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赤名八幡宮②丹塗箭神話を比較 ちょいやばい?



『赤穴八幡宮①』のつづきです。
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前記事から日にちが経ちすぎてしまい、
きっともう①を読んで下さった方も
内容を覚えていないかと思います・すみません(汗)

島根の飯南にあります赤穴八幡宮(あかなはちまんぐう)には、
一般に『丹塗箭神話(にぬりやしんわ)』と呼ばれる、
赤い矢によって日女が妊娠・神の子を生むという
神話が伝わっています。

(赤穴八幡宮)
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最もメジャーな丹塗箭神話
京都の加茂神社の伝説でもある、山城国風土記のものではないかと。

で、
赤穴八幡宮の神話も登場人物神様のお名前が同じなので
ああ、ここも山城国風土記のものと同じ
丹塗箭神話が伝わっているのね~と思っていましたが、
よくよく読んでみると、
ものすごく大事な部分に違いがある
ことに気づきました。


その説明をしたくて、
宅の山城国風土記丹塗箭神話が載っている本およびコピーを
探しましたですよ(引っ越しいらい場所が分からなくなってます)

何故かあるはずの物が見つからないので、
京都の古本まつりで購入して以来、一度も開いていない
ホコリだらけの古っっるい『風土記』本をついに開きました。
(虫やカビが飛び出してきそうで怖かったのです(笑))

出版年を見ると、なんと60年前の出版です。
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中は意外と綺麗でほっとしました。

より古いものの方が良いんですよ。
後世のものになるほどアレンジのアレンジになって
原本から内容が離れる恐れがあるので。

どんなものよと、ふと開いたページが
ズバリ山城国風土記丹塗箭神話のところでウオッてなりました(笑)
500ページ以上あるのに不思議です。
あるいは奇跡の無駄遣いかもしれません(笑)
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古い時代の漢字がズラ~ッの原文と、その現代語訳。
現代語訳には注釈もみっちりついていて秀逸な本です。

これが原文に「より忠実」な物だと信じて
内容を簡単に絵付きで説明します。


山城国風土記の丹塗箭神話


可茂の社(現・下鴨神社)の可茂(かも)というのは、
日向(ひむか)の曾(高千穂の峰)に天下った神、
加茂建角身命(かもたけつぬみのみこと)。

加茂建角身命
神倭伊波礼毘古(かむやまといわれびこ/初代天皇・神武のこと)を先導して
大和の葛木山に宿った。(神武を先導したヤタガラスのこととしている)。

彼はやがて山代の国の岡田の加茂に遷って来た。
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山代河を下って葛野河(現・桂川)と賀茂河の合うところに来た。
(そこは石川の瀬見の小川と名付けられた。)
さらにその川を上って北の山基(西賀茂)に定まった。
(この地が下鴨神社の旧社地と伝えられている。)
その時から加茂という。


加茂建角身命丹波(たにわ)の国の伊可古夜日女(いかこやひめ)
との間に子供をもうけ、
その子は玉依日子(たまよりひこ)という。
次に生まれた子は玉依日女(たまよりひめ)という。
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玉依日女が瀬見の小川で川遊びをしていた時、
丹塗矢(赤く塗った矢/男神の霊代)が川上から流れてきたので、
それを取って床の辺りに挿しておいた。
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そうすると玉依日女は身ごもり、
男の子を生んだのだった。
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男の子が成長して大人になった時、
外祖父・建角身命は大きな建物を作り、戸を閉じてこもり、
たくさんの酒を醸した。
(子供の父を知るための祭の誓酒)

そこへ神々を集め、七日七夜うたげをした。

そして建角身命は男の子に言った。
「お前の父と思う人にこの酒を飲ませなさい」と。
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すると男の子は杯をささげ、天に向かって祭ると
屋根を打ち破って天に昇った。
建角身命のみ名により(男の子は)加茂別雷神と號(なづ)く。

丹塗矢は乙訓(乙訓郡長岡町)の社に鎮座される
火雷神(ほのいかづちのかみ)であった。
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という話です。
訳の解釈が間違っていたらすみません。

山城国風土記の話を読むと、加茂建角身命が日向から
神武天皇を奈良の大和に連れてきたように読めて不思議です
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そして神武天皇はそのまま大和にとどまり、
加茂建角身命だけが京都に来たようにも思えますが、
父は京都の出雲路の由来について、
神武天皇が来た時に加茂族がそこまで迎えに出て行ったんや。
それで、神武天皇がふり返って、
ここの空は出雲の空と同じだな・とゆったから
出雲路っていう名前がついたんや」
と話すのです。

(賀茂川にかかる出雲路橋。出雲族もたくさん居た)
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神武天皇が京都に来たことなんてあるのかと問うと、
「しらん!そう伝わっとるんや(怒)」
と逆ギレ。

当時は父の記憶違いと思って流していましたが、
この頃はもしかして神武天皇に相当する人物って…
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と、
モヤモヤした妄想が頭をめぐるのです。

あんがい父の伝え聞いてる話は裏真実だったりします。
父方の家系は相当に古くから京都にずっと居た一族であるからして…。


では、
次に赤穴八幡宮に伝わる丹塗箭神話を
簡単に説明します。



●赤穴八幡宮に伝わる丹塗箭神話


赤穴八幡宮は1648年に宇佐から勧請したのが始まりと言われているが、
実はその前からここには加茂の神々が鎮座しておられた。

それは神代の昔、
建角身命(たけつぬみのみこと)の姫の玉依姫
ここの女神山(めんかみやま)に住んでいた。

あるとき姫は箭山(ややま)へ行った。
するとそこへ天から光り輝く物が飛んできた。
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よく見るとそれは丹塗りの矢だった。
そしてそれは、
鸕鷀草葺不合尊(うがやふきあえずのみこと)の物であることが分かった。
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姫が矢を拾い上げると、姫は身ごもり、
そして、赤穴山の裏手で別雷神(わけいかづちのかみ)を生んだ。

