オリガミ ヲ キリガミ オカルティー(総合)

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人に期待してしまう行為は…【後編】 期待されてしまう側



のつづきです。
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オカルティー読書の抜粋記事です。
苦手な人はスルーしてね☆

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前記事では、

「相手に期待する」ということは
互いをがんじがらめにする不自由なものだ

という内容を抜粋しました。

それでも勝手に期待されてしまった時どうすれば良いのかで、
バシャールさんの

「周りの期待といっても、あなたが受け入れなければ、
それは周りの期待として受け取られることはないですね。」

を抜粋。前回はここまででした。

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(写真は島根から広島への道中でーす。)


そこにさらにこちらを補てんしますね
植西聰さんの「7ステップ」という本に
このようなゴリッと力強い言葉が述べらておられました。

「あなたの生き方に関する他人の意見は、
建設的でない限り、耳を貸す必要は無い。
良くも悪しくも、他人の意見・忠告というものは、
あなたの心を通過しない限り
影響を及ぼさないものなのです。」


あん?他人の意見?
んなもん為になること以外スルーな。
自分が心にとめなきゃとどまりもしないしさ。
てなもんですね。
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さらに
悪影響になっているモノを取り除く方法として

「自分の行動をつぶそうとしている人が誰なのか、
観察してみて、そこから自由になることが、
自分を大切にすることにつながっていく。」

と。

ここで言う〈自分の行動をつぶそうとしている〉ものを
人から投げかけられる「期待」として解釈したなら、
それは〈悪意なき期待〉なのかもしれません。

自分をつぶしてしまう(力を削いでしまう)期待が
誰からのどのようなものなのか、
精査して、
余分な期待はスルー・と。
そうやって自分を
「期待」という名の重石から
開放することも時には大事なのかもですね。

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また、
デイヴィッド・アイクさんは「さあ5次元の波動へ」
このように話しておられます。

「問題は、
他者を規範でもって威圧しようとすることから発生する。

皮肉にも平和的に他者の価値観を認める態度こそが、
混乱ではなく調和を生むのです。」


「規範」の名を借りて
あなたはああするべきです、こうするべきです
という威圧を人にかける。
頭に描く理想像を人に実行させたいという
他者をコントロールしたい意識ですね。
それも
「期待」の一種でしょう。

その他者をコントロールしたいという稚拙な「期待」こそが
問題と混乱を生むものなのでした。

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(人に期待するということは振動数を低くする行為である、
というオカルティー界の考え方にそっています。
人の霊性の高さは振動数の高さに比例するそうです。)

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では次に、
【人をコントロールしたい意思】の対極の在り方
(つまり霊性・振動数の高い在り方)について
オカルティー読書からヒントを導き出してみたいと思います。


前記事に抜粋した内容にもちょいちょい出てきましたが、
「他者に期待する」低い精神性の逆は、
〈他者の価値観を認める〉
ことだとアイクさんは言っています。

『ああなってほしい、こうなってほしい』
ではなく、
その人はそれで良いのだと認める、ということですね。

難しい。さりげなく難しい(笑)

難しいけれど、
たとえば、
いっけん間違っているように見える人がいても、
それは宇宙から見れば
間違っていないのかもしれませんからね…(´-ω-`) ムズカシイ

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世の中、
「これが正しいですよ」という価値観が溢れています。
が、
よく考えたら、
その価値観はいつの時代、誰によって作られたのかを
我々は誰も知らない。

価値観を作った人間が正しい人間かも知らないんですよね~。

だから本当に「正しいこと」なんて誰にも分からない…
そんな気がしてきた中年の冬。


とりあえず、
「こうすることが正しいんです。あなたはそうするべきです」
に、
あなたの心が違和感を感じた場合には、
「私にその理想を体現する義務はありません」キリッ
でいいのかもしれません。


前回記事で抜粋したダイアーさん著書にも

「この人は、私に何の義務もないのだ。」

「私たちは、自分の魂に全責任があるだけなのです。」

とありましたね。

「人になにかを求めていると、本当の自由は味わえません。」

の言葉も、
なんとなくわかるような気がします。
人に求めない・期待しない在り方の方が
相手も自分自身も本来の自分になれて
自由になれる…と。

ううむ。

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完全に余談なのですが、
この頃、人の彼氏・彼女を略奪することに
良心の呵責を感じない人が多くて驚いている次第です。

そういう人たちいわく、
「結婚していない男女なら法律にも触れない。
独身なら完全に自由恋愛。
彼氏・彼女がいようが誘うことも、
また、誘われた方が誘いにのることも自由だ」
と言うわけです。

いや、私が言いたいのはそういうことじゃなくて、
略奪した人のパートナーが
精神的ショックを激しく受けることを承知のうえで、
自分の欲望を優先して意図的に略奪に動くことに
「自由」とかそういう言葉使うのって、
おかしくないか?

