時代祭2013☆楠公上洛列①
『時代祭2013☆室町洛中風俗列』のつづきです。
時代は吉野時代。
吉野時代、何のこっちゃと思いましたが、
1333-1392年の時期をそう呼んでいるようです。
吉野時代 楠公(くすのきこう)上洛列
この列は、
楠木正成が一族を率いて兵庫まで迎えに行き、
一緒に京都に入った時の様子を再現しているそうです。
楠公の列が出てきました。
ほら貝(法螺貝)の音を響かせる貝役。
動画でその様子をご覧下さい(25秒)
ほら貝の後ろからつづく太鼓の持ち手、
中東系かと思う濃い顔のお兄さんですね・・・
菊花紋旗旗差が登場。旗が写ってなくてすみません。
「その功績から、菊紋を下賜された正成だが、
畏れ多くて菊紋の下半分を水に流した」という菊水紋だったのですが・・・
左に写ってる楯突の方も濃いお顔立ちで・・・
なぜかこの列には濃いお顔立ちの人が多かったような??
錦旗旗差
錦の御旗(にしきのみはた)のことですね。(写ってないけど(笑))
去年、『まんが日本の歴史』を図書館で読んでいて、
楠木正成あたりまで読んだと思うのですが、
すでに源平合戦あたりから難しくて分からなくなっていたので、
楠木正成が何者だったのか全く覚えていません
Σ(・口・!)
そこで、もう一度、
向こうの方に錦旗が写ってました↓
ひかえおろ~~ぅ 我らは天皇の意を得た軍であるぞ~!
後醍醐天皇には
鎌倉幕府になってから武士の時代になっちゃって
天皇側としてはくやしー感じだったのでしょう。
後醍醐はこそこそといろいろ倒幕計画を立てていましたが、
それが幕府にバレちゃいました。
↓
これはマズイ!と、御所を出て挙兵しますが
捕らえられて島流しになってしまいました・・・
↓
しかし、後醍醐は諦めていなかった!
島を脱出して、またも挙兵するのですΣ(・口・!)
(やんごとない身分の人とは思えない(笑))
↓
↓
後醍醐・再び京都へ戻るの巻き!
このとき、
楠木一族が後醍醐を迎え、先駆したのがこのお祭りの列ですね。
主将・楠木正成の登場です。
京都に入った後醍醐は幕府がたてた天皇を廃し、
再び天皇に返り咲く。
しかし、
やんごとなきお方の悪癖が出たのか、
貴族に優しく、武家に冷たい新政権を樹立し、
武家に嫌われてしまいます(;^□^)
後醍醐返り咲きのために挙兵してくれたあの足利尊氏が反旗を翻します。
後醍醐は吉野に逃れ(また逃げる)、
尊氏は京に入って新しい天皇をたてる。
そうして、
二つの天皇家ができてしまうという
二つの天皇家ができてしまうという
南北朝時代がはじまったのであった・・・
ね、
後醍醐のわがままぶりしか記憶に残らないでしょう?(笑)
副将・楠木正李
行列はバスの通過待ちなどでよくストップするのですが、
ちょうど私の前で楠木正李さんが止まっていたので、
多めに写真を撮りました。
馬上で安らかに目を閉じておられるその表情に
なぜか『聖母像』のような荘厳さを感じてしまう・・・
何だか魂が洗われるような気がしてきます
不思議なセイント☆おじいさんでした。
次男だった後醍醐が天皇になれたのは、
「兄(長男)の息子が成人するまでの中継ぎで3年ほど天皇やってね」
という父の遺言があったからでした。
おんぶしてもらって逃げる後醍醐天皇
二つの家系があって、争いにならないように
両家系から順番に、数年ごとに天皇を選出していました。
『わしはやめるとは言っとらん。』
とか言って、天皇の座を譲らなかったのでした・・・(汗)
(けっきょく父の遺言に従って、兄の息子を天皇にした気配も無いし)
↑みたいな漫画の内容だったと(笑)(うろ覚え)
後醍醐天皇、すごすぎりゅ・・・
我々は素晴らしい人格をお持ちの今上天皇に恵まれていますが、
ある意味、それが新鮮です(;^□^)
また体調のいい時期に天皇陵巡りしたいです☆