オリガミ ヲ キリガミ オカルティー(総合)

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粟田神社の粟田祭を観てきました①

 
このあいだ神社仏閣の催しを紹介しているサイトを見つけ、
粟田神社(あわたじんじゃ)粟田祭というイベントで舞楽が行われると知り、
すご~く観に行きたくなったのでした。
 

でも、粟田神社、行ったことないしなぁ~、行けるかなぁ~?
と、
舞楽が行われるというその前日、悩んでいました。

で、
そうだ、行けるかどうか今日行ってみよう!
というお馬鹿発想
で(笑)
そのテンションのまま粟田神社目指して家を飛び出したのでした。
 

行ったことの無い場所だったので、
けっこう間違った場所にも行ったりしてみましたが(;^□^)
なんとか粟田神社に到着しました。
 

石造りの立派な鳥居が見えてきました。
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鳥居をくぐると境内に続く坂が。なかなか綺麗な景観です。
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そして、階段を上がりきったところに
境内がひらけていました。お天気が良くて爽やかです。
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境内の端に行くと、街が見下ろせることに気付き、
なにげに山を登ってきたんだなと実感。
(山特有のでっかいアリもいたしね(笑))
 

ご本殿も落ち着いた雰囲気と清潔感で良い感じです。
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メインの御祭神はスサノオノミコトだそうです。
九州地方や出雲地方ならともかく、
京都のこんな所にもスサノオノミコトが祀られているなんて
何だかイヒョウをつかれましたΣ(・口・!)
 
 
ところで、
粟田神社の由緒書きを見てみると、
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「この地は上古のころ孝昭天皇の皇子天足彦国押人命を祖とする一族が住み
(中略)中古熱田神宮が奉祀されるや、一族 熱田の社人として移り~」
とあるではないですかΣ(・口・!)
 
孝昭天皇とは!
これまたふる~い時代の方の話が出てきましたね・・・
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孝昭天皇(こうしょうてんのう)
生没 / 紀元前506年~紀元前393年8月5日 114歳!
在位期間83年!
 
孝昭天皇のことを調べてみると、
尾張氏という新たな提携者が登場】という文があるので、
熱田神宮のある愛知尾張とつながりが・という話は
突拍子も無い話ではないようです。
 
てことは、
熱田神宮の社家の方々のご先祖様は、
この粟田神社あたりに住んでいた・ということかな?
日本人の歴史は本当に古いねぇ~。

外国では同じ国(地)に同じ民族が住み続ける歴史の経緯がないので
(他の民族に制圧されて、前の民族は文化ごと消されること多数。)
この日本の地の歴史全てが、我々日本民族の歴史そのものである
ということは
世界に類を見ない奇跡なんですよ・みなさんんん~~~!!
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あ、話はもどりますが、
境内に入ると【粟田祭のパンフレットをいただけまして、
「明日の舞楽をチェ~~ック!」
と、翌日の予定欄を見たら、
浪速神楽(かぐら) 奉納】
と書いてありました・・・
(゚◇゚;)

神社の方に「明日の舞楽はどこで行われるんですか?」
と聞いたところ、
舞楽?明日は神楽だよ」
と・・・。

ぇえ~~~っ、
あのサイトにはたしかに舞楽とあったんですがぁ~?!

・・・・・。

ま・まぁ、神楽も観てみたいよね。
うん。観たことないし・・・。
そういうことにしておきました(;^□^)
 

で、
神社の方に「今、お神輿でてるよ。観て行ったら?」
と勧めていただきました。

神社から出発したお神輿が何キロもの長距離を巡回しているそうですが、
神社の近くの交差点で「辻回し」というものをするそうで、
みなさんでとっても勧めてくださるので(゜Д゜)そんなに?
観に行くことにしました。
 
 
 
その前にちょっと神社の境内を散策しました。

そして、
神社の摂社に「太郎兵衛神社」という
ちょっと変わったお名前の神社を見つけました。
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太郎兵衛ってどんな方なんだろう?
名前的に、江戸時代ぐらいの方かな?
そんなことを考えながら鳥居をくぐって入りました。

が、
その手前にはしっかりと錠のかけられた門が。
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石の階段は門の先にもずっとのびているのが見えました。
え、なに?この入ってはいけない感バリバリの雰囲気は・・・
この山の奥にいったい入ってはいけない何があるんだろう?

