美保の関へ② 神社周辺と美保関灯台
『美保の関へ①』のつづきです⇩ 今回もオカルティーありマス・気を付けて✨⭐️
みほのせきは正しくは『美保関』なんですが、何故かこの3文字になると読めなくなるので(?)、『美保の関』と書かせていただいています(^_^;)
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さて、
『①』の記事では、”除霊”せよとのカードの御宣託にビビり、美保神社でお守りを買うことを決断するも、何のお守りを買えばいいのかが分からず”ペンデュラムをお守りの上にかざして選ぶ”という変態行為をはたらいたところまで書きました。
「見てはいけないものを見てしまった」とばかりにサッと目を反らす神職さんの、しかし溢れ出る恐怖に震えるオーラを横目に、何度もお守りの上にペンデュラムをかざす気持ち悪いワタクシ(笑) 『この神職さんは「今日お守りの上に変な器具をかざして選んでる奴がおったわ。メチャクチャ気持ち悪かったわ~」と晩ご飯時、他の神職さんらと盛り上がるんだろうか?』とか思いながらも”今の自分に必要な”お守りを真剣に探しました。
で、
で・で、
どう考えてもペンデュラムがクルクルして反応するお守りがひとつ。
何回確認しても、
そのお守りの上でクルクル・・・
えぇ~~・・・
これは”無い”やんなぁ~?
と思いつつも、
ペンデュラムがこれに反応するんだからしょうがない。
そのお守りというのが…
デーーーーーーン!!
安産のお守りやん・・・(꒪⌓꒪)
妊娠してない、いや、夫もおらん、どころか彼氏もおらん。私が聖母マリアでもない限り果てしなく関係ない種類のお守りですやん・・・
・・・・・(‘A`)(‘A`)(‘A`)
でも自分がペンデュラムに聞いたのです。聞いた手前、それに従うのが筋というもの。
安産のお守りを買いました。(ますますいぶかしむ神職さんの顔…)
しかしよく考えたら、
神職さんがお守りに御祈祷(?)する時、わざわざ「交通安全」とか「病気平癒」とひとつひとつ分けて種類の違う御祈祷をしてるとも思えぬ。
(まとめてやればいいよね)
おそらく御祈祷する時は種類関係なくまとめてやっているであろう。
つまり、
「安産御守」だからこのお守りは安産の為の祈祷をしている・とかそういうのはなくて、あえて違いがあるならお守りの袋のデザインと文字が違うだけ。中に込められたものはみな一緒。
・・・と想像。
ならばどれでも一緒よと、安産御守りを手にひとり、納得したのでした。
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●おまけの後日談●
『①』の書きましたとおり、ブログで美保神社のご祭神、美穂津姫命さんのことを書いている時に勝手に部屋のドアがカチャリと開いたり、銀色の光が横切ったり。で、美穂津姫命さんが来てくれてたらいいなと思って「床の頭もとにお守りをかけていますので、夢でお会いして下さい」と心の中で話しかけてみたのでした。
んで、その日の晩、床についてウトウトしながら頭もとにあるお守りのことを考えていた時、かすれた老婆の声で「気をつけ…」というドリームボイスが聞こえてきてヒエッとなったのでした(っ゚Д゚;)っ な・な・な・何を気をつけたらいいんだ…!?
