天皇陵めぐり☆祇園・東山辺り②
天皇陵めぐり☆祇園・東山辺り①のつづきです。
山だとはしらず、へ~こら国道1号線を歩いていきました。
静閑寺にも寄りました↓
この静閑寺は、高倉天皇と、その寵愛を受けた小督(こごう)との
悲恋の舞台でもあるようです。
寵姫をなくして悲嘆にくれる高倉天皇に、
美貌も音楽の才も持つ中納言の娘、小督が紹介される。
やがて高倉天皇は小督を寵愛するようになるが、
時は平氏の全盛期。
寵をうける身分の低い小督を宮中から追い出してしまう。
天皇が、家臣である清盛に何故そんなことをされるのかと思いますが、
この頃の天皇は、平家の傀儡だったのですね。
嘆き悲しむ天皇は、嵯峨に身を隠す小督を密かに呼び寄せ、
逢瀬を重ねるも、やがてそれも清盛の知るところとなり、
小督は出家させられるのでした。
その出家先が、ここ静閑寺なのですね。
その後の小督の足どりは不明とされていますが、
小督のお墓はこの静閑寺にあります。
生きて添い遂げられなかった2人は、
死してようやく、この地で一緒になれたのでしょうか。
(;ω;)
さて、
ここまでに登ってきた国道1号線の先には山科(やましな)があり、
山科には、第38代 天智天皇のデラックスな陵墓があります。
こちらの天智天皇陵には、夏に行っていましたので、
同地域(?)ということで、画像をUPしておきますね↓
歴代天皇に興味の無い方でも、
天智天皇の名前を知っている方は多いのではないでしょうか。
中大兄皇子(なかのおおえのおうじ)といえば、
もっと分かりやすいかも知れません。
天皇陵の傾向として、
実績の大きさ=陵墓の規模の大きさ
という印象を受けますが、
さすがは天智天皇よというグレイトな規模の陵墓でございます。
これらの地図は天皇陵めぐり☆祇園・東山辺り①にあります。
さて、
登りの苦がウソのような、降りの自転車でありました(笑)
またまた画像量の制限にかかってしまいました(;ω;)
しつこいですが、
天皇陵めぐり☆祇園・東山辺り③ に続きます⇒