オリガミ ヲ キリガミ オカルティー(総合)

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御蔭祭2014 今年は全部観るぞー 番外編 その②

 
 
 
崇道神社の背後にある山を140m登ったところに
小野妹子(おののいもこ)の子、小野毛人(おののえみし)
お墓があるということで、
ちょっと登ってみようかなぁ~
軽い気持ちで思いつき行動しました。
 
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ここから登るのか。
ハイキングコースみたいになってるのかな?
 
 
と思ったら、
 
 
 
そこはただただ、山であった・・・
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歩きやすいサンダルをはいては来ましたが、
このような
傾斜地にゆるい土と枯葉が積もる
危うい山を登るには
ちょっと厳しいものがありました・・・
 
が、
 
ここまで来たら登るしかありません。
 
 
しかし、
ずるずると土がすべり、
おっと危ない!とおもっても、
つかまれる所がありません(;゚д゚)
 
小枝だけでなく、
大枝(木の幹?)も道をふさいでいます。
というか
枯葉で道っぽさがなくなってて
どこを登ればいいのか分からなくなったわ
(;゚д゚)
 
〈結論〉
小野毛人墓を観に行きたい方は
スニーカーをはいてきてください。
 
 
 
はぁ~~、しかし、日ごろの運動不足がたたって
たった140mなのにクタクタです(汗)
 
そしてようやく、
それらしいものが見えてきました。
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はぁ~~、到着。
小野毛人(小野毛人朝臣之墓)です。
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本には詳しくは書かれていませんでしたが、
小野毛人は677年(飛鳥時代)に没した
小野氏の名士であるということでした。
 
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これも封土円墳という古墳であるそうで、
古墳の石室からは墓誌(ぼし)が出土しました。
現在それは国宝に指定されているとの事です。
 
だって、
飛鳥時代って、古墳時代の次の時代ですよぉ?
その時代の墓誌が残っているなんてスゴイ
 
 
 
『はぁ~やれやれ、疲れたわい』
 
と、
ふと後ろを振り返ると、
 
はっ!
木々の向こうに、なんと美しい見晴らし!
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ここへ登ってくる前に、
神社の神職さん?が
『見晴らしがいいよ。天気のいいときは大阪湾まで見えるから』
と、おっしゃっていたのに、
山登りのしんどさで
すっかりそのことを忘れてしまっていたのでした(笑)
 
おかげさまで、
ものすごく新鮮に驚きました(笑)
 
 
その日は曇りだったので、景色は若干ぼんやり。
 
大阪湾は
向こうに見えるうすい水色のそれかなぁ?
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飛鳥時代の空気はきっと今より澄んでいて、
さぞや美しく輝く大阪の海が見えたことでしょう。
 
もっとも美しい風景のところにお墓を作ってあげたいという
孫子のおもいを感じたしだいです・・・
 
 
と、
 
風景の中にヤバイものを見つけてしまいました
 
住宅の真ん中からすっくと立つ
でっかい 高圧送電線の鉄塔が・・・!
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あかんっ
ふもとの住人が健康被害を受けてしまう・・・!
 
しかし私にはどうする事もできません・・・
とりあえず、家を買うときは
送電線の鉄塔の近くとかやめるようにして下さい・としか・・・
 
 
 
さて、
くだりは楽楽よ♪と山をくだりはじめましたが、
 
ふんわり堆積した枯葉や
ゴロゴロしたむき出しの土に足を乗せた瞬間
ズルッとスリップ!
しかもつかまるところがない!
しかもすべったいきおいで枝が前から刺さってくる(笑)
 
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厚手のジーンズをはいていましたが、
帰宅して着替えたとき、
スネにいっぱいすり傷があってびっくりしました。
 
しかもこの短距離で道に迷って
変な所から山を出た不思議
(;^□^)
 
山はなめたらアカン。
 
 
 
そして、
話は変わりますけどですね、
 
境内には出雲高野神社(いずもたかののじんじゃ)
あるはずなんですけどね、
 
探しものが苦手なアホな私は
見つけられなかったんですね~(汗)
 
 
この神社かと思ったのですが、
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ちがったみたいです・・・
 
出雲高野神社
『祭神や由緒をあきらかにしない』
という、謎多き神社ですので、
 
御祭神がしっかり標されたこの神社は
ちがいました・・・
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私はかんちがいして、
「すべきことはしたなりよ」と、勝手に満足して
そのまま御蔭神社へ向かったのでした。
 
 
 
