荒神さんと歳徳神の正体④ 古代の歳徳族と賀茂族の本当?
全編ひたすらペンデュラムで質問し続けるという、まっことオカルティーな記事です。ペンデュラムってプチ降霊術みたいなもんなんで「歳徳族の男性」だったらしき人に憑りつかれてすっごい体調不良でした(*_*;)
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この記事は『③』の続きです
賀茂の上古の人達は、実は歳徳族の人達で、しかし途中、猿弟人命(猿田彦)に裏切り殺され、猿弟人一族の家系に代わり…
という③の内容から続けます。
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賀茂の始祖で下鴨神社のご祭神であると思われていた鴨建角身命(かもたけつぬみのみこと)さん。しかしこの方は賀茂族ではなく歳徳族だとのこと(あくまでもペンデュラムの質問で得た回答)。逆にいろいろ聞いてみたくなりました。
まず、
賀茂族でないなら名前に「鴨」と入っているのは不自然だと思い、質問しました
●鴨建角身命さんは本当は名前に「鴨」はついていなかった?
YES。 うんまぁそうですよね。きっと賀茂族の誰かがご先祖さんだということにしたくて「鴨」をつけたんですね。 ということは建角身命さんか角身命さんですかね。
●本当のお名前は建角身ですか
小さく平行。 ちょっとちがうかな
●角身ですか
YES。角身さんですね。
●「つぬみ」さん?
No
●「つのみ」さん
ややYES。
ところで、
私はヘミシンクという、聞くだけで高いフォーカスレベル(次元?)へ意識を飛ばすことができるというCDを一生懸命聞いていた時期があります。
(ほとんど寝ちゃってましたが)
そんなことして意識を飛ばして、何をしたかったのかというと、自分の興味ある歴史の一端を垣間見たかったのです。ヘミシンクが上手な人は、時間や次元を超えて興味あるものを動画のように見ることができるそうなのですが、残念ながら才覚の無い私は、何を意味しているのか分からない意味不明のビジョンを一瞬見るぐらいがせいぜいでした。
それでも、初代天皇を見たいとか、縄文時代を見てみたいとか思って何年か試みていました。
で、鴨建角身命さん(以下,角身さん)を見たいと思ってヘミシンクしたこともあって、関係あるかどうかわかりませんが、男性の横顔のビジョンが一瞬見えたことがあり、そのおぼろげな記憶をノートに書き残していました。
これなんですけど👇
当時の私は、角身さんは弥生時代の人に違いないと思い込んでいたので、服装も髪も清潔すぎるし(お風呂も入らず洗濯もめったにせず、ドロドロのぼさぼさだと想像)、ヒゲもボーボーじゃないし(ヒゲなんて剃ってないでしょ)、いくら権力者だったとしても黄緑色の鮮やかな服なんてこの時代無いでしょ!とうさん臭く思い、これは角身さんに全く関係ないビジョンだ・と却下してました。西洋の王冠みたいな被り物のデザインも、何だか自分の思い込みっぽく感じたし…
しかし後のペンデュラムで歳徳族が来日したのは400年代前半と出たので、角身さんの時代には500年辺りだったかも知れません。すっかり古墳時代ですね。
古墳時代の権力者なら清潔にできて良い物も着ていたかも知れません。西洋の王冠みたいでなんだかなと思っていた被り物も、先ほど手持ちの埴輪の画像をチェックしましたらそういう感じのもありました👇
そんで、上記の画像にペンデュラムをかざし、
●以前ヘミシンクで見た角身命さんの容姿で間違いないですか
YES。 ということでした。 東アジア人に多い腫れぼったい顔でもなく、中東やインドのような黒い肌でもなく、面長でやや堀の深い昭和の男前っぽかったような記憶。まっすぐな黒髪と鮮やかな黄緑色の服がひときわ美しかった印象。 これがもし本当なら、昔の人は風呂も入ってなくて洗濯もしてないからドロドロという思い込みを改めねばならないと思いました(+o+)
そして、
改めて聞きました
●角身命さんは今の賀茂のご先祖さんではないというのは本当ですか
YES。
●歳徳族の人ですか
YES。
●このような王冠のような被り物をしていましたか
YES。
被り物は王冠なのかな?ということはもしかして
●小国の王様でしたか
No。 王様とかではないのか。
●シャーマンでしたか
YES。 王冠とかではなく、そういう役職の人の被り物あるいは威儀具だったのかな。ちゃんと紐がついていてあごの下で固定されていました。(あくまで私のヘミシンクで見たビジョンです)
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ところで、
賀茂の系譜として上古の時代にくっつけられている歳徳族の方々(神皇産霊尊から津久足尼命まで?)は、どの方から来日されているんでしょう?
