オリガミ ヲ キリガミ オカルティー(総合)

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『期待に応えない』という強さ



横綱稀勢の里関が引退されました。
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ずっとモンゴル人横綱が続いていたこともあり、
稀勢の里関が優勝を決め、横綱に昇進したとき
久々の日本人力士誕生に世間はわいていました。

私ですら、
日本人横綱が誕生かもと世間の注目が相撲に集まっているとき
にわかに観るようになっていたぐらいですから、
当時はかなりの注目だったんだと思います。

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しかし、
私の記憶が正しければ、
横綱昇進をかけていた時の場所で、
すでに稀勢の里関は負傷に苦しんでおられた気がします。

そして

なんとか怪我をおして優勝をつかみ取り、
横綱になられた、その時に、
本当は次の場所は休まないといけないことを
自分の体のことですから、
稀勢の里関は分かっておられたはずです。イメージ 3

それでも真面目で、責任感の強い稀勢の里関さんは
日本中の人が自分の横綱昇進を喜んでくれたことや、
横綱という特別な存在であることの責任感、
そして
たくさんの人が寄せてくれている期待に応えたいという思いで、
横綱昇進後の最初の場所に
無理を押して出られたのではないかと思います。

こういう時の心理としては、
気合いと情熱で押し切れるような気がしてしまうのかもしれません。

一連の戦いの中で、無理を押しても頑張るシーンが多いとつい、
いつもよりは無理をしてるけれど、
それでも今回も何とかなる…気がしてしまう・みたいな。

やっている途中のことが、すごく盛り上がっている時に
「ここで寸断したくない」という心理も
ふつうははたらきますよね。
「いや、ここで止めたくないんだ、やりたい!」みたいな。

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私はスポ根とは180度違う世界にいますが、
人に期待されると応えたくなる、やってることを中断したくない、
その気持ちは分かります。
それは人間のさがみたいなものだと思います。

この私ですらも、
手作り市に自分の作った品物を出品するために連日創作していて、
途中、酷使で目が不調になりました。
が、
そこで手を止めることができませんでした。
あと2日3日の頑張りじゃないかという時は
そんなことより少しでも創作したくなってしまうのです。
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目が痛い痛いと思いながらも徹夜し、
市の前日にも徹夜して創作を続けました。

市の当日、早朝から出店し、
夕方まで砂ぼこりの舞う所で待機していました。
ほとんど見向きもされなかろうが、
やはりそこには自分が待機していなければという
よく分からん責任感に突き動かされるのです。

結果、弱った目に砂ぼこりを浴び続けてしまい、
この時以来私は非常に目を痛めてしまいました。
もうずっと、
エブリデイ、白目が充血状態を不必要にキープ。
病院に通い続けても治らず今に至ります。

ちなみに、
手作り市で出品した品はほとんど売れませんでした(笑)
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振り返ってみればアホだなと分かるんですが、
ちょっとした無理を押したつもりで、
結局、一生涯の体の負債を背負てしまったのです。


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稀勢の里関の話に戻ります。

凡人以下でも、気分が高まっていると
無理を押して頑張りたい心理になるというのに、
ガチで多くの人の期待を感じていたであろう稀勢の里関が、
ここで
「いや、優勝戦で体を痛めましたので、
横綱としての初戦は休場します」
というクールな決断は…
難しいですよねぇ~

どんな難しい技を駆使するよりも、
これは難しい心の技なのだと思います。


そうして

無理を押して出場された場所での取り組みで
さらに負傷が深刻になってしまわれたのでした。
(途中欠場されたんでしたっけ?)

それだけならまだしも、
横綱は何場所も休むもんじゃない!という昔ながらの価値観が
稀勢の里関に始終プレッシャーをかけ続け、
充分な回復に至らないまま出場しては
実力を発揮することができず、

ついに今場所、
引退を決められたのでした。
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敬愛する北斗の拳のキャラクター、ラオウの最後の言葉のように
「一片の悔いもない」と、応援してくれた人たちを気遣うように
おっしゃられましたが、
そりゃあ、そりゃあ、
っっっっっっっやしかったと思いますよ
ある実力を出せないまま
横綱を終えなければならなかったんだから。

私でも見ていて切なくなってくるぐらいです。
この結果をご本人が切なくないわけがありません。

せめて
横綱はこうあるべき」というプレッシャー関係なく、
ご自分が辞められるタイミングぐらいは
ご自分の満足いくタイミングで選ばせてさしあげたかった
(´;ω;`)
でしょう?

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ぶっちゃけ、
期待してますという人々の、
その期待に応えて頑張って、そのせいで人生えらいことになっても、
その人々はな~~んも保証しちゃあくれません。

期待してますよ!の多くの人は、
ぼんやりと勢いあるものに乗っかって、
『期待してま~す♪』と軽く便乗しているだけで、
期待している人に勢いが無くなってくると、
他の人にまた便乗期待するにすぎないでしょう。

自分の人生に責任を持つことができる存在は、
自分しかいないのです。

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その世界に息長く関わっていきたいと考えているのなら、
冷たいと思われようが、
『期待してま~す』の人々に冷や水を浴びせることになろうが、
周りの期待に応えないという決断
その世界でやっていく人間になるためには必要なのではないでしょうか。
自分の人生のためにも。

感情を優先して体の悲鳴を無視してはいけないのです。

(昔はそういうのが美しい時代もありましたが…

もう今年で平成すらも終わります。)

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(ラオウ意識してるよね?)


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(やっぱりラオウ意識してるよね?)






よく考えてみて下さい

人の心や体は大切にすべきだけれど、

この世に参加するに至ってあずかった自分の心と体こそが、

いちばん大切にしなければならない、

「私の担当する」

一番大切な心、体、人生です。





ここで体を休めなければ、後々まで悪影響が出るかもしれない。

でもたくさんの人が期待してくれてるし…

今までたくさんの人にもお世話になったし…




さて、こういう時どうする?


あなたがその道の求道者なら…



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期待に応えないという強靭な精神を、
正しい自己愛を、
ぜひ身に付けて、長く活躍なさってください。



ちなみに、
あなたのことを本当に大切に見守っている人は、
そういった時に
無理してでも取り組んでほしいなんて思ってないものです。

周りの人たちのためにも
自分を大切にしましょう。まる。