なぜ、
この出雲高野神社が気になっていたのかといいますと、
出雲という名からも察せられますとおり、
出雲氏の奉祀する神社で、
一説には、
もとは北区の出雲路(いずもじ)に在ったと言われています。
 
ちょうど最近、
弥生時代終わりごろに
出雲国(現・島根あたり)の人々が
京都の出雲路あたりに移り住んでいた
ということを知ったところでした。
 
賀茂川にかかる現在の出雲路
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出雲の人々がなぜその地へ来たのかは分かりませんが、
人々は鞍馬口から下鴨神社あたりの範囲に住んでいて、
たぶん、
その人たちが後に出雲氏となったのだとおもわれます。
 
出雲井於神社(いずもいのへのじんじゃ)という、
井泉を神として祀った神社を持っていました。
 
その
出雲井於神社あったところに現在の下鴨神社がある
という不思議・・・
 
ちなみに、現在出雲井於神社
下鴨神社境内に比良木社(ひらきしゃ)として存在しています。
 
比良木社(ひらきしゃ)/出雲井於神社
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ちなみに、
奈良時代当時、下鴨のあたりは出雲郷とされており、
出雲郷の人々は平城京の造営にかり出されたり、
そのために重税を課されたりして
よその土地へ逃げたといわれています。
 
そんなこんなで出雲郷は人口が減少してしまい、
その折に上賀茂の賀茂氏が進出してきて
賀茂下神社(下鴨神社)をつくったようです・・・
(それらは720年~750年の間にあったことだと考えられています)
 
え~と・・・進出??
 
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ちなみに、
大和の葛城地方から京都の相楽郡加茂へ、
そして加茂川にそって北上してきた賀茂氏
下鴨(出雲郷あたり)にやってきたが、
なぜか、住んだのは北区あたりだったようです。
(上賀茂あたりですね。)
 
 
その賀茂氏
人口が減少した(?)という出雲郷進出して
出雲郷の人たちが祀っていた神社のところに
賀茂氏の神社を建てた・・・?!
 
(新しく書かれたものには違うストーリーが紹介されているでしょうが)
↑このごろ違う話が新たに作られていると思ふ・・・
 
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あかん・・・!
黒いファンタジーが頭の中に浮かび上がってきてしまう・・・
 
 
 
以下、私の黒い妄想↓
 
 
弥生時代終わりごろ、
出雲国から出雲路あたりに人々が入植。
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その地は出雲里となり、氏族は出雲氏となり、
出雲里出雲郷とされる。
 
賀茂氏が北上してきたけど、
出雲氏が強くてはじかれたので、
その北のほうに住む。
 
奈良時代出雲郷の人々は
使役にかり出されたり重税を課されて弱体化する。
 
そのすきに賀茂氏が攻め入り、出雲郷を制圧。
賀茂下神社(下鴨神社)をたてる。
 
出雲氏の人々は山奥に逃げのびる(高野・八瀬あたり)
出雲高野神社をたてる
 
ぢつは、出雲氏は小野氏と同義。
小野神社をたてて平安初期ぐらいまで
国家の祭祀をあづかったりするようになっていたけど、
 
祭祀においても賀茂氏に押され、
小野神社を廃されて、そこに御蔭神社をたてられちゃう。
 
 
 
 
これはまったくもって
私個人の妄想ワールドです。
あしからず。
 
 
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しかし、
御蔭神社(みかげじんじゃ)にて迎えられる神霊が
荒御魂(あらみたま)だというのも少しひっかかります。
 
 
神様の御魂には
『和魂(にぎみたま)』『荒魂(あらみたま)
という2種類に分けられて、
 
和魂(にぎみたま) ⇒ 神の和やかな魂。
恵み、幸、人間への恩恵など。
願い事をしたりお供えをする対象。
 
荒魂(あらみたま) ⇒ 神の荒ぶる魂。
自然界の破壊的な側面や、怒りや罰を下す魂。
鎮めるために御祓いや祭りをおこなう対象。
 
 
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御蔭神社の神様に関係する神様なので、
荒魂というわけで、東遊(あずまあそび)などで
おもてなしするのですね。
 
しかし、
その裏で「何か」の怒りを鎮める目的も
あるのだとしたら・・・
というのも妄想の範疇ですけどね。
 
 
 
 
番外編が長くなりました。
次はちゃんと御蔭祭りを紹介させていただきます
(;^□^)
 
 
御蔭神社へいきまーーーーす!
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『御蔭祭2014 今年は全部観るぞー②』へつづく ⇒