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GW☆3☆日御碕へ⑦謎の形状・小野宮司家の墓2



のつづきです。


よく見ると、雲の上に珠ではないお墓もありますね。
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前記事にも書きましたとおり、
雲が彫られた柱の上に珠というこの形状の謂れについては
わからないようです。


この墓標を紹介されている著書には
「柱の雲形は天空を表し、頂上の珠は
魂を象徴しているのではないでしょうか」
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「この世から離れた魂が高天原に上がっていき、
ますます高い位につかれ、神となられることを表している」
のではないかとのこと。

なるほど、理解しやすい見解です。


関係ないですけど、
私はこの墓標の形状を見て、ふと
縄文時代に祀られていたという
石製の男性のシンボルを想い出しました。
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(画像は拾ったものです)


この石遇にも似てるかな
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でも、アメノフキネノミコトが存在したのは
おそらく縄文時代ではなく
弥生末期か古墳時代草創期ぐらいですかね。



なかにはこのようにま新しい雲形墓標もありました。
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御名前を見ると、本に紹介されていた
100代目(別地に住んでいた三人を除くと97代目)の勝彬氏。
お亡くなりになっていたのですね。
そして、ご夫婦で命(みこと)がついて神様のように。
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雲形の墓標は大きさもいろいろあって、
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ちょこんと小さな墓標もありました。


デザインが少しずつちがいます。
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墓地は奥につづいていて、
奥へ行くほど古い時代のものになるのか、
雲形の装飾がすっかり落ちてなくなってしまっている物も。
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奥の墓地。なんとも静寂で趣きがあります。
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草がはえちゃってますね。
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もうこの墓標はだいぶ崩れてしまっています。
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もはや倒れたままになっている墓標も。
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林の奥に転がっている丸い石は
墓標の上に乗っていた珠ですね。
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何百年もたち、風雨にいたみ、
小野宮司家さんたちだけで維持することは
負担が大きいのかもしれません。


行政の手を借りて整備することはできないものか?
とも考えましたが、
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そうすると、
歴史家や研究家に協力したり、
税金を投入する理解を得るために
一般公開の必要が出てきたりと、それも大変かもしれません。


歴史がある。
維持する。
お金や手がかかる。
難しいですね。
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でも、このまま崩れて風化していっていいのかな?
外国ではこんな万世一系のすごく歴史のある墓地なんて
そうそう無いように思うのですが…



ところで、
日御碕神社の小野宮司家は、
宮中での奉仕の際、任にあたった日御碕宮司さんが
その功労の大きさで天皇から
近江の国(滋賀)の小野という領地を賜り
それから姓が小野になったとのこと。
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それまでは
日置(ひおき)という苗字だったそうです。

ん?
日置?
日を、置く?
あ、それってあの墓標の形?
「日」を「置いて」いる?
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そういえば日御碕神社のご祭神は
太陽の女神・アマテラスオオミカミでしたね。

雲の上に、太陽?かな
出雲大社の御本殿の天井にも雲が描かれてるそうだけど、
雲にはどういう意味が隠されているんだろう?
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てか、
もし仮に墓標の上の珠が太陽を表しているとして、
そこに埋葬者の名前が、神格を意味する「命」付きで
記されているという意味シン…


本当は、
我・アマテラスオオミカミの子孫なり
という暗示…だとか、
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あ~~~いろいろ想像してしまいますわ(笑)


みなさんも、
この不思議な小野宮司家の墓標の謂れを
いろいろ想像してみてください
(^^)/



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この後、
出雲の島根ワイナリーなどにも行きましたが、
もう6月だというのにいい加減
GWネタを引きずるのはどうかと思いますので、
この辺でとどめておきたいと思います。

しまりんの画像だけUPしておきますね♪
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おでこから覗いているのね。


その後のGWは
紐解神社(ひもときじんじゃ)に行ったぐらいです。

田舎の神社だったわ・良い意味で。
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そうそう、
無くなってしまった切り紙の型紙サイト分、
型紙をUPしないといけないんでした。
また型紙UPしますね~