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戦後復興のすごさが分かる画像⑥ 戦後1948年

【戦後復興のすごさが分かる画像⑤ 戦後1947年】のつづきです。

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●引揚
佐世保援護局
1946年~1951年の閉鎖まで140万人の引揚者を迎え、送り出した佐世保援護局ではこの間に1216隻の引揚船が入港。
敗戦の大陸を、命がけで逃げてきた引揚者の祖国での第一夜は援護局だった。3~4日の援護局の寮生活で帰国手続きを終えると、懐かしの故郷への旅へ。

 「援護局に入って、帰国したという実感がわいてくる」という説明書きが。
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 屋外で大事に持って帰ったお米を自炊。
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お茶の支給があると、ヤカンから水筒まで持ち出して運んだ。
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医療課の病舎。栄養失調が多く、その大半は結核患者だった。
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引揚は生還者ばかりではなかった。戦没者あるいは引揚途上で死亡した者も少なくない。毎日120~160体の遺体が火葬された。真冬の海辺の寒風の中、作業は続けられた。
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●政治
皇居前のデモ ソ連抑留日本人の帰国要求
博愛運動を推進するため、プラカードを掲げて東京都内をデモ行進し、皇居前の楠木正成像に集った人々。多くの訴えの中でも、ソ連に抑留されている日本人の帰国要求のプラカードが注目された。この街頭行進には1000人が参加した。
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岸信介氏出獄。戦時中、東条内閣の商工省の商工大臣だった岸信介氏(写真左)が12月24日、A級戦犯として拘置されていた巣鴨拘置所を約3年ぶりに出獄した。写真右は実弟佐藤栄作氏。
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1948年8月東宝争議に登場した戦車改造のブルドーザー
(※東宝争議 日本の大手映画製作会社、東宝で発生した労働争議を指す。最終的には撮影所の接収に警視庁予備隊および連合国軍の一員として日本の占領業務にあたっていたアメリカ軍までもが出動した。Wikiより)
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 ●災害
福井地震
6月28日、福井平野を中心にマグニチュード7.1の地震が襲い、死者3769人、家屋倒壊36184戸を出した。福井市では震度6を超えていたとみられる。
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 奥は傾いた大和百貨店。
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●文化・社会
1945-48年。東京京橋付近。
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東京銀座に登場したサンドイッチマン。この人は元海軍大将の子息で、戦後の時代の変わりようを印象付けた。
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義肢の製作。
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ヌード撮影会。東京都北区の旧渋沢邸の庭園でヌード撮影会が開かれた。
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(左)天才少女といわれた美空ひばり10歳でデビュー。「悲しき口笛」で一躍スターに。(右)第1回のど自慢大開はじまる
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太宰治、6月13日に東京の玉川上水で山崎富栄さんと入水心中。
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●庶民
1946-48年。浅草のヤミ市 配給食糧だけでは餓死する人が居た。誰もがヤミ物資でようやく生きていた。
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1946-48年。瓦礫の中に新築中の家が見える。
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ポンせんべい売り。山形。
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大道流しの獅子舞。浜松。
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両国花火。隅田川の川開きの行事として花火の打ち上げが再開された。
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1945年の終戦から3年。まだまだ戦争の爪痕深く、貧しく、生きることで精一杯の人達がほとんどだった様子。そこへ着のみ着のまま命からがら海外在住者が引き揚げてくる。ようやく日本に帰ることの出来た引揚者が帰った先に、故郷が残っていたかどうかすらも分からなかったわけで・・・。

しかし日常の中で楽しみを見つけることを忘れない強さも健在なことがうかがえます。
戦後間もない46年にエログロナンセンスが流行り、その翌年にはただヌードの女性が登場するだけのショーに人が群がり、命からがら日本に帰国する人たちや餓死する人たちがまだまだ居た48年にもヌード撮影会にカメラを持ったおじさんたちが詰めかけるという性懲りのなさ(笑) どんな時もエロを忘れない逞しさは生きる力でしょうか。
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この最前列で地面に着くほどかがみながら女性の下からのショットを狙う様は、現代のコスプレイヤーを狙うカメラ小僧と何も変わりない(笑)
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きっと世界の半分が瓦礫になろうが、しばらくするとコスプレイヤーはコスプレをはじめ、カメラ小僧は3日食べることをあきらめても写真を撮りに行くんだと思う。こういう、どんな状況になろうが好きなことをやめない性懲りのなさは、大事な生きる力だなと思う次第です。

変な〆かたですけど、戦後写真をあさっている時に、たくさんの瓦礫の写真の中にあっても笑顔の子どもたちと、エロイベントがあることにとても新鮮さと人の逞しさを感じたのでした。

とりあえずもうちょっと戦後の時の流れを追うつもりではあります。
次は1949年になります。
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