●(角身さんは)日本でお生まれですか
YES。 日本生まれの方のようです。
●天櫛玉命さんはお父さんということでよろしいですか
YES。
で、天神玉命はおじいさんで、神皇産霊尊は大じいさんということで良いようです。
系譜の一番上に書かれている神皇産霊尊の生まれは?
●神皇産霊尊は日本でお生まれですか
YES。 そうだったのか。自分の中では「命」は日本の人で、「尊」は海外の人なんだと勝手に解釈していました
●神皇産霊尊のお父さんが日本に渡ってこられたのですか
YES。 そうか、それで系譜の表記が神皇産霊尊からなんですね
そのお父さんはどこから来日したのでしょう
●インドのお生まれですか
YES。なるほどこの方がインドから日本へ「東進」した方ですね
●今のインドの人の容姿に近かったですか
YES。 角身さんは日本的な容姿になっておられましたが(?)インドから来日した時の歳徳族は有色コーカソイドだったんですね
(中東とかインドの人達が有色コーカソイドです)
個人的に神皇産霊尊のお父さんがインドから「東進」して来たというところに思うところがありますが、それはまた後ほど追及するとして、この方が来日した、つまり歳徳族が日本に来た年代を聞いてみました。
結果、(お父さんが)日本に来られたのは西暦400年代とのこと。400年代前半か後半かを聞くと前半だということでしたが、400年から425年の間かなど細かい年数を聞こうとするとペンデュラムの動きが鈍ってしまいました。
●もしかしてあまり細かい西暦は分からない?
YES。 質問に答えてくれる存在によっては範疇外のこととかも結構あります。この質問に答えてくれた方は人間らしい「時間」の概念が無かったのか、西暦や年号などと関係ない国や時代の人で、そういうのが分かりにくかった可能性があります。
ということで、年代の追及はこの辺りにしておきました。 もしかしたら紀元前の来日かと思ってましたが、古墳時代の来日だと知れただけでも私には収穫です。
ところで、
シリーズの『②』でも書きましたとおり↓
私は個人的に『古代、日本列島はもっと南にあった』説を支持しています。弥生時代から古墳時代前期ぐらいにかけて?日本列島の位置は大きく変化して今の位置に収まったという考え方です。
歳徳族が来日した時はすでに400年代とのことなので、上図のような位置ではなかったと思いますが念のため…
●日本に来られた時は、今の日本列島の形でしたか
YES。
●位置は今の日本と同じでしたか?
ブンブン平行。 YESと言い切れないあたり、やや角度なり違いがあったんでしょうか?とりあえずほぼ今と同じ日本の位置だと思って質問を続けます
●(神皇産霊尊のお父さんは)一カ所に定住されましたか
YES。
そこで、日本列島の地図を開いてお父さんが来日&定住されたという場所をペンデュラムで探っていきましたところ、鹿児島の志布志あたりだということでした
今の志布志市の北東の山にかけてペンデュラムが反応していました。山の方を掘ったら何か痕跡とか出てこないかな?
息子の神皇産霊尊もここで生まれ育ったのでしょうか
●息子の神皇産霊尊はずっと志布志に居ましたか
平行。 志布志には居たが、ずっとではない・ということかな
●(大人になって)移動されましたか
YES。 親元から離れ、新天地を探したのかも知れません
そこで、神皇産霊尊がどこへ行き着いたのかを再び地図を開いて探っていきました。結果、ペンデュラムが反応したのは兵庫の但馬、京都の丹後、それから京都市辺りでした。昔は水路が福井から滋賀の琵琶湖、京都の桂川とか巨椋池、大阪湾へと続いていたそうなので、歳徳族が船を利用して移動していたとしたなら、丹後あたりと京都市辺りというのはなるほど納得です。
ところで、
●神皇産霊尊のお母さんは日本生まれの人ですか
・・・・。
●外国生まれの人?
YES。 神皇産霊尊のお父さんが日本に来て、現地の有力者の娘を娶ったとかではなかったんですね。ということはインドからともに連れだって来た?
