ニジンスキーにというより、プル様はプル様だった件①
いよいよフィギュアスケートの世界選手権開幕ですね。
ところで今季、羽生結弦さんが
プル様ことプルシェンコさんの2004年に演じた代表作の曲を、
リスペクトを込めて演じるという試みをされています。
細かいことを調べるでもなく、
いつも演技を印象だけでちゃーっと見る私は、
今回、改めて羽生さんが演じたことで話題となっているのを見て、
初めて「あの」プル様の演技が
ロシアの天才的バレエダンサー、ニジンスキーを
モチーフにしていたのだと知った次第です(遅っ!)
あーしかし、
あの力強くて皇帝感満載だったプル様のあの演技が
『ニジンスキーに捧ぐ』ものだったとは。
私が思っていた繊細で生きることに不器用だったニジンスキーと
だいぶ違ったので「えっ」と驚きました。
まあ、
漫画からなんですけどね。
↓
ニジンスキーを身近に見ていた
バレエマスターのフォーキンの目線で描かれた
山岸涼子先生の『牧神の午後』です。
この本には作品の説明はありませんでしたが、
おそらくフォーキン氏によるニジンスキーの伝記を
分かりやすい漫画に仕立てられたものです。
人が狂気していく過程を描かせると右に出るもののない
山岸先生が描いているので、
文字で伝記を読むよりもたぶん
心理描写がかなり細かく、分かりやすいはず。
こちらの
輝かしい天才ニジンスキーの影の部分に焦点が当てられている
『牧神の午後』をちょっとつまみつまみ、
紹介させていただきたいと思います。
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ロシア・バレエ団のバレエ・マスター、フォーキンは
パリで行われる舞台の設営に大忙しだった。
パリでのバレエ開催を取り仕切る
支配人のディアギレフ(セリョージャ)は同性愛者で、
彼がこのところ目をかけているニジンスキー(ワッツァ)という
バレエダンサーが居ることをフォーキンは知っていたが、
背も高くなく、ハンサムでもない、
この頃まだ関心は無かった。
ちなみに、
しかし
フォーキンは大部屋で支度をするニジンスキーの
ミステリアスな変化を目撃する。
大人しくて地味なニジンスキーが
役柄に入りこむその瞬間、まとう雰囲気が変わる。
変身?! そんななまやさしいものじゃない、
あれは憑依だ!
それはフォーキンが初めて目にする
ニジンスキーの天才性の一端だった。
薄く笑みを浮かべて踊るニジンスキー。
(たぶん非常に集中してゾーンに入ってる。)
衝動的に舞台の中央から袖のカーテンまで跳躍してしまう。
(ニジンスキーはいつも無意識にフリを変えてしまっていた)
そのトンデモナイ跳躍に観衆はびっくり仰天。
ありえない妙技は続き、
たちまちニジンスキーの評判はパリ中にとどろく。
大好評のパリ公演の最終日、ふと座り込むニジンスキーに
フォーキンは声をかけるが…
「ちょっと座りたいらしいんだ」
謎多き不思議のニジンスキー。
その後、人々は
彼がチフスにかかっていたまま舞台に立ち続けていたことを知る。
高熱が出ていたにもかかわらず、
ニジンスキーは自分が病気だと考えもしなかったという。
フォーキンは愕然とする。
ニジンスキーには自衛本能がみじんもない!
伝染の恐れがあるチフスを怖れ、誰も近寄らなかった中、
彼を愛する同性愛者の
セリョージャ(ディアギレフ)だけは熱心に看病した。
それがきっかけになり、ニジンスキーは完全に
彼の保護下に置かれるかたちとなった。
しかし、
彼が本当に求めていた愛は…
ある時フォーキンは目撃する。
妹と共に公演を観に来た母。
ところが母は目の前のニジンスキーに目をやることもなく、
妹と話し込み続ける。
母の愛を求める彼の空しい手を握ったのは
セリョージャだった…
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とある公演を袖から見ていたフォーキンは気付いた。
ニジンスキーの背後から立ち昇る黄金の光に。
”彼は人間を越えた<何か>なのか?!”
それから度々、フォーキンはニジンスキーの黄金の光を
目撃するようになる。
それは彼の憑依状態が頂点に達した時に発せられるものだ、
ということが分かるようになった。
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さて、
『天才ニジンスキー』に興味を持って近づく人たちはたくさん居たが…
いつも受け答えが残念なニジンスキー。
フォーキンは彼が無意識に超絶技を繰り出していることを
理解していたが、
一般の人たちにそれが理解されようもなく、
何かを『期待』した人々は失望するのだった。
それを察して傷つくニジンスキーは
無口になっていく。
彼の”感覚”を誰も理解できないし、真にも受けない。
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ある時、フォーキンは質問した。
ワッツァ(ニジンスキー)、4m半も跳ぶなんて
よほど勢いでもつけてるのか?
別に…跳べるような気がしたから。
『気がした』
この言葉にフォーキンはあることを思い出した。
スプーンを持っただけでグニャリと曲げてみせる子供に
どうしてそんなことができるのか聞くと、
「曲がるような気がするんだもん」
しかし成長と共に
≪堅いスプーンが飴のように曲がるはずがない≫
という現実を認識するにつれ、スプーン曲げは出来なくなったという。
不可能なはずの跳躍を、跳べると信じて飛んでみせるニジンスキーは
既成事実にとらわれない(現実を認識できない)子供と同じなのだと、
彼の危うい天才性の源に気づくフォーキン。
既成事実にとらわれない = 現実を習得できない
ゆえに
その時その時の感情を新鮮に味わえる。
この感受性がゆえのニジンスキーの黄金の光だったのだ。
しかし、そういった人間は日常生活の摩滅(現実生活)の中で
あっという間に消耗してしまうだろう…
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1911年、
ニジンスキーは劇場に解雇される。
(男性舞踊手はタイツの上に半ズボンをはく決まりだったが、
ヨーロッパ式にタイツだけで踊ったという理由で。)
劇場側のニジンスキーへの妬みゆえだったという…
(なかなかしょうもない人間関係にもまれていたんですね)
さっそくニジンスキーを獲得すべく、
バレエ団を立ち上げるディアギレフ(セリョージャ)。
何もかもがセリョージャのものになってしまう
さて、
ディアギレフの立ち上げたバレエ団で
踊ることとなったニジンスキーですが、
画像が容量オーバーになるので
②につづきます ⇒