オリガミ ヲ キリガミ オカルティー(総合)

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鬼のお面★3度目の正直なるか?

 
おかしな鬼のお面を連日作ってますが、
今日はリベンジのリベンジです!
 
 
として成立させるには、
【輪郭が四角い】という要素があったようです!
教えてもらうまで、思いもしませんでした。
 
自分の鬼のイメージは
こんな感じでした・・・。
イメージ 1
 
 
 
さて、
今日はぐっとエラをはった四角い顔にして
『鬼の顔』を追求してみました。
 
 
どう?
鬼らしいお面になった?
イメージ 2
 
 
 
ちょっと頭髪が無いのが気になってきたので、
いくぶん髪を描き足してみました。
 
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・・・・・。
なんかこの顔、孫正義っぽくないか…?
 
 
イカイカン、
きっと頭髪が足らんのだわ。
もっと毛の量を増やしましょう。
 
 
どう?
鬼らしくなりました?
イメージ 4
 
これが私の限界ですわ。
鬼、見たことないしなぁ~(笑)
 
 
 
 
 
それにしても、
改めて調べてみると、
世の中の鬼のイメージというのは
四角い、濃い顔立ち。肌色・赤い。毛髪・豊富。
イメージ 5
 
一方、『福は内』の福、おたふくは
するっとした薄い顔。白い肌。ペタッとした直毛。
イメージ 6
 
 
これを改めて認識した時、私の頭の中に
縄文人(先住民)弥生人(朝廷側)の顔の特徴が重なってしまいました。
 
 
 
縄文人は、
エラのはったガッチリした輪郭に、
大きな目、がっつり二重の濃い顔。
眉もヒゲも濃いめ。
肌の色もたぶん弥生人よりか濃かったと思います。
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縄文人顔》
 
 
一方、
今のところ弥生人とされている顔立ちの特長は、
エラのない細い輪郭。彫りのない、小さな目鼻だち。
薄い毛髪に、(大陸北由来なら)白い肌。
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弥生人顔》
 
(※私個人は、弥生時代末期以前の弥生人とは
フィリピン・東南アジア系の濃いめの顔・浅黒い肌だったのではと考えています。
中国に残ってる倭人の絵も、黒い肌に濃い顔、南国の装束です。
いま弥生系とされているのは、古墳時代に半島から入った人種では?と。
ま、弥生文化は半島由来!でないと都合の悪い人がいるんでしょう…)
 
 
 
そうすると、
ついこんな図式を想いうかべてしまいます。
 
《鬼》 = 《鬼は外》 = 《縄文系・土着の日本人》
 
《福》 = 《福は内》 = 《渡来系・公家などの権力者》
 
という切ない構図を・・・。
 
 
 
渡来人は、近畿の支配にはじまり、
かなり長期にわたって《まつろわぬ》先住民を敵視して
征服してましたからね・・・。
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茨城(いばらき)の地名の由来など、
中央からやってきた者たちに従わず、
農耕生活を嫌って山で生活していた先住民(国巣などと呼ばれていた)を、
中央のものたちが成敗するため、
彼らが出かけている隙を狙って居住の穴ぐらに
鋭い刺がいっぱいついた茨を仕掛けておき、
何も知らずに帰ってきた国巣(くず)が
茨の刺に刺さって死んだということからついたのだそうで、
「あぁ、そうやって従わなかった先住民は
始末されていったのだな…。」
と。
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アテルイのエピソードなど、奈良時代末期ですから、
かなり長い期間、
朝廷側と先住民の争いがあったのだなとおもいます。
 
これらのことをふまえると、
《鬼は外》《福は内》
の意味するものが、もしかして結構怖いものかも…?
 
 
・・・・・と、
一人でおののいていました(笑)
 
 
 
 
個人的に、
京都に都が遷都された当時平安時代
現在の京都市内に住んでいた出雲族が消えていったことも
上記に近いことがあったのかな~と思い、
去年はちょいちょい、出雲族の行方を捜したりしてました。
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また今年も、調べられたら良いなぁと思ってます。
 
 
あ~でも、残念ながらうちの家系は父母共に
『先住民をいぢめた』方の血が濃厚ですわ・・・
今日《なるべくあっさりめ》に描いた弥生人の絵など
なにげにきょうだいにそっくりな顔になりましたもん(笑)
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消えた京都の出雲族を探したくなるのは
罪滅ぼしゆえか??
 
 
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2年前だっけか、島根県に行ったときのこと、
このことはたぶんブログには書かなかったと思うのですが、
《おいで》っていう声が行く前から聞こえてて、
不思議なぐらい『超順調』にサクサクッと予定が組まれ、
島根県のとある所へ行きました。
すごく行くのが難しいはずの場所へ、
島根の親戚もびっくりするぐらいあっさり行けました。
 
そこは、今は男神の名が冠されていますが、
行った時の感覚として、『とっても自然の精』という感じがしました。
おそらくは、朝廷支配から逃げ続けた出雲族
『最後の聖地』だったのではないかと思われます。
 
そして、帰宅して眠りにつこうとしたその時、
非常にはっきりとした声で
『ありがとぉぉ~~~~~ぅ』
と聞こえてきて、びっくりして目が覚めました(笑)
150歳をこえた老婆が存在するなら、こんな声だろうな、
という声で・・・。
 
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ちなみに、実家に帰ってPCで撮った写真を見てみると、
《その場所》へ行くまでの山道を撮った写真どれもが・・・
なんというか、
道の向こうから何かのエネルギーが渦巻きながら
ビュービューと来ている写真で、
とびっくりしました。
 
そして、
その場所の入り口へ到着した時に撮った写真に
でっかいオーブ(とよく言われる、半透明の丸)が虹色になって
たくさん写真の中央に写っていました
Σ(゚д゚|||)
 
不思議なことに、
その帰りにも同じ所でいくつも写真を撮りましたが、
それらは何もなく、正常に撮れていました。
 
・・・・・・???
 
わたし、出雲族に何かご縁ありましたっけ???
 
 
不思議です。
 
 
よく分かりませんが、
京都のあちこちに残る『出雲族』の痕跡も気になりますので、
好奇心ありありです。
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かも川と出雲路