●インドの生まれの人
・・・・。
その後、朝鮮半島、東南アジア、中国福建省と聞いていきましたがそれらしい反応はなく……('Д') が!
●台湾生まれ?
YES。 台湾の姫だったのか! ということは、台湾を経由して、そこで結婚して、姫も伴って日本に上陸したんですね。で、そこで神皇産霊尊が生まれた・と。現代的に言うとインドと台湾のハーフですね(ある意味日本の土着の血が入ってない観点から「尊」は外国人説あながち外れてない?)
では、神皇産霊尊の息子さんは?
●息子の天神玉命さんの住んでいたのは?
地図を再びペンデュラムでなぞったところ、但馬、丹後、近江に反応。 お父さんとほぼ同じですね。日本海の但馬と丹後。ただお父さんは京都市まで出ていたのに対し、息子君は近江、つまり琵琶湖辺りでとどまっていたんですね。
●よく移動されていた?
YES。 なる。それで三カ所。水路のあった土地ばかりですから、海洋民族とつながっていたか、歳徳族に優れた海洋技術があったか・ですね。丹後も古くから磯城王朝のあった所なので関係が気になりますね。
ところでお父さんが居た京都市辺りは?
●京都市辺りには住んでましたか
・・・・。 ノーコメか。
●ほかの兄弟が住んでたんですか
・・・・停止。
●お父さんが住んでいたから行かなかった?
停止。
●ほかの勢力が住んでいた
停止。
●災害などがあって住めなかった
停止。 あれ~、すみません、何故かペンデュラムが動きませんで。ペンデュラムを手伝ってくれている存在もあまり長く接触できないので、タイムオーバーかも知れません。
とか言いながらサディスティックにも質問を続ける(笑)
●(その息子の)天櫛玉命は
但馬、丹後、近江、京都市辺りとなりました。京都市が再び入ってます。改めて天神玉命が京都市辺りに棲んでいなかったか聞きましたが、やはり住んでいない。そして、日本海からの入り口になる若狭にはどなたも住んだ形跡がないのが不思議です。
では、さらにその息子君の角身さん
●角身命さんが住んでいたのは?
何故か近江のみ。京都にたくさん祀られているので京都市辺りの昔の豪族かと思っていましたが…。ほかに但馬、丹後、伊勢や奈良、大阪も聞きましたが違うようでした。
●船を操って暮らしておられましたか
YES。 それでも近江のみ在住だったんですね。
●近江辺りを気に入ってらっしゃった?
YES。 そうか。近江が好きでずっとそこに居たんですね。
角身さんの婚姻関係のことも聞いてみましょう
●角身さんは伊可古夜日女さんと結婚された。
・・・・。 え?ちがうの…
●間に娘の玉依日売さんが生まれた
・・・・。 なぜペンデュラムは反応しないんだ?
●賀茂別雷神さんが角身さんの孫ということも含めて後世の創作?
YES。 どぉおおおおお~~~~~ん(; ゚Д゚) 玉依日売⇒下鴨神社のご祭神。火雷神⇒上賀茂神社のご祭神・・・
ちなみに、
賀茂別雷神さんが実在した人なのか聞くとYESとなったりNoとなったり非常に不明瞭です。玉依日売さんの夫の火雷神の存在も平行になったりYESになったり不明瞭。
あまりにもこの辺りの人間関係の回答が聞くたびに違ってしまうので、
●この辺りはごちゃごちゃして分かりにくいんですか
YES。 とのこと…
一応、伊可古夜日女は猿弟人命のお母さんで、玉依日売は猿弟人命の兄妹?だったのを、後世、角身さんの妻子としてくっ付けたのではとのことでした。んで、火雷神は賀茂族の人で時代的に違うのではとのこと。
ほんじゃ、
●火雷神が実在した時代は?
と聞くと、だ~いぶ時代が下って、秦伊呂具さんの親戚だという回答が…
●秦伊呂具さんの親戚ということは、火雷神は秦氏?
No。 ペンデュラムでは秦伊呂具さんは賀茂の血も受け継いでいるとなるので、賀茂の方の血筋の親戚ということかも知れません。
では、
そもそも賀茂族の本当の家系はどこからなのか?
