オリガミ ヲ キリガミ オカルティー(総合)

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『氷輪』を読むも、難しくて倒れそう。

 
お正月になったらゆっくり読もう
そう思って、
永井路子さんの『氷輪』を図書館に予約。年末に借りておきました。
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同作者の、同じ奈良時代が舞台の小説『美貌の女帝』がすごく良かったので。
 

新年を迎え、いざ・と、本のページをめくりましたが…
…確かに奈良時代ではある。

奈良時代舞台ではあるけれど…

唐から渡ってきた僧の話でして…
鑑真(がんじん)とかの話ね。

僧がいけない・つまらない・というわけではなく、
僧の世界というのが、
ものすご~~~~~く難しいのです
(><)
 

しかも、
奈良時代の日本の僧界にやってきた、唐(古代中国ね)の僧たちの話で、
専門性がかなり高いような…?
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きっとお坊さんなら
まだ発展途上だった日本仏教界に、本当の仏教を伝授すべくやってきた
鑑真たちの運命がいかなるものだったのか
かなりワクワクしてお読みになったでしょう。

しかし、私は仏教の基礎知識も無く・ですよ。

『鑑真』というお坊さんのことは、歴史の教科書にもありましたので、
名前ぐらいは覚えていました。
といっても、
『数度にわたる渡航の失敗で、視力をうしなった』
というエピソードの、
「なんで渡航に失敗したら目が見えなくなるの?」という
アホな疑問でちょっと覚えていたぐらいです。
※缶詰が発明されるまで長期渡航者はビタミン不足に悩まされていたそうなので、
繰り返す渡航に栄養の偏りができたせいなのかな?と。
 
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私は、鑑真が何をしに日本に来たの知りませんでしたが、
当時の日本の事情をザックリとまとめると、

「僧というのは、本当は、7人の上僧の立会いのもとで
授戒(じゅかい)というのを行わないと、
僧としては認められないんだよ。これ、僧界の世界基準ね。
え、日本って授戒の儀式もまだ無いの?」
っちゅうことで、
仏教に信心の篤い聖武天皇が唐に特使を派遣して、
授戒を行える高位の僧侶を日本へ迎え入れることにした・・・

という表向きの事情の裏で

「僧尼を無税にしたら、やたらめったら僧侶を名乗る輩が増加し、
政府は手をやいていた。
そういった僧侶モドキを増殖させない為にも、
授戒を正式に行った者しか僧侶と認めないようにしなければ」

という裏事情が・・・。

そのさらに裏にも、僧侶界&権力者たちの事情うんぬん・・・
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とにかく、
飛鳥時代奈良時代というのは政情が非常に複雑です(><)

日本においては、
僧も政治権力の世界に口出しするという特徴もあったようだし・・・

そんな中に、
政治とは別世界の、実にストイックな宗教生活を送っていた鑑真一行が、
「日本という国の仏教に、受戒の制度を教えねばならない」
という理念のもと渡航…しちゃったのですね。

しかも、
唐へ特使が送られたのは20年前のこと(〇o〇;)

当時、非常に危険だった渡航を、どの僧も断ったそうです。
「どうか、いまだ授戒すらない日本の仏教にご指導を・・・」
その想いをくんで、やっと説得に応じてくれたのが鑑真
鑑真の渡航がいかに命がけであったのか、
それは
6度目にしてようやく日本の地を踏んだエピソードでも知られているとおり。
渡日を果たしたとき、鑑真はすでにおじいちゃんでした…
 
特使が送られ、鑑真が渡日を果たしたその20年のあいだに、
日本の事情は大きく変わっちゃっていた
のでした
(〇o〇;)
聖武ももう天皇じゃなくなっており、おまけに精神を病んでいる状態でした。
 
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けっきょく渡日した鑑真聖武や皇后たちのために行った儀式は、
当時、ついに権力をきわめた
藤原家の権力誇示に使われちゃった形に。
そして、
まもなく聖武崩御
 

それでもブレずに、
本来の目的である「授戒」を日本の僧たちに行おうとした時、
意外な抵抗勢力が現れた。
 
 

それは、
 
 

日本の僧たちであった・・・
(〇o〇;)
 
 
なんで、日本の仏教のためにやってきた鑑真一行が、
日本の僧の抵抗にあうの~~~~?!
 
