オリガミ ヲ キリガミ オカルティー(総合)

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島根に向かう時のおもい。(ただしトンデモ系。)

 
 
先日、島根に行くその直前に、
図書館の予約本の順番がまわってきて、あわてて借りに行きました。
旅行の準備もしてないし、注文を受けていたビーズアクセサリーの制作も重なっており、
『なんでこんなタイミングで~~』
と、正直思いましたが、
また予約の順番を最後尾に戻すのも嫌なので、無理に読むことにしました。
 
 
それは、
坂本政道氏の著作である『ベールを脱いだ日本史』
というものです。
トンデモ系と言われるたぐいの本です
(またこの手の本を読む)。
 
 
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この本のことは、新聞の広告で知りました。
その紹介文を、
古事記日本書紀などの謎を、
高次の存在(なんか偉い霊?)に聞いて、解き明かしました。」
みたいなニュアンス…に、勝手に解釈したのでした。
 
 
 
そのころちょうど、マイブームが日本書紀などにシフトしていたので、
ぉおっ、霊とかと交信できる人が、てっとりばやく
謎を解明してくれるんなら、
こんなに楽なことはないわい!
などと思い、図書館で予約したのでした…(安易)。
 
予約している人がけっこう居られたので、だいぶしてから順番がまわってきました(汗)
 
 
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いざ、ページをめくってみると、
期待していた古墳時代の内容とかではなく、どっちかっていうと、
弥生時代卑弥呼の時代?
という感じで、
まぁ、私が勝手に古墳時代だと思い込んだだけだったのだな・と。
(;^ω^;)
 
 
しかし、その内容は、これから今まさに行く出雲(島根)の話題満載Σ(・口・!)
すごくいいタイミングです。
 
そして、
その内容の審議はともかく(そもそも霊と交信とか自体、トンデモのカテゴリだし…)、
大和政権にとってかわる過程で、出雲の国の人々が受けた苦しみ
私に強く印象付けたのでした…
 
 
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内容が本当かどうかとか、わかりません。
 
が、
ひとつの政権が樹立するその過程には、制圧された部族の犠牲や苦しみが伴うもの。
そんな当たり前のことを、制圧する側の英雄譚として読んでいるときは
すっかり忘れてしまうんですよね~(´~`;)
 
この本では、
天皇の系統である部族が渡来するよりも以前に、出雲族が渡来して文化を築いていたとして、
後に、前者出雲族が制圧されたとしています。
しかも、
たいへん無念なおもいで亡くなった出雲族の人々の魂が、多く成仏できずにいると…
 
 
なのでとりあえず、
島根の神社に行った際には、
(神社などで)神々として祀られている出雲の人々の魂の安寧を祈ることにしました。
私には何の力もないですけど(´~`;)
 
 
今回の島根の旅 = 古代出雲の人々の成仏をお祈りする旅
なのでした。
 
*★*―――――*★*―――――*★*―――――*★*―――――*★*
 

今回読んだ本の内容が訴える内容・流れをザックリと説明すると↓
 
縄文人
日本人(縄文人)は自然の中に神を見て、それとつながる生き方をしていた。
日本の様々な山に高次の非物質の生命体(体はないけど存在する生命)が宿り、
その頂へ登ることで、(縄文人のシャーマンは)交信することが可能だった
 
縄文人の交信していた生命体は、龍や蛇の形として知覚されていた。
 
 
創建がかなり古い神社には、縄文人が神を祀っていた場所にそのまま建てられたものが多い。
とのこと。

 
 
出雲族と呼ばれる集団は紀元前6世紀頃に出雲に渡来
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出雲族は土着の縄文人融和的だった。
出雲族縄文人とは異なる神を祀っていたが、縄文人にそれを強制しなかった。
出雲族は次第に縄文人の神をも祀るようになる。
 
(日本各地にあった縄文人が神を祀った場は、
その後、渡来人である出雲族が進出するにつれて、
大国主神を祀るようになった。)
ちなみに、
大国主神は、出雲族の歴代の首長を神格化した存在とのこと・・・

 
 
 
その後、時代が下り、
出雲へ朝鮮半島から好戦的なスサノオ族が鉄を求めて渡来
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そして出雲の人々を征服。しかしスサノオ族は少数部族だったので、出雲族に吸収されていった。
(元々出雲にいた大国主神を、スサノオの子孫とすることで大国主神を低く見せるなどの小細工も。)
 
 
 
 
 
紀元前1世紀頃
朝鮮半島から北部九州の糸島半島アマテラス族(神武天皇へとつながる部族)が渡来
※この本では、後にアマテラスを信奉する系統の先祖を、アマテラス族と名づけている。
日本へは半島から渡来したが、そのルーツはチベット辺りという。
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アマテラス族は最新の武器を持っており、糸島半島の部族を征服。
(そのころ出雲族は、邪馬台国を創っており、大和に本拠地を置いている。)
 
 
 
2世紀中頃、世界的干ばつ・飢饉がおき、戦が頻発した。
そして朝鮮半島から多くの人が流入したため、
倭国内の人口増・戦がおきる。そして2世紀後半の倭国大乱』へ。
 
 
 
その時に邪馬台国連合が作られ、卑弥呼が女王として立てられ、戦が収まっている。
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アマテラス族も、大陸の後ろ盾を失っていたので、とりあえず連合に加わる。
 
 
3世紀半ば頃、卑弥呼の死後の混乱に乗じ、
アマテラス族は現在の北九州市までの領域を勢力下におくようになっていた。
 
 
そんななか、
邪馬台国連合3世紀末になると次第に統制が取れなくなり、分裂気味になっていった。
その機をとらえ、アマテラス族の王家は神武大和への進軍を命じる。
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神武(初代天皇)は大和へ進軍。
ヤソタケル(邪馬台国王家の軍)をやぶり、
次にエシキ、オトシキ(邪馬台国王家の首長兄弟)と対峙。そこは邪馬台国のあった地だった。
オトシキ神武に寝返り、エシキは打ち破られる。
実はこの二人が大国主神の息子の事代主神建御名方神のことであるという。
 
 
そして邪馬台国の王大国主神と同様に、宮殿を建ててもらうが、
そのなかに幽閉された後、殺された
 
 
 
神武(崇神天皇と同一人物)天皇はかなり残忍だった
そのため相当数の人が恨みを残して死んだ。
 
彼は邪馬台国連合側の内部での裏切りを積極的に仕掛けた
例えば兄弟間で裏切らせた
裏切って味方になったものに対しては優遇したが、
そのまま敵でいた者たちは根こそぎ殺された
とくに反逆する土着民に対しては容赦がなかった
そのため、多くの人が恨みを抱いて死んだ。
 
 
神武(崇神)やその子孫はそのことを知っていたので、
鎮魂のための祀りを行ったり、社を建てたり
あるいは封印の儀式を行ったりした(現在進行形)。
そのため、各地に、封印されている人が今でもいる
という・・・。
 
 
 
 
 
バイオレンス神武の(勝手な)イメージ↓
 
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そして私は、
↑こういう勝手なイメージを持って、島根旅行へ行くことになったのでした
(;^□^)
 
 
以上。おつかれさま。