●この系図の中で、今の賀茂の血脈の一番古いご先祖さんは誰ですか↓
と聞いて上からず~~~~っとペンデュラムでたどった結果、鴨馬蓑(かものまみの?)さんのところで右回りました。そしてこの鴨馬蓑さんが家系を古くしようと思って、家系の上にいろいろくっ付けちゃったそう。
●鴨馬蓑さんのお父さんの鴨主国さんは?
No。 う~ん、ずいぶん時代が下りましたね。秦伊呂具さん辺りも賀茂の古いご先祖さんとつながりはあったが、「賀茂氏」ではなかったということかな?
後に質問したところ、鴨主国、鴨吉備、鴨黒日、秦都理は現在の賀茂の血脈ではないとなりました。鴨黒日の兄弟ということになっている鴨板持さんと秦伊呂具さんは賀茂の血も受け継いでいると。まぁこの時代のことは後の子孫の人達もあんまり分からなくてごっちゃになっていたのかもですね。
奈良時代とかは豪族の家系図の継ぎ足しなんか普通に横行していたようですから…
んじゃ、
上の方の鴨大角からず~っと鴨がついているのは?大伊乃伎命さんも鴨県主祖となっています↓
で、そのことを聞くと、その地名(かもという地名)とそこの役職名で、賀茂の一族・血流ということでは無いということでした。ふむ…
で、大山基命の「御祖神宮」というのは上賀茂神社、下鴨神社ではなく、その前身となった神社とのことでした。 猿弟人命は歳徳族を滅した後、それを鎮魂する神社と、それとは別の神社を作り、この御祖神宮は歳徳族鎮魂の神社とは違うほうとのこと。
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歳徳族を滅ぼした猿弟人一族はどこまで続いたのかも確認してみました結果、馬岐乃耳命さんまでとのこと。その下の
●大伊乃伎命は猿弟人命の血族じゃないのですか
YES。
●大伊乃伎命が、血脈の途絶えた馬岐乃耳命の家系を引き継いだのですか
YES。 ふむ。こちらは戦関連ではなく、平和的に養子にしたあるいは家督を譲ったということでしょうか。一応この大伊乃伎命の家系が「かも」の土地で役職に就いたわけですね。
ところで
歳徳族の秘儀を教わった猿弟人一族
●歳徳族の秘儀は受け継いでいた
YES。
●猿弟人一族に歳徳族のようなシャーマンの力や呪術の力はあった?
No。 秘儀を教わり使えるようになったものの、歳徳族のような特殊能力は無かったんですね。
●歳徳族は猿弟人一族に秘儀を教えたが裏切られてしまった
YES。
●その秘儀はさらに賀茂族にも引き継がれた?
YES。 一応秘伝の奥義は後々賀茂に伝わったんですね。大伊乃伎命の家系から賀茂の家系へ秘儀は伝わったということでしょうか
●今の賀茂族にもその秘儀は受け継がれている
平行。 微妙…
●年代を経て歳徳族の秘儀は形を変えてしまった
YES。
●歳徳族の秘儀は(古代)天皇家にも引き継がれた
平行。
●歳徳族から天皇家に嫁いだ?人もいたようですが秘儀は引き継がれなかった?
平行。う~ん質問が間違ってるかな
●歳徳族の中でも秘儀を受け継いでいる人はほんの一部だった
YES。 そういうことか。血を受け継ぐだけでも、秘儀を教わるだけでも駄目なんですね。
●出雲に逃れた歳徳族が、またそこで秘儀を受け継いだ?
YES。 そうか、本物は何とか出雲の地に逃れ、血と秘儀を継いだんですね
●(秘儀は)出雲族に引き継がれましたか
No。
●出雲へ逃れ、そこでまた歳徳族の間で引き継がれた
YES。 どうしてもこの血統じゃないと本格的ではないらしい…
●歳徳族は今でもその秘儀を受け継いでいる
YES。 な・なんだと?!「今でも」だって???この令和の時代にまだ幻の?歳徳族が居て秘儀が伝わっていると (◎o◎)(◎o◎)ド~~~~ン
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ということで、現代の歳徳族のことを少々と、それから猿弟人命の残念な?末路と、歳徳族の古代ヌビア時代のこともまだ書けてないなと。
ペンデュラムの質問がチャンポンすぎて自分でもちゃんと把握できてないかも(;´・ω・)
とりあえす⑤に続く⇒