何だか怖くなってきました。

しかも、
その門を囲むレンガ造りの塀が神社にはあまりにも不釣合いで・・・
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もしかして
ここには、昔、華族の方が住んでいた洋館があったりして、
でも、何かしらの理由でそこは廃墟になってしまい、立ち入ることが出来ない・・・
そういうちょっと禍々しいストーリーが頭をかすめたりして、

ますます怖くなってしまいました(><)
 

その壁の手前に、小さな祠の【太郎兵衛神社】がありました。
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写真では見えませんが、
小さなおいなりさんの人形が2体置かれています。
さっきの恐怖心がまだあとをひいていて、
おいなりさんの人形を見ただけでちょっと怖くなったのでした・・・。
 
 

で、
 

さっそく先ほどの神社の方に、
「太郎兵衛神社の太郎兵衛という方はどういう方なんですか?」
と、きいてみました。ドキドキ・・・

神社の方はひょうひょうとした口調で、
『あぁ、タヌキや。』
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タヌキ?なぜタヌキが太郎兵衛?
『昔そこに○○ゆう人が住んでて(名前忘れちゃった)、そこにタヌキが出たんや』

わざわざ祠を建てて祀るほどです。
タヌキが化けて○○さんをかどわかし、
正体を知って怒った○○さんが斬り殺してしまった…
なんていうヘヴィーな昔話仕立てのストーリーを妄想してしまいます。
何があったのか、すごく気になってその理由を聞きました。
が、
『○○さんちにタヌキが出たんや。』
『え、出ただけですか?』
『そう。タヌキが出て、名前つけたんやな。』
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そ、それで祠建てるかな・・・?
 
建てたんですね・・・。

『あのぉ、おいなりさんの人形がそこに置いてあったんですけど・・・』
『あ?あぁ、あはははは~(笑)』

ヘヴィーな物語を妄想して身構えたけど、
ものすごくライトな理由でした・・・。
 

しかし、まだ不可思議なことがあります。
あの、閉じられた門の奥に続く石階段。その先にはいったい何が・・・?!

『ああ、あの道は上のお寺に続いてるんや。』
またもひょうひょうと答える神社のお方。
『お寺?(神社とお寺がつながってる?)
そのお寺はもう廃寺になったんですか?』
『いや、あるよ。表に回ったら入れる』
そこに居られた地元の奥さんがなにげに話に入ってこられた。
『あそこは山に続いてて、昔ハイキングコースやったけど、
新しいハイキングコースが近くにできたから、そこはもう閉じたんや。
今でも古い地図見て来た人に、何で閉まってるんやって文句言われるわ~』

・・・・・。

ミステリアスさのかけらも無い話にあっけにとられてしまいましたが、
まだ、あの神社に不釣合いなレンガの壁の謎が気になります。
洋館でも建っていたのか、聞いてみました。
が、

『あれはぁ、大正時代にああゆうのが流行ってたんや。』
『え、流行ってたって…、神社があの壁を建てられたんですか?』
『そう。』

・・・・・。

伝統ある神社さんの、まさかの西洋かぶれの痕跡ぃ~~~~
(〇o〇;) ヒュゥ~~~~~…
 

事実は小説より奇なり、というか、
まさかの真実・ファンキー版 in 粟田神社さん☆なのでした
(;^□^) 勝手な妄想をした私が馬鹿なのです~
 

 
はい、
またお神輿に話を戻しますっ

「辻回し」が行われる交差点にむかい、良いタイミングでお神輿が来ました。

カメラについてる動画撮影機能なんで綺麗ではありませんが、
どんな感じなのか雰囲気を味わってもらえたらと思います↓

(動画 2分54秒)動画の最初のほうで、警備員さんに急にさがるように言われて
動揺して画面がブレブレしています(汗)
 
 
で、
なんとなくその流れでお神輿についていって、
お神輿が鳥居をくぐる&境内までの急勾配を
何トンもあるお神輿かついでわっせわっせ!
というところを撮りました↓ (動画 1分27秒)