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戦後復興のすごさが分かる画像③ 長崎

に続き、

長崎の原爆当時の様子の画像をあげていきます。

※お詫び
先の広島の記事のページに
誤って何点かの長崎の画像が紛れてしまっていましたので、
差し替えました。


【閲覧注意】
以下の画像の中にご遺体やご遺骨の写っているものもあります。

……………………………………………

1945年8月9日。
現在の香焼町にあった川南造船所から、
原子爆弾の爆裂15分後に地上から撮られた写真。
イメージ 1


8月10日。すでに死者となった人の傍らで
当てもなく救援を待つ負傷者たち。爆心地から南1㎞。
イメージ 2


自分で飲む力さえ失った負傷のひどい婦人には、
これが末期の水となった。爆心地より南へ1.5㎞。8月10日午前。
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行く手を炎に阻まれ、立ち往生したトラック。
負傷者は新たな救援を待つしかなかった。爆心地から南1㎞。
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泣く元気もない乳飲み子。医師を探す父親。8月10日朝。
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電車はめちゃくちゃに壊れて飛び散っている。
乗客たちが石垣の下にこぼれ落ちている。
焼かれた肌は濃いピンク色だった。
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三菱製鉄所を望む。爆心地から1.1~1.2㎞。
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爆心地を見おろす丘の中腹から南方を望む。
原爆はこの上空500±10mで炸裂した。8月10日。
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負傷した妻子を車に乗せる父。
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爆心地から南700m付近。長崎市岩川町付近県道から。8月10日昼過ぎ。
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爆風で吹き飛ばされた三輪車と運転手。
爆心地から南南東6~700m付近。8月10日昼過ぎ。
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爆死した動員学徒。爆心地から南南東500~600m。8月10日昼過ぎ。
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破壊された市内電車の内部に、
兵隊と女性だけが取り残されて死んでいた。
爆心地から南南西約250m。8月10日。
 
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熱線で焼かれた部分は黒く、子どもの顔は腫れている。
あまりの痛々しさに誰かが白布をかけて去った。
爆心地から南南東900m。8月10日。
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荷車をひいていた馬。爆心地から南南東700m。
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幼児の焼死体。8月10日2時過ぎ、長崎市
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リヤカーでたどり着いた少年。全身やけどをしていた。
爆心地から3.6㎞道ノ尾駅前。8月10日。
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臨時救護所で背中の火傷に
チンク油をぬって手当てをする看護婦と医師。
汗をぬぐう暇もなかった。8月10日。
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両足に熱線を浴びた少年。
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応急手当てを受ける乳幼児。すでに声の出ないほど衰弱していた。
爆心地から3.6㎞。道ノ尾駅前。
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臨時救援所で死と戦う老婆。
どの患者も放射能障害による症状とは分からないままに、
急変する症状に苦しめられていた。
爆心地から約3㎞の小学校で、窓ガラスは飛び散り
室内の機材は散乱したが、病院として使用された。8月下旬。
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三菱製鉄所全景。8月20日長崎市
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犠牲者があまりにも多いため、野外火葬するより方法がなかった。
引き取り手もないままに遺骨はあちこちの空き地に放置されていた。8月下旬。
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長崎市浦上天主堂。大きな窓も飛び散っていた。9月上旬。
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三菱製鉄長崎製鋼所。9月上旬。
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原爆が投下されてから約1カ月経っても白骨があちこちに残る
城山国民学校。9月上旬。
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傷口に蛆がわく老婆。
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山王神社の参道の二の鳥居と大楠。
鳥居の半分は強烈な爆風により吹き飛ばされた。
爆心地から東南へ800m。10月中旬。
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10月中旬、
強烈な爆風と熱線により枝葉の吹き飛んだ大楠。
幹は途中から折れて黒焦げになったが、早くも新芽が出はじめている。
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……………………………………………


空爆も想像以上にひどくて驚きましたが、
原爆のもたらす悲惨さ、その画像の前には
ただただあ然とするしかありません。

でも
こんな圧倒的な焼け野原と瓦礫とおびただしい死から
復興したんですよね…。
今、何に驚いているかというと、
その生きる力と活力です。
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祖父母の、あるいは曽祖父母の世代の人たちが
こんな街々が瓦礫になった日本を生きのび、
パワフルに発展させ、
経済大国にまで押し上げたのだから、
ただただ凄い。

私なら家が無くなっただけで
俄然、生きる気力を失うと思う…

もしくは、
瓦礫から立ち上がったたくましいご先祖様たちの遺伝子が
モヤシな我々世代にも作用して、
いざという時は生きる力がわき上がる?



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前にも書きましたが、
当ブログの『ブログ検索ワード』があまりにも死体に寄っていて
そういえば、と
自分も生きるに迷っていた時期に
死に関する写真や歴史をあさったことを思い出した次第です。
(世界拷問の歴史すら読みました)

生きるに迷い、
死を意識し、
その反動で生きよと本能が命じ、
その反動の反動で
「死」を知ろう、見ようとした。

検索ワードに「死体」が高ヒットしているという事は
今、ぼんやりとした生と死の不安と葛藤に
揺れている人がそれだけ多いのだなと、
なんとなく悟ったのでした。


「死」をあさっていた当時、
戦争や原爆の写真も見たのですが、
いま思えば、
圧倒的な悲惨から立ち上がる何かを見て
自分も勇気づけられたかったのかなと振り返ります。

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そういう意味では、
日本ほど見事な復活を遂げた国も無いと思います。
しかもそれを成し遂げたのが、
古代の人などではなく、
ほんの少し上の世代の人たちなのです。
生きる力を見たいのなら、
これ以上のお手本は無いのでは?


戦後、食糧難や貧しさで
まだまだ苦しかった日本ですが、
戦後の昭和史などを見ると、子どもも多く、
荒削りながらも
人々はみょうに活き活きと活気に満ちていて驚きます。

母は戦後の貧しく雑多な頃に生まれた世代ですが、
毎日の目覚ましい発展と活力を肌で感じ、
「毎日、朝目覚めるのが楽しみでしょうがなかった」
と、当時を振り返って言います。

今より貧しくて不便だった時代なのに、
そんなに楽しかったなんて不思議です。

私たち(死体あさり組)
お腹いっぱい食べて良い家に住んでいるのに
何でこんなに生きるに迷っているんだ?
 
 
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そろそろ
ブログ引っ越しの期限が近づいていますが、
何とかそれまでに
戦後の日本も記事に取り上げられるかなぁ~。

『戦後復興のすごさが分かる画像④』につづく
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とりあえず、
これまであげた戦争の記事です

戦後復興のすごさが分かる画像① 空襲

https://kirigami.hatenablog.jp/entry/70202215

戦後復興のすごさが分かる画像② 広島
原爆が長崎にもたらした惨劇
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