#日本史
『出雲旅行』の記事もダラダラと⑤まで来てしまいました。 出雲大社から島根ワイナリーに、そしてバスは日御碕へと向かいました。 バスの中から日御碕の海の写真を撮るという不毛なことをしておりましたので、少々写真にお付き合いください(笑) ……………………………………
今回はオカルティーな内容です。苦手な方は「④」を読み飛ばして「⑤」へどうぞ。 …………………………………………… 出雲旅行記事で出雲大社の記事を書いていましたが↓ ふと思い出しました。 「そういえば、木内鶴彦氏の本に出雲大社やスサノオのことが書いてなかったっけ?…
『出雲旅行②』のつづきです。 前回の記事では出雲大社の御本殿をお参りするところまで書きました。 で、 ご本殿の周りをぐるりとまわるために、本殿右(東の方)へ。 そこには出雲大社末社の十九社が。10月は全国神無月であれど、ここ出雲だけは神様が各神社か…
「出雲旅行① 出雲大社まで」↓ の続きです。 参道を下りきり、いよいよ四の鳥居「銅鳥居」と、その奥に出雲大社の拝殿が見えてきました。 銅製の鳥居としては日本最古のものだそうです。江戸時代中頃のものだとのこと。ここにも島根が空襲にあわなかった幸運…
松江市から出雲市へ(島根から島根)という小規模日帰り旅行です。 この日は出雲大社、島根ワイナリー、日御碕へ行きましたが、自分の中では日御碕に重点を置いていたので、日御碕以外はつぁ~~~っと簡単に写真を並べていく感じにしますね。 で、 私個人の趣…
今月の20日に日帰り出雲旅行へ行くことに。 松江から出雲へ旅行って…何を今さら改めて?という感じかもしれませんが、 車を持っていない私には、近くても滅多に行けない遠いところなのです(交通の便も悪いのでバスや電車も使いづらい)。実際、私が出雲旅行へ…
1945年8月の敗戦後、空襲と原爆で焼け野原になり、食糧難、住宅難、男手不足、交通網のマヒ、資材不足。そこへ命からがら帰国してくる何十、何百万もの引揚者。駐屯する外国の兵たち。 どれだけ困難な時代を日本人は生き抜き、経済発展をとげたのかを知りた…
先日のニュースに 「松江市の田和山遺跡で出土した弥生時代中期後半(紀元前後)の石製品について、福岡県の研究者グループが、文字(漢字)の可能性が高いとの研究成果を明らかにした」 というものがありました。 https://news.yahoo.co.jp/pickup/6349987 去年…
お買い物をしに家を出て、一本道を歩いていた時のこと、向こうから歩いて来る近所の奥さんの姿が。話し出すとめちゃくちゃ長話するおばあさんです。 おっと~マズい、このシチュエーション、逃げられません。雨も降りそぼる夕方だというのにツイてないなぁ~…
それは2010年10月のことでありました。 名古屋旅行で熱田神宮へ行き、ふと、御本殿の裏へ回った時のことです。表の賑わいから一転、誰も居ない静かな空間となり、そこでひっそりとたたずむ清水社を見つけました。(当時の記事はこちら↓) ちょっと旅行当時の清…
まずは牛の生殖行動を簡単に説明します。 タイトルの、オリンピックや勝利の女神に関係ないように思われるかもしれませんが、とりあえずご覧ください。 雌牛が発情期に入りました。雄を求めてモウモウと鳴き声をあげます。 その声を聞きつけ、我こそはという…
の続きです。 先の空襲、広島・長崎の原爆につづいて 終戦直後の日本の画像を見てみました。 ネットのつながりが悪いので、 ちゃーっと画像と簡単な説明になります、すみません… …………………………………………… 1945年 8月15日、玉音放送により終戦と敗戦を知る。 皇居…
に続き、 長崎の原爆当時の様子の画像をあげていきます。 ※お詫び 先の広島の記事のページに 誤って何点かの長崎の画像が紛れてしまっていましたので、 差し替えました。 【閲覧注意】 以下の画像の中にご遺体やご遺骨の写っているものもあります。 ………………………
のつづきです。 以前あげた写真ストックの残りだけで 広島、長崎の原爆、引き揚げ、復興を今回構成しようと思っていました。 が、 ちょうど図書館に本の返却があったので そこで新たな戦争関連の本を発見。 また画像が増えてしまいました。 広島の原爆被害の…
明日は終戦記念日ですね。 以前にも戦争関連の画像をUPしたことはありましたが (『東京大空襲画像』『広島に原爆が落とされた日』『原爆が長崎にもたらした惨劇』) 今回は、 これだけの瓦礫の山から驚くべき復興を遂げた日本のすごさを 改めてかみしめたい…
