オリガミ ヲ キリガミ オカルティー(総合)

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御蔭祭2014 今年は全部観るぞー 番外編

 
 
下鴨神社から御蔭神社へ行く前に、
少し時間があったので
御蔭神社の川一本むこう側にある
崇道神社へ寄ることにしました。
 
 
下鴨神社から崇道神社
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崇道神社訪問、
御蔭祭りに関係ないようでちょっとあるような
うっすら頭に入れておいてもらえると
いいなぁとおもいます。
 
 
 
バスを降りると、
そこは山の中な雰囲気ありまくりでした。
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ここが崇道神社です。
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写真ではいくぶん明るく撮れていますが、
日本の山中特有の湿度の高い深緑で
近寄るものを一瞬びびらせる
そんな雰囲気をまとっています。
 
 
鳥居のむこうにも鳥居。
そのまたむこうにも鳥居。
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誰もいなくて異界情緒満点です
(((゚Д゚)))ブルブル
 
 
右側に見えてきたのは社務所のようです。
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古い時代の建築をおもわせる
素晴らしい社務所です。
 
新しいきれいな社務所などに改装したりせず、
このまま威厳あふれる建築を維持していただきたいなぁぜひ。
 
 
 
ここが本殿ですね。
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手前の砂の山2つが
上賀茂神社をおもいださせます。
 
 
 
ところで、
崇道神社の御祭神ですが、
桓武天皇の弟君の早良親王(さわらしんのう)です。
 
桓武天皇といえば、
奈良から京都に都を遷都した天皇として有名ですが、
そもそも桓武天皇が遷都した理由には
弟君の早良親王のタタリ怖さというのがありました。
 
タタリというからには、
たたられるような覚えがあったわけですね。
 
イメージ 7
 
それは
785年におきた藤原種継(ふじわらたねつぐ)暗殺事件
桓武勢力だと疑われていた早良親王
暗殺に関係していたのではと目され、
淡路に配流されることになったのです。
 
早良親王は自らの無実を訴えるため
断食を行いました。
 
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そして、
淡路への配流の道半ば、
現在の大阪市守口市あたりで命尽きてしまいました。
 
その死を多くの歴史書
『憤死』
と表現しています・・・(((゚Д゚)))
お・怒りながら死ぬって…
 
 
その後、
都には疫病がはやり、多くの人が亡くなりました。
桓武天皇の身内も次々と亡くなりました。
 
 
「こ・こ・これは、早良親王のタタリなのでは…!」
 
 
そういうわけで、
親王の怨霊をなだめるため、
崇道天皇の称号を贈りました。
また
御霊が悪疫をもたらす神とおそれられ、
村の出入り口に祀ってその侵入を防ぎました。
 
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それでこの崇道神社がある地ですが、
ここが若狭街道の京都の入り口にあたるということで、
崇道天皇(早良親王)を祭祀したのだろうと。
 
そういうことらしいです。
 
 
 
おなかペコペコで亡くなられて辛かっただろうなと思ったので
バウムクーヘンをお供えしてきました。
(なんで洋菓子なんだ)
 
 
 
で、
 
この神社に来たのは他にも目的がありまして、
 
それは
この神社の境内にある小野神社であります。
 
これから行く御蔭神社が鎮座する山、御蔭山(みかげやま)
小野神社の旧鎮座地という説もあり、
奈良朝~平安初期の祭祀用土器が出土するそうな。
 
ということはつまり、
御蔭神社が鎮座するよりも前
古い古い時代
御蔭山は小野神社の聖地・古代祭祀場だった…!?
という可能性があったりして??
あるいは・ということです。
 
 
で、
その歴史ありげな小野神社ですが、
 
 
想像していた以上に小さくて…
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ほんとにチョコンという感じで、
なんだかせつなひ・・・。
 
 
「859年、従五位に叙せられ、延喜の制には官舎となり、
国家の祭祀にあづかった小野氏一族の氏神社である」
 
というからもっと、なんというか・・・
すごか神社かと勝手に思っていたというか。
 
たしかに、
「小野氏の衰微によってその鎮座地を失った」
ということで、
地元の人がここの新たに社殿を再建したとのことですが、
 
 
かの時代に輝いていた小野氏一族は
どこへ消えたのでしょう?
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御祭神は
推古天皇の御世に遣隋使となった小野妹子(おののいもこ)
その子、小野毛人(おののえみし)です。
 
 
わたしのような勉強嫌いのアホでも
小野妹子の名は聞いたことがあります。
 
きっと、小野氏一族の歴史の中でも
もっとも輝かしかった頃なんでしょうね。
 
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まさか
その後、氏神社が鎮座地を失うほど
小野一族が衰微しちゃっていたとは・・・
知りませんでした。
 
 
 
さらに、
崇道神社の背後の山を140m登ったところに
小野毛人墓碑〉があるということで、
どれどれ、ちょっと登ってみようかと、
軽い気持ちで登ることにしたのです。
 
 
 
今日はもう疲れたので、