隠岐の旅⑨ 京都の加茂神社と隠岐の不思議なつながり
『隠岐の旅⑧ 島前 ⇒ 島後 しみじみる。』のつづきです。
前記事から期間が開いてしまい、すみません。
内容忘れちゃいますよね。私も忘れたので前記事読み直しました(笑)
(大久の港から見える不思議な形の岩。島なのだそうです。)
隠岐の島、島後の大久のご家族にお世話になり、
そちらの方々が縄文人の雰囲気を残す容姿でらしたので、
あれこれと考えを巡らせた…
というところからの続きです。はい。
・*:.。. .。.:*・゜゚・*
で、この日は
島後の≪加茂那備神社≫という神社に行きたいと考えていました。
しかし、
前日、レンタカーを借りようとしたものの、
予約いっぱいで借りられず。
隠岐へ個人旅行される皆さん、
ここでは当日・前日では
タクシーやレンタカーが抑えられませんので、
早い段階からの予約を☆
んで、我々はどうしたかと言うと、
休日でおうちに居られた大久のおばあさんのお孫さんに
(無理矢理)車を出して案内してもらったのでした。
これが後に
ラッキーだったと心から思うことになりました。はい。
・*:.。. .。.:*・゜゚・*
目的の加茂那備神社(かもなびじんじゃ)ですが、
島後の方々も知らない、
というか、
加茂(かも)という場所が非常に未開の地だということで(?)
はたして車で行けるかどうか・ぐらいの勢いでした…
それはそれは・・・。
レンタカーで自分たちでいこうと思っても
難しかったかもしれませんね。
まあしかし、地元の方の案内なら安心よ、ということで、
加茂への道の途中にある飯田神社に寄ってもらうことにしました。
(急に気が大きくなる。)
この飯田神社(いいだじんじゃ)になぜ行きたかったかというと、
京都の、おそらく下鴨神社にいらしたのであろう巫女さんに
ゆかりのある神社が合祀されているからです。
京都の下鴨神社は近年、全国でも有名になりましたので
ご存じの方も多いのではないでしょうか。
巫女としてお仕えするという慣習がありました。
件の飯田神社に関連する巫女さんも、
相当な身分のお方です。
「隠岐の伝承」には出身の神社を雷神社と記されていました。
この場合、
私の記憶が正しければ
高貴な身分の巫女がお仕えする慣習があるのは
下鴨神社の方だったと思います。
なのでたぶん、下鴨神社に居られた方なのだろう・と。
で、どうしてそんな身分の高い巫女さんが
隠岐の島におられたのかというと、
あの、称徳天皇(女性)の寵愛をうけて
何やら「意見が合わない」とかなんとかで、
隠岐に流されてしまったのだそうです。
もしかして姉君に忠告しようとして、
このエピソードは「隠岐の伝承」を読んで
初めて知りました。
権威をふるっていたということでしょうか。
巫女さんは、隠岐の飯田の里に
かつてお仕えしていた雷神社の分霊を祀り、
井上姓を名乗って住まわれました。
すると、あら不思議
この時から飯田の入江には
イカの大群が押し寄せるようになったというではありませんかっ
のちに、この神様を大正時代に
入り江から離れた飯田神社に合祀したのだそうですが、
この時からイカが獲れなくなってしまったといいます。
(さいなら~)
で、
「神様を移してしまったからだ」という村人の声もあり、
再び元の地へお祀りしたところ、
また大量のイカが押し寄せたというから
不思議・不思議☆
残念ながら、この入江は埋め立てられ、
イカが寄り付かなくなったので、
昭和44年、再び飯田神社に合祀されたとのことです。
埋め立てかよぉ~~~⤵
・*:.。. .。.:*・゜゚・*
話は戻ります。
その飯田神社へも寄れるなんてラッキーであります。
こんもりとした山の入り口に鳥居が見えてきました。
けっこう急な階段が…フウフウ…
やっと上ったぞ!
と、
その階段の先にもまた階段がありました~.。.:*☆
という、神社あるある。
飯田神社が見えてきました。
なんとも素朴な神社であります。
京都から遠く、隠岐の地へ。
心ならずも移動させられた悲しみや寂しさ、望郷の念は
いかばかりであったか。
(下鴨神社)
気持ち、わかりすぎる。
私も京都へ帰りたいわぁ~~~~
(T△T)
下鴨神社のこともよく想い出して辛いです⤵
この巫女さんは生涯、この地に居られたようですが、
とりあえず生きていれば
私には京都在住に戻るチャンスがあるかも知れません。
とりあえず、生きる。
さて、
飯田神社で手を合わせることが出来、満足気分で
石階段を降りようとした時…‼!
右足の指が
ズッキーーーーーーーン‼!
急に猛烈な痛みが襲ってきて、
何が起こったのかすぐには分かりませんでした。
というか、
あまりの痛さで目がかすんで、
自分の足に何が起こっているのか見えなかったのです。
しばらくしたら自分の足が見えてきました。
すると、痛む指のその上に乗って
黄色いハチが刺しているではないですか!
あわてて手でバシバシ払うも、
払っても払ってもなかなか離れません
(;⊙д⊙)
やっとハチが離れて行った時には
もうみんな神社から去って
私は独りぼっち。
助けを求めようにも誰も居ないので
しょうがなく痛い痛いと思いながら石階段を降りて行きました。
もうヒザから下が鉛のように重くてヒーヒーでした。
後から知ったのですが、そのハチは
キイロスズメバチという狂暴な奴で、
巣から10m以内に近づいただけで襲われるという。
私は足に皮膚病があるので
蒸れるのを気にしてサンダルを履いていきましたが、
やはりこういう自然のある田舎を旅する時は
スニーカーを履かないといけなかったようです。
(肌も出さないほうが良いでしょう。)
皆さまも神社などへ行かれる際はご注意ください。
・*:.。. .。.:*・゜゚・*
さて、
お次はいよいよ目的の加茂那備神社へ。
こちらの神社もその名前から察せられるとおり、
加茂族にゆかりがあるのです。
京都の下鴨、上賀茂の上下加茂神社と
またまたゆかりのある神社がこの隠岐にあるというわけです。
京都・上賀茂神社の御祭神である別雷神(わけいかづちのかみ)は
京都では(というか一般に)
私は火雷神(ほのいかづちのかみ)の息子であると言って
唐突に天に上ってゆかれ、
話はそこで終わっています(お母さんの夢には出てきますが)。
(上賀茂神社の楼門)
「若くして地上から去られた?のね。お母さん可哀想。」
と思っていましたが、
どっこい生きてたシャツ隠岐の中。
なんと、別雷神は
隠岐で元気に生きてらっしゃったんですよぉ~~~ぅ
加茂族の皆さんご存知でしたか?!
なぜか京都の加茂神社と
いろいろえにしありげな隠岐なのです。
ということで、
別雷神が暮らし、そして祀られた
加茂の加茂那備神社を目指して行きます
……………………………………………
もはや恒例(?)
季節の変わり目体調不良で
隠岐シリーズの更新がはかどらなくなってしまってまして…
一日に何回も寝ておじゃります(ニートで良かった)
すみません。
もう隠岐の旅の内容を忘れつつあるわ
なんという鳥頭。