オリガミ ヲ キリガミ オカルティー(総合)

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隠岐の旅⑧ 島前 ⇒ 島後 しみじみる。




・*:.。. .。.:*・゜゚・*


牛馬の放牧されたのんどり国賀海岸から港に戻り、
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島前から島後に船で移動しました。


別府港ゲゲゲの鬼太郎がふんだんに盛り込まれた港です。
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一反木綿(いったんもめん)目玉おやじがお見送り。
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ところで、隠岐島根県ですよね?
で、
ゲゲゲの鬼太郎の作者さんは
鳥取の方じゃなかったでしたっけ?(笑)


船の入り口でお出迎えしてくれるのは
ネズミ男のぬいぐるみ。
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微妙に似てなくて可愛い(笑)


さらば島前。
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もうなかなかここまでは来れないでしょう。
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航海中、見えてきたこの島は軍艦島(ぐんかんじま)というそうな。
あの世界遺産になった有名な方の軍艦島ではありません。
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名称の由来は、形が軍艦に似ているからという単純明快な理由。
戦時中、この島を敵の軍艦に見立て、
大砲を撃つ練習をしていたと教えてもらいました。
もしかしたらこの島に
そういう残骸とかあるでしょうか?



なんだか神秘的な島が。古来から手つかずの島でしょうか。
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木の葉人や本土から来た神々、流刑の人々…
多くの人がこの島を、いろんな思いで見たのかな。
しみじみ。
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日が暮れてきました。淡い夕焼け空が船の上に広がる。
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なんだか「神話の時代」っていう感じ(?)
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島後が見えてきました。
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ここにもうなび山がありますね。
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古い古い時代、日本にはたくさんの神々がいましたが、
その神々は山の中に入ったといいます。
だから日本の山々には神がおわすのだという。



島後西浦港が見えてきました。
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赤いブリッジが見えます。島前よりいくぶん都会のようです。



船は西浦港につき、そこで食事をしました。

隠岐に居る、おばちゃんの親戚が居酒屋に案内してくれ、
一緒に食事をしたのですが、
ほんの3年ほど前まではずっと大阪で暮らしていたそうです。

話を聞いていると、どうも大阪の大きな企業の社長の愛人を
長年されていたようで…
その親戚の方がけっこう有能で会社を大きくしたようです
(;゚д゚)

社長はとっくに奥さんと離婚していたそうですが、
その娘さんが再婚を許さず、
結局、40年も愛人のまま。
子供もおろさざるをえなかった・と。

それでも、後悔はないとのこと。
いろいろな所へ行き、普通では経験できないような贅沢も経験した。
人生をふり返り、とても自分は幸せだったと。

幸せとは、「そこにある」ものではなく、
「ここが幸せである」と思うこと
なのだなと、何故か隠岐でしみじみしたのでした。



さて、
西浦に居るおばさんの親戚の方とはそこで別れ、
タクシーで大久という所に向かいました。
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先ほどの叔母さんの親戚とはまた別の、
隠岐在住の親戚の方のおうちに一泊させてもらうのです。
(ちょっとややこしい?)


大久とはなんと、奇遇にも
海人が一番最初に隠岐に上陸したという場所ではないですか。
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あ、でも真っ暗で景色が何も見えません(汗)
翌朝、景色を見てみようと思います。



ちょっと関係ない話?ですが、
タクシーの運転手さんに、隠岐固有の動物は居ないか聞いてみました。
すると、
隠岐ウサギという隠岐にしか居ないウサギがいる・と。
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隠岐ではクマやシカなどの大きな動物は居ないそうで、
それは何故かというと、
島が小さいから大きな動物がいると
あっという間に植物を食べ尽くしてしまい、繁殖できないそうで、
で、
ウサギより大きな動物は居ないのだそうです。

なるほど~。

で、帰り際、
運転手さんがたまたま見かけて撮ったという
自慢の隠岐ウサギの写真を見せて下さいました。

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グレーで、細くて、足の長いウサギです。
野ウサギ特有の体形ですね。


