オリガミ ヲ キリガミ オカルティー(総合)

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隠岐の旅⑫ 別雷神の御霊、ここに眠る。




上賀茂神社の御祭神・加茂分雷神(かもわけいかづちのかみ)
開拓指導のために訪れ、
そして生涯をすごした隠岐の加茂
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車の窓から見える景色は、ひたすらのどかであります。


前回の記事でも書いたとおり、
別雷神が祀られている神社とすっかり勘違いして、
私は大山祇神社に手を合わせるという馬鹿をやらかしました。

今度はちゃんと見つけられるかなぁ~
加茂那備神社(かもなびじんじゃ)


別雷神が京都からやって来て
終生、開拓指導を行った加茂の風景。
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おだやかに豊かな実りをみせています。



そして我々を乗せた車は
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「あそこの神社のことじゃない?」
との地元のおじいさんの言葉だけを頼りに
加茂を移動していきました。




これがその神社らしいです。
ふむふむ、なかなかに立派な神社じゃあないですか。
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これは期待できます。


近づいて碑を確認したところ、
〈加茂那備神社〉の文字が!きたーーーーーーっ!!
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や・やっと来れました。
こここそが正真正銘・加茂那備神社であります!
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ここが、別雷神の御霊が眠る神社なのですね…今度こそ
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狛犬がこのように低い位置に配されているのは
初めて見ました。
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何か意味があるのかな?


楼門の向こうに御本殿が見えてきました。
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小さな村で出来る、最大限の規模ではないでしょうか?


しかも楼門の中には立派な武士の像が。
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時代的に平安末期から鎌倉時代ぐらいの装束?
別雷神の時代ではなさそうですね(笑)

京都では度々、楼門に武人や阿修羅などの像が
納められているのを見ましたが、
この法式は島根では私は初めて見たかもしれません。



とても静かな空間…
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別雷神とともに、奥さんの楓姫もここに眠っておられるのでしょうか。

伝承のエピソードは
時代的に弥生時代古墳時代前期ぐらいかと思っているのですが、
いずれにせよ、それだけ古い時代の人でも
発展に寄与してくれた人の御霊を
長い長い年月、地元の人がこうして祀っているなんて、
素敵なことではないでしょうか。


興味を持ってもなかなか、隠岐の、しかも観光地ではない
この加茂に参拝に来ることは難しい人が多いと思いますので、
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どうぞ、ここで写真参拝なさってください(^o^)


すみません、ちょっとガラス戸にカメラをくっつけて
御本殿の中を一枚撮らせていただきました。
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なかなかに簡素な内部ですね。


中の貼り紙が気になったので画像をアップにしてみゆ…
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ほほう、地元民の方がいろいろな収穫物を奉納なさったんですね。
サザエや鯛など、何だか隠岐らしくていいですね。



御本殿を横から見ると、けっこう奥行きがありました。
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こういうところは山陰の神社らしいです。とても立派です。


あぁ~ほんとうに
加茂那備神社に来れてよかったぁ~~~
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今度こそちゃんと
「島根に来た意味を成し遂げ」ました。
ひたすら安堵。



●所在地
地理的にはこの辺りだったと思います。
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加茂の海岸からこのように加茂那備神社に
車で移動していました。


・*:.。. .。.:*・゜゚・* ☆


別雷神は、千年(二千年?)の時を超え、
地元の方々に慕われ、感謝されていた。

別雷神のひいおじいさんである
加茂建角身命(かもたけつぬみのみこと)もやはり
九州から京都の賀茂川のほとりにやって来て、
農耕などを教え、地域を豊かにし、
神として今でも崇敬されている。
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私が教科書で日本の歴史を習った頃は、
弥生人が日本に渡ってきて
先住の縄文人たちを追い払い、時には残虐なことをして
国土をのっとった・的な見方であったなと思い出します。
今思えば、それも自虐史観であったなと。

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近年は、弥生時代の遺跡から
縄文人とも共生していた痕跡が出てきたりしていて、
見方は変わってきたようですが、
歴史に興味のない人はもしかしてまだ
弥生人はひどいことをして土地をのっとって
農耕したんだと思っているのかなあ。

弥生時代の人が知ったら悲しみそう。

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今回、隠岐の伝承にふれて
「農耕をもたらした人々」がいかに純粋に
その土地を、そこの人々と、良くしようとしていたのかが
伺い知れたような気がしました。

なぜでしょう、弥生の人々は
とても積極的に日本中を発展させようと、
まるで使命のように各地に赴いていた…ように見えます。
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オカルティー話になってすみませんが、
(以下、オカルティー注意)
中丸薫氏が自身の過去世であったアマテラスの頃、
日本中を外交的にまとめることをしていたと、
そして、
卑弥呼だったころ、
船で移動して日本各地に拠点づくりをしていたと、
対談で話しておられる著書を読んだことがあります。
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もひとつオカルティーすると、アメリカのマクモニーグル氏に
卑弥呼を透視してもらうという企画があって、
その透視結果の中に
卑弥呼が農耕などをもたらして信頼を得た、
というような記述があったことを思い出しました。
(当時、氏は日本の古代史を何も知らない。)


そういえば、徐福(じょふく)も大陸から
多くの少年少女を連れて来日し、
日本中にいろんな樹木を植樹したんじゃなかったでしたっけ?

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彼らはまるで、
日本を発展させる使命を持っていたかのようで不思議です。
支配ではなく、国土の発展なのです。
それも何世代、何百年にもわたって。

なぜなのでしょう?
(同時代、世界は戦争と侵略が普通でしたよね?)

間違いない事実は、
その大きな愛あるプロジェクトの中で
ご先祖さんたちは豊かさを享受し、
我々の世代までDNAは途切れることなく
いま、この世代まで「日本」は続いている。ということ。
(実は同じ土地に同じ遺伝子を持つ人々の文明が続いているのは日本だけ)


我々はもっと、
この国を形作った人たちのことを、
純粋な愛を、
(正しく)知らねばならないのではないか?


そんなふうに思えてきた、隠岐旅行の夏なのでした。
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(豊かに実る加茂の稲穂。別雷神もきっと満足しておられることでしょう)


・*:.。. .。.:*・゜゚・* ☆


さてさて、
午前中に目的の加茂那備神社の参拝を果たし、
まだ隠岐出立の船まで時間がありましたので、
他の島後の見どころにも連れて行ってもらえました。

お次は、島後の素敵なスポットを
写真と共に紹介したいと思います
(╹◡╹)


いざ、島後観光へ!
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(加茂の港)