祖父の建角身命は喜び、祝が原に泉山の酒をくみ、
別雷神に向かって
「お前の父はどこに居るのか。父にこの杯を捧げよ」
と言われた。
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すると別雷神はすっくと立ち、光越を越え、
男山をさして登って行ってしまった。


玉依姫は丹塗の矢を赤穴山にさしておいたが、
それがいつの間にかなくなってしまっていた。
姫はさびしさに耐えかね、はたを織りながらまどろんだ。
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すると夢に丹塗の矢が再び降りてきた。
ハッと目を覚ますと、そこにまさしく矢があった。
すると、
別雷神もまた帰ってきて、
「この辺りはモミの木が茂って良いところだ」と言い、
宮を建てて鎮まった。
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隠岐の神話では、別雷神隠岐で生涯を終えますが
赤名八幡宮の神話では
別雷神は母の元に戻ってきて家を建てて住むのでした。
めでたい話じゃのぉ。

とぼんやり感心していましたが、
この赤穴の神話の中にはすごく重要なことが伝えられています!
山城国風土記と違う部分でとても重要な所、
気付きましたか?

それは、
丹塗の矢の神様

山城国風土記 ⇒ ほのいかづちのかみ
赤名八幡宮 ⇒ うがやふきあえずのみこと

という違いです。
これちょっとした違いのようで、
どえらい違いです。
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何がどえらいのよ?というと、

建角身命、玉依日女、別雷神の系譜を
それぞれ図で表してみますと、


山城国風土記の別雷神の系譜】
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玉依日女は地元の神様との間に別雷神を生みました。

お父さん(おじいちゃん?)の建角身命は日向から京都に来て、
丹波からお嫁に来た姫と結婚しています。



一方、

【赤名八幡宮の別雷神の系譜】
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え、別雷神が初代天皇神武ってことに?
という不思議な図式が頭を巡ります。

鸕鷀草葺不合尊(うがやふきあえずのみこと)記紀では
初代天皇神武のお父さんとされている神様です。
つまり、
天皇家の祖であります。

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山代の国の地元の神様と、初代天皇の母が同じ名前なんて、
そんなことってあるのかな?と
ずっと不思議に思っていました。

父いわく
「昔は最初に生まれた女の子はみんな玉依日女て名付けたんや」
と。まあそういう風習もあったかもしれません。

が、
それなら神話にもっとたくさんのタマヨリヒメさんが居ないと
おかしいんじゃないでしょうかね?

京都の下鴨神社にも
玉依姫の神様が河合神社と三井社の二つに鎮座されていて、
(三井社)
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そこでそれとなく神職さんに
この二柱の神様は同じ神様なのか聞いてみたのですが、
「昔は魂(玉)が女性に依ってきて妊娠したと思われていたから」
と、これまたちょっとあいまいな返答が返ってきたのでした(笑)
(下鴨神社内の河合神社)
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でも、

実は、京都の加茂神社の玉依姫
神武天皇のお母さんの玉依姫
同一人物であったと考えたなら?


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鸕鷀草葺不合尊日向の神様とされています。
建角身命日向からやってきた

下鴨神社の昔の名称は
賀茂御祖皇太神宮だったと記憶しています。

賀茂御祖皇太神宮。
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(下鴨神社。別名・御祖(みおや)神社であ~る。)

これって皇族の祖先だと言ってるようなもんじゃ…
(飛鳥昭雄氏もこのことを指摘しておられました。)


ええ、まあ
別雷神日向から来たのではなく、おじいちゃんが日向出身。
ですけどね。
ですけど、
神武天皇日向の美々津海岸から船出したんですよね?

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・・・・もしかして、
皇族の本当の祖先は加茂神社の神様(加茂族の祖先)で、
しかし、
後から入ってきた天神族に国を乗っ取られて、
加茂の祖先の経歴も背乗りされ
(つまり加茂のご先祖さんの歴史が後から来た天神族の系譜にくっつけられた)
天神族の都合に変更された神話が記紀として正式な神話になったが、
地方に残る伝承までは書きかえられなかった…

・・・・とか?


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ではなぜ加茂の一族は殲滅されず、
(と言うか、裏天皇ヤタガラスとしてこちらが本もの説あり)
高い地位を持って皇族に仕えてこられたのか?

私は考える。

本当の初代天皇だと言われている
第10代天皇崇神が即位した時のこと、
国は「呪いで」気候が荒れ、疫病が流行ったと。
その時、
崇神に仕える巫女の出した神託が、
大田々根子(おおたたねこ)に祀らせよ、みたいな感じで
(うろ覚え。すみません。)

大田々根子崇神が制圧する前の国つ神を祀る者。
つまり崇神が倒した原住民の呪いで苦しんでいたので、
その原住民に神を祀らせて呪いを治めよう…
みたいな?

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で、
その大田々根子の孫が加茂氏の始祖とされている…
(つまり加茂が国を治めないと国に災厄がある)

始祖と言っているが、実は…


ブログのタイトルに「ちょいヤバイ」と入れたのは
そういう疑念のことでして、はい。


……………………………………………


この辺りの話は深いです・・・
いずれ、欠史八代の実在説と併せて
改めて持論を展開してみたいとぼんやり思ってます
(-ω-)/

今回は赤名八幡宮の丹塗箭神話を知っていただけたら
満足であります。

『赤穴八幡宮③』につづく ⇒