その所領である隠岐も奪われたということかなと。

そう思うと、
大人様キセルで島を叩いて
おろちが10尺も飛び上がったというのは、
巨大天変地異を意味していたのかもしれません。
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また蒸し返してすみませんが、
私は個人的に弥生時代の終わりに超天変地異がおこり、
それが「倭国大乱」とよばれるものの正体で、
その混乱に乗じて
大陸から渡ってきた「天津神」が
出雲族の長である大国主を倒し、首都を奪った』
とする飛鳥昭雄氏の提唱する説をおおかた支持しています。

(ちなみに、出雲(連合国)の本拠地は現島根ではなく、
奈良であった説が真実ではと思っています。)

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おろちが10尺飛び上がる〈振動〉 超天変地異

出雲に大きな戦い 大国主天津神に倒される

天津神隠岐を譲り受ける 隠岐天津神に征服される

と、
考えられないでもない?

う~ん、じゃ、やっぱり
隠岐の伝承は弥生時代末期のものだった?
(初代神武天皇が大和を平らげたところから古墳時代だとすれば。)
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難しいですね。
私もよくは分かりません。


しかし、
私の中の勘違いを訂正するとすれば、
神武が奈良をとった時点で大和国は天神族(天津神)のものになった
・・・のではなく、
多くの拠点を持つ出雲族(らの連合国)は、
その後、
かなりの年数、各地で抵抗しており、
依然として『弥生時代』は続いていた
という辺りでしょうか。

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本当に天神族が出雲族らを抑えきったと言えるのは、
桓武天皇が都を京都に遷都した時ではないかと、
勝手に位置付けてます。

桓武天皇が来る前、京都の盆地は
秦氏や加茂氏らが抑えていたのかなと思うのですが、
その当時、
愛宕山(京都で一番高い山)から見下ろす風景いっぱいに
出雲族らが住んでいた」
とのこと。
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しかし、桓武天皇が京都に遷都してきて、
平安時代が始まると、
ぱったりと出雲族が京都から姿を消しているのです。

かなりきつい税をかけられ、
(出雲族らは)田畑を維持できなくなり去っていった、
というような記述があったように思います。

猛烈にせつないです
(T△T)


・*:.。. .。.:*・゜゚・*


話は古代に戻りますが、
出雲族や海人族らの連合国(邪馬台国?)たちは、
天神族(天津神)に恭順したように見せかけて、
有力者の娘らを差し出したりしながらも、
国を取り戻す画策をおこなっていたのではないかと…。
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そうふと思ったのは、
第14代 仲哀天皇(ちゅうあい天皇)の妻で、
夫の死後、半島へ「三韓討伐」へ向かった
神功皇后(じんぐうこうごう)。

彼女は明らかに夫がとっくに亡くなってから妊娠して、
その子供が第15代 応神天皇になったのですが、
その父親は「住吉の神」だと
はっきり記している古伝もあるのだそうな。
神功皇后三韓討伐へ出立する前に
住吉神社に宿泊し、そこで宮司と交わったという話です。
それから妊娠した身のまま半島に向かい、
途中、
隠岐の島にも寄っています。

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んでもって、ハッと気づいたのです。
神功皇后の名前は「オキナガタラシヒメ」です。

昔の人の名前には、よく最初の部分に
出身地や所属する一族の拠点の地名が付いてたりしますよね?
(宇治に居る一族のウジノワキイラツコさんの名前の先頭に
「ウジ」と付いていたりするように。)

で、つい気になってしまったのが
オキナガタラシヒメ」の「オキ」の文字です。
彼女が隠岐に居た一族の末裔だという話は
どこにも伝わっては居ません。
が、
もし彼女が隠岐を奪われて復讐心を燃やす一族」
その末裔だとしたら・・・
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隠岐の神々、ね)

●夫(仲哀天皇)は神功皇后が殺した説。
●子供は天皇の子ではなく、住吉の宮司
●まったく天皇の血をひかない子供を天皇に立てた(?)
三韓討伐ではなく、当時の半島南は大和の一部だった説
●その際、隠岐に寄っている

この辺りが
皇后という刺客を送り込んで、
見事、大和を(血統的に)取り戻した旧邪馬台連合のお話

に見えてくる幻想・・・
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ちょっと変な幻想が頭に広がってきたんで、
オカルティーの刺激で中和したいと思います(笑)

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先日から、ふと、
買いっぱなしでほったらかしていたオカルティー本、
『異星人が教えてくれた日本の近未来』
といういかにもな物を読み始めました。

明治天皇の孫にあたる中丸薫と、
15の頃から超能力者として名をはせた秋山眞人
異星人との接触体験を複数持つ両者の対談本です。

そこに、
異星人に導かれて京都の天橋立に行った中丸氏が、
アマテラスオオミカミの時代の過去性を思い出したという
エピソードが載っていました。

その辺りを少々抜粋したいと思います。

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おそらくアマテラスは天橋立(京都の丹後)あたりで
古代イスラエルのレビの子として生まれたのでしょう。

当時は日本の島も主なもので130ぐらいあり、
アマテラスがそれをまとめていた。

それは紀元前の頃ですが、超古代文明の頃まではさかのぼりません。
アマテラスは祭祀としてだけでなく、
政治力や外交力で島々をまとめていました。
その末裔が現在の天皇家です。

アマテラスとは皇室の祖先ですから、
いわゆる神ではありません。あくまでも人です。


卑弥呼は船で移動していたので日本各地でその遺物が出てきます。
移動しては、そこに2カ月ほどで拠点をつくっていた。
アマテラスは卑弥呼以前に日本を統治していた女王です。

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これを読んで、
やはり籠神社(このじんじゃ)のある京都の丹後には
そうとう古い何らかの文明の拠点があったのかなと。
そこを代表するひとがアマテラスで、
細かい島々で成り立っていた当時の日本を
おそらく船に乗って(海人族?)まとめていた・と。
(意外なのが、彼女は古代イスラエルの血筋という話。)

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後の世、卑弥呼が同じように船で
日本各地に拠点を作ったとのこと。
ちなみに、
籠神社の系図の中には卑弥呼と、
その後を継いだトヨと思われる人名も見られる
のだとか…。


に・日本、深い…!!



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さて、もう内容を忘れたかもしれませんが(笑)
隠岐の伝承の話のつづきをしますね。
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天神族が「譲り受けた」後の小之凝呂島(隠岐)ですが、
土地の開拓と農耕がすすみ、海の交通もひらけ、
とりあえず全島は平穏であったと言います。
(天津神の政権に媚びて書いてる?)

で、
あのしつこく島を責め続けていたおろちはというと…
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温和になったんだそうですわ(笑)
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もっと早く温和になれよと(笑)


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あ~ちょっと隠岐の伝承を紹介するつもりが、
長話になっちゃった・と。

次からはちゃんと
隠岐旅行の内容をUPいたします ⇒