オリガミ ヲ キリガミ オカルティー(総合)

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時代祭2013☆中世婦人列①

 
 
 
平安後期から桃山時代に至る時代の婦人をあらわした
中世婦人列です。
時代祭ではこれを〈吉野時代〉としているようです。
 
大原女(おはらめ)たちがやってきました。
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大原から京の街まで薪や炭を売りに来ていた女性たちのことのようです。
それにしても、
大原って今でもけっこう山奥ですじぇ?
 
昔の人ってすごい距離を歩いてたんだなぁ。
 
そういえば、
日本書紀の、仁徳天皇の詠ったうたの中に
大原の女たちが大根を担いでるよ~
みたいなうたがあったなぁと。
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古墳時代から大原の地名がそのままで、
また、大原の女たちの勤労さ?が当時から認識されていた・という
そのあたりの歴史がすごいなと思ふ・・・
 
 
お次は桂女(かつらめ)です。
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鮎とか飴を落西から売りに来てたそうです。
で、桂女は
出産や婚礼の時の祝詞をとなえる生業ももっていたようです。
 
この迫力のある桂女奥さんなんて
祝詞の力がありそうです
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可愛らしい桂女さん・ニコ❤
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桂女さんとバスの
時を越えたコラボ☆
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それにしても、
この時代のファッションは
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意外と60年代を先取りしてないですか?
ツィギーとかが着てても違和感なさそう。
 
 
 
そして、淀君の登場。
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前出の働くお姉さんたちに比べて
ぐっと豪華なお召し物になります。
傘もさしかけてもらってるし。
 
 
淀君侍女
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大胆な柄と色使いです。
私は着物のことは知らないのですが、
この時代の帯はあっさりとした物だったんですね。
 
 
TVドラマでもおなじみの旅姿をしている女性は
藤原為家の室とありました。
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どういう人なのか分からず、ちょっと調べました。
 
藤原為家の室とは、
藤原為家の側室で、歌人として有名な藤原定家の娘、
阿仏尼(あぶつに)という女性のことだそうです。
彼女自身も歌人だそうです。
 
懐にさしてある書状が気になって拡大。
『訴状』と書かれています。
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懐にさしている訴状、これはどういうエピソード?
と思い、調べましたところ、
夫・藤原為家には先妻との間に息子が居たそうです。
後妻の阿仏尼にも息子が生まれました。
で、
為家阿仏尼を寵愛してたので、阿仏尼の息子に
持ってる領地を与える証文を書いた・と。
これがもとで相続争いに(あたりまえ)
為家の死後、先妻の息子は領地の譲渡を拒否
それで、
阿仏尼は訴訟のために鎌倉に向かったそうです。鎌倉時代ですので)
 
で、
鎌倉に行った阿仏尼はどうなったかというと、
4年滞在するも、訴訟問題が解決する前に鎌倉で亡くなったそうです。
(日本の裁判が長期なのはこの頃も同じだったのですねー)
判決は結局、阿仏尼の息子の敗訴だったそうですが。
 
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言っちゃ悪いですが、
阿仏尼は自分たちの立ち位置をわきまえてないですよね。
が後妻可愛さにアホになっていて、
先妻の子をないがしろにしていることを
阿仏尼のほうからたしなめていれば、
つまり、
3:2ぐらいの割合で、あるいは3:1ぐらいでも
長男の方を立てるようにして領地を相続していれば
争いごとも起こらず、阿仏尼たちも敗訴して利益ナシより
ちょっとでも土地があったというものを…(´д`|||)
 
 
「自分が・自分たちが!」
これをやみくもにやることは、かえって失う物の方が多かったりするもの。
わきまえるというのは、
せまい国土に人口の多い・日本の風土が編み出した
「人間関係円滑法」であり、
同時にこれが和風エレガンスだったのだと思います(今もね)。まる。
 
以上。藤原為家の室から学ぶ』でした。
 
 
 
列はあと、静御前を残すばかりですが、
静御前写真特集?で1ページ作ります(笑)