kirigami.hatenablog.jp の続きです。 出雲族の神殿があったと考えられる田和山遺跡の頂上で手を合わせ、 強い風にアタックされて拒否されたところで(笑)、 さて、 登ってきた側とは逆の方面に丘を降りてみることにしました。 こっちが先ほど登ってきた側。 …
谷戸貞彦氏著の 『サルタ彦大神と竜 古代の子宝信仰』を読んで 田和山(たわやま)遺跡が、 出雲族の最後の決戦の地であることを知り、 機会があれば行って、そして手を合わせてきたいなと思っていました。 叔父さんに1月に1回のお買い物に連れて行ってもらう…
先日、久々にいとこのお姉さんに会いました。 私の手作りのルーツでもあり、憧れのお姉さんでもあります。 久々に会って何よりうれしい発見は、 お姉さんがオカルティーけっこうイケるクチだということ。 よって、 今回の記事もオカルティー入ります。 苦手…
『赤穴八幡宮②』のつづきです。 『②』では赤穴(あかな)八幡宮に伝わる 丹塗箭(にぬりや)神話の紹介でしたので、 正しくは『①』の内容のつづきになります。 大木に囲まれた静かな空間に 赤穴八幡宮の社殿が建っています。 神社の由緒書きには 「元松尾神社と…
『赤穴八幡宮①』のつづきです。 前記事から日にちが経ちすぎてしまい、 きっともう①を読んで下さった方も 内容を覚えていないかと思います・すみません(汗) 島根の飯南にあります赤穴八幡宮(あかなはちまんぐう)には、 一般に『丹塗箭神話(にぬりやしんわ)』…
そうそう、「あとで話します」と言っていて すっかり忘れていたことがありました。 (『隠岐の島の始まり』にて。) 隠岐の島が昔、おのころ島と呼ばれていた件ですが、 おのころ島とは、イザナギ・イザナミが日本創生の際、 一番最初に創った国土です。 一般…
『加茂那備神社を探して』のつづきです。 上賀茂神社の御祭神・加茂分雷神(かもわけいかづちのかみ)が 開拓指導のために訪れ、 そして生涯をすごした隠岐の加茂。 車の窓から見える景色は、ひたすらのどかであります。 前回の記事でも書いたとおり、 別雷神…
『隠岐の旅⑩ 上賀茂神社の神様は隠岐へ行っていた』 のつづきです。 前の記事に紹介しました、 上賀茂神社の御祭神、分雷(わけいかづち)神。 この神は隠岐に来島し、隠岐で生涯を閉じられたので、 加茂那備神社にその魂が鎮まっておられるとのこと。 その地…
『隠岐の旅⑨ 京都の加茂神社と隠岐の不思議なつながり』 のつづきです。 前回の記事は 下鴨神社で巫女をしていた称徳天皇の妹君が 流された隠岐の地で祀っていた「雷神社」。 それが合祀されている飯田神社へ行ってきたというものでした。 (もう雷神社はこの…
『隠岐の旅⑧ 島前 ⇒ 島後 しみじみる。』のつづきです。 前記事から期間が開いてしまい、すみません。 内容忘れちゃいますよね。私も忘れたので前記事読み直しました(笑) (大久の港から見える不思議な形の岩。島なのだそうです。) 隠岐の島、島後の大久のご…
『隠岐の旅④ 古代人の攻防』のつづきです。 ちょいとオカルティー話もくっつけますので、 苦手な方はスルーでよろしくです! ・*:.。. .。.:*・゜゚・* おろちにどんどん侵食され、 ついに耐えきれなくなった隠岐の長、宇都須山祇。 宇都須山祇のSOSを受け…
『隠岐の旅③ 神々の上陸』のつづきです。 ・*:.。. .。.:*・゜゚・* さて、 隠岐の島の古代の伝承、 獣の皮を着た木の葉人から、 彼らと仲良く暮らした海人たち、 やがて神々の来島がはじまり、 平和が保たれていた隠岐。 そこへ、 鉄器で武装したおろち(於漏知)の…
『隠岐の旅② 隠岐の島の始まり』のつづきです。 前回では隠岐に最初に上陸した『木の葉人』 についての伝承を紹介しました。 後から入島する者とも融合し、 協力して栄えていた木の葉人たちの隠岐。 そこへ、 ある時、見なれぬ者たちが上陸してきました…! …
『隠岐の旅①』のつづきです。 隠岐へ行く前に、すこし隠岐の伝説などを本で読みましたが、 これがなかなかに興味深かったので、 かるく隠岐の始まりの伝承を紹介させてください。 ●「隠岐国」の名前の由来 隠岐の国は、イザナギ、イザナミの夫婦神が 国造り…
21・22日、 島根県の隠岐の島(おきのしま)へ行ってきました。 行きたい神社が2つほどあったのです。 隠岐は、こんな感じで 島根からちょいと海へ出たところにある島です。(竹島もあります) フェリーも高速船も出ています。 私は値段が安く、ゆっくりと…