ということなんですが、

まあだいたいそう言っても議論は平行線です。

(この場合のあなたそれおかしくない?は「相手にこうあってほしいの期待」
の範疇外だと私は認識しています。)


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「準備が整った人に、奇跡はやってくる」
ダイアーさんが言っている自由で解釈すると、
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たとえ自分が興味を持った相手でも、
その人に、お互いの気持ちで付き合っている人がいるのなら、
その事実(相手の心)を認めることで
相手も自分も自由を味わえる、
ということではと解釈。

横から恋心抱いて、
「欲しい欲しい、なんであの人にはあの人がいるの!」
と悶々とする状況も、
「誘って何が悪いの?!恋愛は自由だもん!」
という在り方も、
自由からは程遠い精神状況だと思うんだけど…。


まあそんなスタンスだから↑
私は今日も独身爆走中なんだと思うけど(笑)

正直、これまでたくさん
「浮気のお誘い」や「付き合ってくれるなら今の彼女とは分かれるよ」
はありましたよ。
それでも、その誘いにのらなくて良かったと、
本当に思えるんです。いつふり返っても、です。
それはなぜかと言いますと、

人の不幸の上に自分の幸せは築けない。
↑これほんと。

(何か意味のある時にしか現れない銀色の光が、
今すごい勢いで2つ、左手の上を通って行きました。
上の文に何か意味があるのかな?)

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(広島にも葛がいっぱい茂っていたー)


かなり関係ない話に逸れましたが、
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そうそう、
オリンピックが近づく度にマスメディアの
下世話な「国民の皆さん、選手たちに期待しましょー!」
が激しくなるので、
それに煽られて精神性の低くなる「期待」
してしまわないよう、気を付けましょう✨⭐️

という話でしたね。
いや~脱線しましたね。

あえて一視聴者として
オリンピックに何に期待するかと言うと、
楽しく観戦することでしょう。

深夜であろうが連日、
お菓子をムシャムシャ食べながら何時間もテレビを見る。
2年に1度許されるだらしなさであります。

応援に行ける人は、
応援に行けるワクワク感も
「期待」できることですね。

そのイベントに対して自分が取る行動に
期待するわけですね。
これ、誰も苦しみません。
意味のないガッカリもありません。

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(これは帰りの道すがら。広島での日の入り。)



おまけに、
エササニ星の知的生命体、バシャールさんの言葉を
抜粋しておきたいと思います。

「あなたのフィジカルマインドが
『現実はこんなふうにならなければいけないんだ!』
と強く主張していると、
実はその時あなたのハイヤーセルフハイヤーマインド)
さらによりよい形で実現を発展させようとしているのに、
それを阻んでしまうことになるのです。

勝利しているというエネルギーを、
あたかもすでに勝利したかのように感じてください。
それと同時に、絶対こうしなければいけないんだ、
こうならなければいけないんだという
期待を手放すことです。」


”期待を手放したほうが願いが叶う”
これ、引き寄せ界の鉄板ですね。

意図することは大事だが、
それ以上の願望は実現の妨げ、というあれです。

我々人類はまだまだ発展途上。
「期待」(願望)というものを
なかなかにコントロールできないのでありました。

でも、
捉え方は確実に進歩してきているんじゃないかな~?

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終りに、オカルティー読書の
素敵な金言をいくつか抜粋しておきます。


奇跡のリンゴで一躍有名になられた
木村秋則さんの「すべては宇宙の采配」より

「人間がすごいのは、「思い」や「気持ち」の持ちようで、
物事をいくらでも変化させられることです。
心の目が開くのです。
その力は、だれにでも、いつでも発揮できます。」



ウエイン・W・ダイアーさん
「準備が整った人に、奇跡はやってくる」より

「まず心の中で可能だと思う---それが出来なければ、
可能性も拓(ひら)けません。」

「どんなことでも、自分で限界を決めつけていると
「奇跡の実現」は遠くなるだけです。」

「自分に対する疑いさえ捨てれば、何でもできるとわかりました」



バシャールさんの「ペーパーバック」より

「自分の観念を取り除いて、これしかやり方がない、
これしか方法が無いという観念を取り除けば、
もっとやりたいことを
スピードアップすることができるということです。」


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(道中、素敵なうなび山を発見。なんときれいな左右対称!)



ローマは1日にしてならず。

オカルティー
1日にして理解できず。

頭にぼんやりとでも入れておけば、
あるとき急に理解できたりするのが
オカルティーの面白いところです。


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(うなび山の引き写真。高速だったのでトラックいっぱい写りましたすみません)



※抜粋箇所以外は
ただ私の個人的考えであります。