天安門事件を扱った、当時の雑誌【閲覧注意あり】
6月4日は、北京で六四天安門事件が起こった日だそうなので、
宅にあった1989年当時に出版された
「激動の中国 人民解放軍」という雑誌から
画像をUPしてみたいと思います。
親が買ったようなんですが、
引っ越しの時にこれをゴミ箱から発見したのでした。
当時の空気感そのままの雑誌というのは後に
重宝されるのではないかと考えた私は
ゴミ箱から引っ張り出して、それを自分の荷物に入れました。
とはいえ、
正直、天安門事件とか興味がなかったので
とくに読むわけでもなく、
そのまま私の書棚に眠っていて、どうしようかなと…
ということで、
世の興味ある人に向けて
画像だけUPすることにしました。
怪我人や遺体の写っている画像もありますので
閲覧にはご注意ください。
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血に染められた民主主義
(戒厳軍と対峙し、投石で対抗する学生たち)
「血の日曜日」以前は、対峙はしていたが学生と軍隊の間には
”討論”する余裕も残されていた
武力弾圧の前、武装警官隊と交渉する学生たち
天安門広場でハンストする仲間を見守る学生たち(5月末)
天安門広場でハンストしている学生たちの状況を知らせるプラカード。
「7時30分時点の断食昏倒者は323人。80時間」
と言った字が読める
6月4日の弾圧以前の天安門広場には中国全土から学生が押し寄せていた。
写真左は南京鉄道医学院の学生たち。
広場には学生たちに呼応して連日一般市民も詰めかけ、
連帯感も示していた。
6月4日、まだ夜も明けやらない早朝、鄧小平軍事委主席をはじめとする
天安門広場はついに血の海と化した。
顔面を硬直させた軍人に取り押さえられる学生
市民・学生の抵抗にあい炎上する弾圧軍の装甲車。
北京の中心街に突入した戒厳軍の戦車に踏みつぶされて炎上する
バリケード用のバス
【閲覧注意】
遺体の写った写真がありますのでご注意ください
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学生や市民に発砲し、怒った民衆に殺され、
さらしものにされた戒厳軍の兵士
夜が明けても戒厳軍の鎮圧行動は厳しさをきわめていた
天安門で戒厳部隊が鎮圧行動を展開しているころ、
軍と政府首脳の消息は途絶えていた。
激しい権力闘争が繰り広げられていたのだという。
写真は学生運動が激しくなる直前、
軍首脳の会議に姿を見せた権力者たち。
「血の日曜日」が過ぎても、北京の混乱は収まらなかった。
黒煙がたちのぼる長安街
戒厳軍の無差別発砲は学生・市民はもちろん、
老若男女を問わなかった。
その犠牲者は2千人とも3千人ともいわれている。
軍の犠牲になった学生・市民の遺体は
道路のあちこちに放置されたままになっていた
(怒った学生・市民に焼き討ちされたバスに吊るされる
鎮圧軍兵士の死体)
天安門で軍隊の発砲で負傷し、男子学生に救出される女子学生
天安門広場のデモ隊鎮圧に向かう戒厳部隊
政府の戒厳令施行と弾圧に対して抗議集会を開く学生たち
(下左)学生運動の指揮をとった紫玲さん(23)。
政府の”指名手配”を逃れてオーストラリアに保護されたとも言われているが…
理論的指導者といわれる反体制物理学者・方励之夫妻
天安門で戦車に踏みつぶされた学生の遺体を運ぶ医療関係者
病院に並べられた遺体の中から、行方不明の知人を探す市民たち
北京西部の仮説死体置き場に並べられた市民の遺体
北京の病院に横たわる銃弾の犠牲者たち
解放軍の銃口に撃たれた学生・市民
在日中国人留学生たちの抗議デモ
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という画像の数々でした。
買い求めようにも、いまや出版社もないようなので
ここにいくつかを載せておきました。
私はつぁ~っとページをめくり見しただけですが、
そこから感じられたことは、
昔の中国人は国を変えようという気概があったんだな、
ということと、
中国上層部は自分たちの権力のことしか考えてないんだな、
そして、
なによりも自国民を一番恐れているんだな、
ということでした。
しか~し、
時代でしょうか、
丸ごと1冊天安門事件特集かと思いきや、
特集は4分の1ぐらいの紙幅で、
その他には
「中国人民解放軍はすごいアル」
「日中戦争で日本軍は残虐だったアル」
みたいな展開に。
そして、
今や中国式処刑写真を「日本軍の蛮行」にすげ替えたことで
けっこう有名になっているあの写真も確認。
中国人による中国人の殺害写真であったり、
災害で亡くなった人たちの写真であったり、
日本軍の服を着た自作自演写真である証拠の本を
私は読んだことがありますので、
こういう写真を見ると
「あ~、日本国内で日本サゲ活動してる出版社なんですね~」
という感想になりますが、
当時、
こういうものを何の知識もなく見せられた人たちは
真に受けたことでしょう。
この本「新人物往来社」と、発行人・菅英志
という人がどういう人か気になって調べたところ、
1976年に父の出版社を受け継いだ菅英志氏が社長に就任。
そして翌年、
さっそく出版している本が
あのウソの供述で「従軍慰安婦」という存在を作りだした
(正しくは、従軍ではなく、募集した慰安婦です)
この出版社だったのか。
もう吉田清治という名前が出てきただけで
お察し中のお察しでした。
ある意味、
天安門事件の衝撃写真よりも
もっとどす黒い日本国内の闇を見た気分でした(笑)
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中国の「日寇暴行実録」によると
この写真は
「日本軍の行くところ略奪されて鶏も犬もいなくなった」
とのことで、
日本軍の略奪の証拠写真として挙げられていますが、
実はこの写真のオリジナルは
「朝日版支那事変画報」に掲載されていた写真で、
ちゃんと代価を払って鶏を買った兵士の写真なのでした。
こういう感じで、
妙に画質の荒い中国主張の証拠写真が
日本の雑誌からのコピー&切り抜きだということが
おおかた分かっちゃうのでした。
合掌。
以前に読んだ、こういう比較・検証写真に詳しい本を
もう一度読みたいと思っているので、
また見つけましたら
何かの折にUPしようと思います(ニートらしい行動)。
意外にこのことを知らない日本の人が多いんだよね~。
世界も騙されてるか。