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戦後復興のすごさが分かる画像② 広島

のつづきです。


以前あげた写真ストックの残りだけで
広島、長崎の原爆、引き揚げ、復興を今回構成しようと思っていました。
ちょうど図書館に本の返却があったので
そこで新たな戦争関連の本を発見。
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また画像が増えてしまいました

広島の原爆被害の写真だけで1記事できそうです。


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【閲覧注意】
火傷、ケロイド、ご遺体などの画像が多数あります。
苦手な方はご注意ください。
(でも本当にあったことなんだよね…)


1945年8月6日。
オレンジ色の煙がたちのぼって約1時間で
広島市の大半が炎上した。
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「あまりにも残酷で、初めの1枚のシャッターを切るまでに30分は躊躇し、
この辺りをウロウロした」という写真家の言葉。8月6日。
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爆心地から870m。
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広島市紙屋町交差点で被爆した路面電車
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爆心地から400m。
右の建物は安田銀行、左は大林組(現・山口銀行)。
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広島商工会議所屋上から護国神社本殿方面を望む。
 
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爆心地から800m。正面左の建物は中国新聞社新館。
手前の鉄骨は小田政商事倉庫。
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爆心地から1.5㎞の広島赤十字病院1号館。
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爆心地から700~800m。西練兵場付近の死体。
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爆心地から500m。西練兵場付近の死体。
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医師を求めてさまよう人。

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被爆前の広島本通りの様子。
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被爆後の広島本通りの様子。
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1945年8月末ごろ、広島市
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爆心地から2㎞。広島市段原東浦町。10月中旬。
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河畔にテント張りの小屋を建て、火傷者や負傷者を収容した。
現在の広島市基町1番地あたり。8月9日。
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広島市下村時計店。
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熱線の被爆者。8月7日。
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熱線によって着物の模様の黒い部分が光を吸収し、肌に焼き付いた。
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1945年9月ごろ。道路上には救護隊や罹災者の消息を尋ねる人たちが見える。
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臨時救護所になった似島検閲所は臨時救護所になった。熱傷の婦人。8月7日。
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熱線で全身焼けただれた人々がはこばれてきた。8月7日。
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相生橋。手前右の残骸は櫓下変電所。9月上旬。
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熱線と爆風から生きのびた人々に、
追って苦しみがやって来た。
 
 
 
爆心地近くで受傷した26歳の男性。
脱毛、下痢、発熱、火傷。
「あまりにも痛々しく写すのが申し訳なく思った。」1945年10月上旬。
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日本赤十字社広島病院の外来患者治療室で。
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教室を改造した治療室に母親が駆け込んできた。
医師が診察したとき、この子はこと切れていた。1945年10月11日。
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原爆症の婦人。外傷は全く無く元気だったが、
被爆後1カ月ごろから不調を訴え9月中頃入院。10月に入り重体。
撮影した3日後に死亡。1945年10月11日。
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原子爆弾の被害地は70年にわたって不毛の地になるだろうと
外電が流れた。だが、爆心地近くの瓦礫の間から草花が息吹きはじめた。
爆心地より800mに咲いたカンナ。1945年9月下旬。
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去年、宮島に行ったときに広島市を通りました。

これだけ途方もくれるような焼け野原になり、
遺体や患者の人たちにあふれて
未来が見えないかつての状態からは考えられないぐらい
堂々とした明るい都会の街でした。

世界もこの日本の復興に驚くはずです。
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広島だけでなく、
日本中の都市や工業地帯が焼け、
日本中が焼け野原になっていたことを考えると、
どの地域も、他府県からの援助や救助は
あまり無かったのではと思われます。
男手も出兵していて足りなかっただろうし、
物も、その日をしのぐ食糧すら
日本中が不足していたものと思われます。
 
私たちの曽祖父母や祖父母、
父や母が成し遂げてきた非常にパワフルな復興。
その遺伝子を継ぐわたしたち。
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小さなことにめげていられないなと思いました。
 

『戦後復興のすごさが分かる画像③』につづく

 

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以下、ややオカルティー記事です
嫌いな方はスルーして下さい。


ブログにあげる画像をチェックし、
本を写真撮りしていたその日、
さすがに画像の惨状に気分が滅入ってきました。

とても疲れて、
本を閉じてソファにもたれ、ウトウトとしていました。

ちょっと寝入りそうになったその時、
「はい。ありがとう」
という女性?の声が左から聞こえてきました。

タイミングから考えて、もしかして、
生前、原爆投下の最中にそこに居た方でしょうか?
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人の死や生活の破滅的被害を個人的なブログで扱うことに
ちょっと躊躇の気持ちというか、
これっていいのかな…
という罪悪感のようなものもあったので、
もし、
このことを取り上げることに故人の方が
前向きな気持ちを持っておられたのならありがたいし、
意味のある行動なのかなと…

まあ、勝手に思ってみました。
はい。


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ところで、
先日、立読みをしていて発見したことがありました。
(図書館と立ち読みに頼る貧乏活動)

宇宙の生命体とコミュニケーションが取れるようになったという
アメリカの方が書いておられた本だと思うのですが、
寝入る瞬間、あるいは
朝、起きる前にまどろんでいる時に聞こえてくる声のことを
「ドリーム・ボイス」というのだとかで、
故人や地球外生命体など
次元の違う存在からの意思をキャッチする初歩的なものだとかで、

おお~、これは世界中の人が
共通で体験していることだったんだなと、
当たり前のことなのに、なんか嬉しくなりました(笑)
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広島のことだけ取り上げるのもなんですので、
次は長崎の原爆投下のことも
取り上げようと思います。