 
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鑑真についてきた弟子の中に、青い瞳の少年も居たのだとか・・・
 
 
・・・と、
専門用語や名前の読みが難しいだけでなく、
内容もかなりおなかいっぱいになる複雑さで、
これでもまだ、上巻の前半の前半なのです(´~`;)
鑑真ももうおじいちゃんなのに、
これ以上どう、展開していくのでしょう?
 

もうだめだ・読みやめよう
毎度もそう思いながらじわじわ読みすすめてます。
 

しかし!

その短い内容の中に、
私がここ数年悩んでいるあることについて、
答えを見出すことができた(?)
のでした。
それは・・・
 
*★*―――――*★*―――――*★*―――――*★*―――――*★*
 
 
●私たちの世代って、何でこんなに自分のことしか見えないの?
 
という悩み・・・。

先日、雅楽の観覧で、
演目が始まったとたん目の前の人が子どもを肩車して、
雅楽を観覧できなくて・・・
というぼやきをブログで書きました。

これに類することが、ここ数年、ほんっとうに多いのです。
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時代祭の時も、びっくりなことがありました。
祭り出演前の方々を撮らせてもらえる機会があり、
出演者の方に声をかけて交渉し、牛車の前に立ってもらって
写真を撮らせてもらうことに。

で、
出演者の方々に牛車の前に来てもらいました。

それを写真に収めようと、カメラを持って後ずさりしたその瞬間、
カメラを持った家族連れの父親が、ホラホラ、そこに立って!と、
妻と子どもたちを、出演者の方々と牛車の前にならばせ、
そこは「ぼくのファミリー撮影会」に早変わり。

私は、人の家族を勝手に撮るわけにもいかず、
呆然とファミリー撮影会を傍から眺めていました↓↓↓
 

この家族に悪意があるとは思わない・ですが、
「自分の家族をベストショットで撮りたい」という思いばかりで夢中になり、
私が交渉して出演者をここまで連れて来ている所とか、
全く見えてなかったようです。

周りにどんなに人が居ようとも、自分の家族のことしか見えない
という視野狭窄・・・

ある意味怖い。
そして、これが、自己中行動につながる・・・
この頃すごく見受けられる光景です。
傾向として、たいてい子供づれファミリーです。
 
 
いま子連れぐらいの世代といえば・・・
これはガッツリ自分も入りますΣ(・口・!)
ふつうに結婚して子どもが居れば、今ごろ子連れファミリーです。
つまり、
きっと自分も気づいていないだけで、
 『自分や自分たちのことでいっぱいいっぱい・周り見えない』症候群
私もかかっている
のでしょう(汗)。
気づいてないだけ。
 
↑そういう経緯があり、私は度々考えていました。
どうして私たちの世代は、大衆の場で自己中行動に陥ってしまうのか?と。

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時代祭延暦寺代の青年
 
 
十年ぐらい前のことですが、
海外旅行のさなか、観光名所で中国人が、
「俺が写真撮るんだからお前たちは全員そこをどけ」と言って、
周りの観光客を追い払い始めたということがありました。

同じ観光客の身で何言ってやがると思い、私は無視していたのですが、
カメラを持った中国人が、やれやれといったポーズをとりながら近づいてきて、
私の腕をつかむと、邪魔だといわんばかりに中庭に突き飛ばされました。

私は怒って、つかんでくる手を振り払ってキッと睨んだわけですが、
その時の中国人の表情と来たら、
「え?何でこいつ怒ってんの?」というキョトーンという表情…

そう。つまり、この人たちは
自分が迷惑なこと・失礼なことをしているという感覚が全く無い
のだということを私は悟ったのでした
(〇o〇;)

悪意うんぬんというより、
「わからない」という感じなのですね。
正しくは「知らない」のかも。
大衆と自分・という関係を。
(;´д`)
 
 
このときであった中国人観光客に、
日本人の感覚も近づいてきたな~と感じはじめた今日この頃。

それは、
私を含めた、私の世代周辺なのでした・・・

それはどうしてなんだろう?
 
 
 

ちょっと文章が長くなったので、
次に『氷輪』から悟った自分なりの考えをUPいたします⇒
 

それにしても、グチ全開ですみません(;^□^)
 
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