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松江市の熊野神社①カッパの伝承も


松江市西川津という地域にある熊野神社を紹介したいと思います
(^◇^)
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主祭神 
伊弉冊尊(いざなみのみこと)

配祀神(はいししん)
速玉男尊(はやたまのをのみこと)
事解男尊(ことさかのおのみこと)
大己貴神(おおなむちのかみ、大国主に同じ)
大物主命(大国主と同じという説も。)
誉田別尊(ほむだわけのみこと、応神天皇八幡神に同じ )

出雲系の神様と古墳時代天皇がミックスしてますね。
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全国に熊野神社はありますが
この西川津というところは昭和の香りが残る
のんどりとした雰囲気のところです。
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正面の鳥居が熊野神社の入り口です。
右の石垣の上に神社があります。
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丘の中腹に神社の本殿があって、
これは下から上へあがっていく階段です。
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西の方にまわると、本殿へと下っていく階段になります。
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こちらが本殿です。
この神社は西川津の地域にあった子守三所権現
宮尾神社三輪神社若宮八幡宮が合体しているので
すごい広範囲をカバーしている神社です。
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お正月期間は運よく本殿の中まで見ることができました。
太鼓もあるので雅楽の奏上もあるのかな?
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残念ながら宮司さんは不在だったので直接お話は聞いていません。

いちおう図書館の郷土コーナーで
松江の熊野神社のことをいくらか調べてみました。

ちょこんとしたローカルな神社であるにもかかわらず
いろいろなエピソードのある興味深い神社です。


●エピ1
「この社は先年、子守山に鎮座していた。
その頃、海岸に難破船があったが、
その船は射しいる光を頼って非難することができた。
船員たちは里人にこう話しすのだった。
この山に岩舟大明神という神様がいると。
そして船員たちは山に登り、石にしめ縄をして社の建立を祈願した。
そして日向の国から材木をとってきて、社を建立した。
この時から「子守三所権現」と社号を改めたと伝えられている。」

(この話にちなむのか、社殿の木彫りは波模様でした。)
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難破船を光で導き、助けてくれたのは子守山の神様だ!
日向から木を切ってきてお社を建てよう!

というかんじですね。
日向って宮崎県ですよね?頑張って木を運んできましたね。

「社はその後、山口郷の総鎮守として※多賀備中守大願主として奉斎された。」
とありました。

多賀備中守という人が分からず検索しましたが、
秀吉の時代に活躍した人らしいということしかわかりませんでした…
とりあえず桃山時代以前のエピソードなんですね。


(本殿にかけられた龍の木彫りが立派です。)
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ちなみに、
今の「熊野神社」という社号は宝永3年(1706年)に改められたそうで、
310年前にはすでに熊野神社だったのですね。


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そしてお次にはカッパ(河童)の伝承も。


●エピ2
大己貴命(おおなむじのみこと)を祀る宮尾神社という神社が
西川津字橋本に鎮座していた。
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先年、西川津村を西長田村と言っていたころのこと、
河子(かっぱ)が人々を悩ませており、人々はこの神社に祈願した。
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ある時、
河子が馬を川へ引き込むところを里人がとらえて、
この神社の御前の石に、
西長田村の人々に災いをなすことをしないよう、証文を書かせたと伝わる。
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この石をこの神社に収めたので、里人は「河子の宮」とも呼んだ。」


このカッパに証文を書かせたという石は今も残っているのかな?
もし宮司さんに会う機会があれば聞いてみたいと思います。

西川津にはカッパの伝承がしばしばあるのが面白いです。
他にもカッパエピソードがありましたし。

(本殿は正面から見ると小さいですが、横から見るとこのとおり。)
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(^◇^)