マイナー?京都観光 大豊神社③
『マイナー?京都観光 大豊神社②』のつづきです。
大豊神社(おおとよじんじゃ)のご本殿左側に、
このお社の狛犬(こまいぬ)がちょっと変わっていて、
狛犬ならぬ『狛猿(こまざる)』と、
『狛鳶(こまとんび)』なのです。
なんで猿と鳶なのか、不思議に思ったので
再び宮司さんに質問しましたところ、
比叡山には猿がたくさん居るそうで、
比叡山の守護神(?)とされているのだとかで。
で、
愛宕山が鳶で表されるのは、
古くから愛宕山には行者さんが多くおられたそうで、
その行者さん(ときに天狗の姿で表される)の
かぶりものの先が尖っているのがクチバシに似ている、
というところからきているようです。
え~と、行者さんのかぶりものって、
おでこの上にちょこんと乗ってるやつだったよね?
それって、そんなにクチバシみたいに尖ってたっけ?
と、
帰宅後PCで行者さんの写真を確認してみましたが、
どれもこういうかんじのかぶりもので↓
えぇ~と、
どこが鳶のクチバシに似てるの?
と、「???」状態です。
他の説では、
平安京の守護に関わていてうんぬん・・・
という説もあるそうで(宮司さんもよく解らないという感じでした)、
なんかそんなのを本で読んだことがある気もしますが、
神社創設のウラの意図などは、
きっと一般に知らされることなど無いのでしょう・・・
それにしても、
狛鳶像、木漏れ日が虹色に輝いて
なんだか神々しいです・・・
でも、
宮司さん、狛鳶の頭をペシペシしながら
お話になる(笑)
関係ないですけど、
上の木漏れ日が光ってる狛鳶の写真の、
後ろの木の壁が、
人の顔がたくさんついているように見えてちょっと落ち着かない・・・
(ライオンの顔の人みたいなかんじ)
木の木目って、そういうことありますよねぇ。
それと、
御本殿の右側には【大国主命(おおくにぬしのみこと)】
を祀る摂社があり、
ここの狛犬も『狛鼠(こまねずみ)』なのは
『②』でもお話したとおりなのですが、
それが『鼠』である理由は、
「大国主が火に囲まれた時、
地下の穴に誘導して助けたのが鼠だったから」
なのだそうです。
日本神話の大国主のところぐらいは読んだはずなのですが
(神話でも前のほう)
そんなエピソードがあったことを
すっかり失念していまして、
「鼠の案内する穴とか、小さくて入れなそう・・・」
とか考えちゃうのですが、
宮司さんいわく、
「古墳の穴に入って助かったとかいわれてるんです」
と。
あ~なるほどぉ~、
鼠が古墳の穴を教えてくれたんですね~
と一瞬納得しましたが、
まてよ、
大国主さんの生前にすでにあった古墳って・・・?!
どんだけ古いんだよΣ(゚Д゚)
と、そっちの方にびっくりしました
他にもいろいろと
宮司さんに教えてもらったんですが、
もう7月のことだったので、
だいぶ忘れてしまいまして、すみません・・・
そうそう、そういえば、
この神社の近辺には、百済から渡ってきて、
代々住み続けている職人の一族がおられるそうで、
上写真の拝殿にかかっている注連縄(しめなわ)も、
その職人さんに発注してつくってもらっていると
おっしゃっていました。
注連縄の技術(?)というか様式も
百済から渡って来たものなのでしょうか?
それとも、
百済も日本の一部だった(教科書にはそう書かれていませんがね)から
向こうにもそういう職人さんがいたのでしょうか。
いづれにせよ、
そのまま職人として仕事を受け継いでいるって、
なにげにすごく奥の深いことではないですかね?
ただ、
現代は注連縄作りだけでは食べていけないらしく、
普通のお仕事をしている上で、
注文があったときに作る・・・
というスタイルになっているそうです。
注連縄の技術だけでは食べられないんですね↓↓↓
政府も、
何をやっているか実態がよく分かっていない
不明瞭な団体や個人に補助金を与えるよりも、
こういう古い歴史の伝統を受け継いでいる人たちを
サポートした方がいいのにねぇ~。
と、思いましたです。ハイ。
(ニヤリ)
緑あふれるステキ空間、大豊神社は
南北にのびる【哲学の道】の、南よりのところにあります。
哲学の道を歩いていると、
着物レンタルのお店がありますので、
東に入るとすぐに神社の参道が見えます。
というか、
着物レンタル屋さんの前の通りも、すでに
大豊神社への参道となっています。
(参道入り口にある、一の鳥居)
(ライオンのような風格の狛犬)
「わかったかにゃ?」
(着物レンタル屋さんでくつろぐ猫)
長々みてくださって有難うございました☆