・*:.。. .。.:*・゜゚・*


そして、
大久のおばさんの親戚のおうちに到着。

われわれ家族とおばさんは居酒屋で食事してしまったのですが、
お食事を用意して下さっていまして…

80も越えたおばあさんがこのような立派なお食事を。
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ウミウシやナマコなど、漁港の人ならではの食材もあり、
また、おばあさんが畑で収穫した大根を干して作った煮物など、
これぞ日本の正しい食事!
という素朴贅沢なごはんに感動です。

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おばあさんは肉を一切食べないそうで、
まあ昔の田舎の人は肉ってそんなに食べなかったですよね。
私も肉を食べなくなって2年半。
たいへんお通じが良くなり、皮膚病も良くなってきています。

おばあさんも80を超えるというのに、
息子夫婦と孫たちの食事、洗濯などを担い、
離れた場所にある畑へスクーターに乗って行き、
畑仕事をするという元気さです。

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日本人が長い年月食して来た
野菜やお魚、煮物中心の食事は
やはり日本人の体に合うのではないでしょうか。
(一応、表向き、鎌倉時代から肉食は禁止されていましたし。)



この8月の時期、ちょうど隠岐
シロイカの捕れる時期だったようで、
息子さんはイカ釣りに出かけておられました。
そして、イカを持って帰ってこられ、
捕りたてのイカを出してもらったのですが、
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食べようと箸を近づけた時、
イカの赤い点々模様がウニョウニョ動いているのに気づいて
ビビりました (;゚д゚)
(京都市は内陸で、新鮮な魚介からは縁遠かったので。)


・*:.。. .。.:*・゜゚・*


しかし、もっと驚いたこと…
というか、
個人的に好奇心をそそられてガっついたのが、
息子さんの目がブルーグレーだったこと!

見た目は普通のアジア人のようなのに、
目の色が、本土じゃ見たことない目の色なのです。
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息子さんはそれこそ子供の時など、
外国人の子供のような見た目だったそうです。

そういえば、
おばあさんも彫りが深くてぱっちりとした大きな目。
その親戚である、
今回旅を案内してくれているおばさんも、
彫りが深く、目も大きい大変な美人です。


こ・これは…
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縄文人の特徴…!!

そう、
縄文人は、現代の〈新モンゴロイド〉ではなく、
容姿が限りなく白人のそれに近い〈旧モンゴロイドなのです。

大和政権と最後まで戦った東北の戦士アテルイ
実は金髪碧眼だったという説は
以前紹介させてもらったことがありました(そういえば)。
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何故、隠岐に旧モンゴロイドの特徴を持つ人が?
やはり、
最初に隠岐に入ってきた木の葉人の人たちは
縄文人だったということでしょうか?
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念のため、おばあさんにそれとなく
一族は昔から隠岐に居たのか聞きましたところ、
「ずっと隠岐の人は隠岐の人と結婚してきた」
とのことで、
息子さんの代まではかなり純粋な隠岐人のようでした。


いずれにせよ、
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隠岐はそれほど大和民族の影響を受けず、
わりと縄文人の血が残っていた
ということではないかと…。
そう思うとしみじみします。


ちょっとこの話は
また後で追及したいと思います(笑)


・*:.。. .。.:*・゜゚・*


で、

翌朝、大久の地域を散策してみました。


大久の地元の方々が手を合わせる神社です。
ちょっと神社名、御祭神は分かりませんでしたが。
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子供が生まれて30日経ったらこの神社に連れてくるんだと
おばあさんは言っていました。
今でもその伝統は続いているのかな?
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神社のすぐ前には大久の港が。
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個性的な形の小島が目につきます。


隠岐に初めて上陸したという海人の長も
この小島を見たのでしょうか。
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身体は刺青だらけだけど、温和で
木の葉人と仲良く暮らしたという海人の人々。
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釣りの仕方などを教え、
隠岐の人口を増やしたという。

ここからそれが始まったのかな?
なんだかしみじみします。