よけい怖くなりました(‘A`)
おまけに、翌日スマホをいじっている時に「呪い」と聞こえてきました↓↓↓
べつに私そんな善い人でも悪い人でもない、誰に何の影響も与えてない極小な人間ですよ。そんな執拗に呪われるほど良い意味でも?注目されるような人物とちゃいますけどね(笑)
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さてさて、ようやく本題に入ります(笑)
写真を撮ったりお守りを怪しく買ったりしているうちに、みんなに置いていかれてしまい、慌てて神社の楼門をくぐって出ました。
入ったときは気付きませんでしたが、楼門の上にデラックスな御幣?が2つ下がっていました。
2つあるのは、ご祭神が2柱居られるからですよね。今までこういった形式のお供え?を見たことがありません。どんな意味があるか聞きたかったけれど、置いていかれちゃってるのでそれどころではありませんでした…
(私は家族旅行の時、タイの山上でマジで家族に置いて行かれ、知らない地で一人彷徨ったことがあります…。何で黙って帰っていくんだと抗議したところ、「はぁ?」と逆ギレされました。うちの家族はサイコパスなんじゃないかと思うことがしばしばあります)
神社を出るとき、鳥居の向こうに漁港が見えました。千年を超える昔から、多くの漁民が航海の無事を祈ってこの神社に足を運んだことでしょう。
一の鳥居を出たすぐ左側に、古式ゆかしい石畳の商店街(だったなごり?)がありました。「青石畳通り」と書かれていました。
母に電話をしてどこにいるのか確認すると、この通りに入って行ったというので、私も後を追いました。
昭和レトロな風情のある通りです。
創業1717年の宿。女性日本画家の上村松園も度々ここで泊まっていたそうです。
が、なぜか入り口上の階段は真っ赤っかに塗られてモダン建築風(笑)
野生の白い藤が山から溢れ出ていました。
「だんだん」この地方のありがとうの意味ですね。
祖母が松江の人なんで、母に「おばあちゃんもだんだんって言ってた?」と聞くと「そんなん聞いたことない」と言うので、もうすたれた言葉なのかな?と思っていたのに、松江へ旅行に来て祖母に会ったとき靴下カバーをあげたら「だんだん」って普通にお礼を言われました…(°_°)
神社前の商店でイカ焼きを注文することにしました。
神社へ着いた時、けっこうぎっしり車が止まっていてこの商店の真ん前しか空いていなかったので、後でイカ焼き買いますと言って車を止めさせてもらったのでした。
漁港でとれた新鮮なイカを
その場で焼いてもらえます。なんかこういうのも昭和感あっていいな。
まだかろうじて昭和創業の店舗が全国にちょこちょこと残っていますが、もうけっこう風前の灯火というか、今お店をやっているおじいちゃんおばあちゃんが体動かなくなったらもう閉めます的な状況のお店が多いですよね。今はさらにコロナの影響で観光地など厳しいんじゃないでしょうか。
昭和レトロブームがドーンときて、全国の昭和な商店が儲かったらいいのになぁ。
美味しそうな香りを漂わせ、イカ焼きが焼き上がってきました。小さなイカ型の器には、イカから取り出したイカの卵としょうゆを混ぜた物が入っています。イカ焼きに卵をつけながら食べると、より新鮮な磯の香りが口の中で広がります。
手作りのイカの塩辛も味見させてもらいました。スーパーで売っている瓶の塩辛しか食べたことのない私は、素材のリアルな風味に驚きました。
(もうイカ!っていう感じ)
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美保神社をもう少し先に行ったところに美保関灯台があるというので、車をさらに先に走らせました。
まあなんと青い海よ。本当にお天気で良かったなぁ~。
美保関灯台が見えてきました。
思っていたより小さく見えてしまうのは、日御碕の巨大な灯台をイメージしてしまっていたから?
この白い波しぶきを、神話の時代の神々も眺めたんだろうか?
灯台の手前の建物はビュッフェ・レストランのようでした。青い海と空を眺めながらのビュッフェとか、旅行に来た感があっていいですね。
灯台はこんな感じでわりと小さいです。中には入れません。
海側に出ると景色がパッと開け、本当に空も海も限りなく青い青い。ゆっくり青い景色を堪能できるようにベンチが並んでいます。ここ、隠れデートスポット💕ということで良いんじゃないでしょうかね、お金もかからないですよ。
ところで、また私は母らに置いて行かれてしまいました…。何でちっとも景色を見たりせずにちゃ~っと歩いていくのか、私には皆目わかりません(꒪⌓꒪) (旅行だよね?)
電話が圏外でつながらないので、周りをウロウロして探しましたよ…
ウロウロしているうちにこのような美しいお散歩道にでました。家のデッキからこんな景色が見えたらきれいだろうな・と『私が家を持ったら』妄想をちょっとしてしまいました。
木々の向こうにうっすら見える山は、鳥取の大山(だいせん)です。
この地方に住んでいた出雲族たちは、人は死んだら魂が大山の山へと還っていくのだと考えていたようです。なので、大山そのものが祖先みたいなものなんですね。
古代の人たちは「去った人々」の還っていくこの山を、どんなふうに見ていたのかな?
以上。
オカルティーのちょいちょい入った美保の関リポートでした。
追伸。
今のところまだ呪われていません。ん?もしかしてもうずっと呪われているのか?(笑)