マイナー?京都観光 大豊神社②
え~とですね、
先月の中ごろにUPした記事
『マイナー?京都観光 大豊神社①』のつづきを
今頃ですがUPいたします・・・
このように、
緑あふれる素敵な大豊神社(おおとよじんじゃ)さんですが、
宮司さん、御本殿の後ろを指差していわく、
「昔はこの裏の山がそうやったんや」と。
話の流れから、私は「そうやった」というのを、
後ろの山そのものがご神体であったのだと解釈しましたが、
『昭和京都名所図会』という本には、
「(大豊神社は)はじめ背後の椿ヶ峰中にあって、
椿ヶ峰山天神と称していた。」
椿ヶ峰山天神と称していた。」
とあり、
あぁ、そういうことだったのか・と、
またちょっと先走って違うことを考えてしまった自分を
いさめました。
そう、神社のはじまりというのは、
山の信仰から始まっていまして、
特に古い神社などが背後の山をご神体にしているというのは、
山を信仰していて、その山を眺めるために建てた建物が
後に神社へと発展していったという背景があります。
神山(こうやま)をご神体にしている上賀茂神社などが
その例だと思われます。
おそらく、
(縄文時代にもあったかもしれません)
山をご神体にしている神社というのは、
非常に古い歴史・信仰を持っている可能性があります。
(注・しかし後世に支配した者が
ご祭神を自分たちの神にすりかえているとおもわれます。)
わたしは、後ろの山が「そうだった」という言葉に、
「こ・これは弥生起源のそうとう古い神社なのでは…!」
と内心ドキドキしましたが、
本の解説では「後ろの山に社殿があった」ということですね。
(現在地に移されたのは1017年~1021年。
これでもそうとう古いですね。)
しかし、
宮司さんの言葉のニュアンス?が
ものすごく「後ろの山がご神体」ぽかったんだよなぁ~・・・
ま、もうちょっと未練がましく言ってしまいますとですね(笑)、
神社の本当の創建(起源)はわからないのです。
私は大豊神社に
弥生時代の起源の可能性を勝手に感じています(笑)
それは、
京都には古代、出雲族の人々が住んでいまして、
その範囲は現在の出雲路橋辺りから粟田までと言われています。
出雲路橋というのは、
もちろん、出雲族が住んでいたことに由来しています。
粟田には、粟田神社(あわたじんじゃ)があり、
この社伝にも、出雲族の人々が由来であることが記されています。
(秋の粟田神社)
その範囲を地図で見ますと、以下のようになります。
今回説明しています大豊神社は「A」
前に紹介いたしました岡崎神社「B」も
(現在地は多少移動しているようです。)
まだ紹介していませんが、
先日行った北白川天神宮「C」も、大豊神社と同じ御祭神で、
ちなみに
出雲井於神社(いずもいのへのじんじゃ)があります。
数々の「出雲族由来の神様を祀る」神社が
出雲族の暮らしていた範囲に見てとれると思います。
えぇ~と、
只今非常にPC画面が乱れていまして、
よく文字が見えませんが、ちゃんと書けているでしょうか(汗)
ここからがお話したかったことなのですが、
大豊神社のご本殿すぐ横に、
大国主命(おおくにぬしのみこと)を祀る摂社があります。
神話では国を譲ったことになっていますが、
実際は天皇家の祖先である天神族(渡来族)が
現在の奈良にあった大国主の拠点に攻め入り、
倒したのではという考え方もこの頃は出てきているようです。
しかし、
拠点を奪われても出雲族はまだ各地に残っていたと思われます。
上図の地図の出雲族分布の範囲は、
つまり、平安時代始めまでですね。
そこに居た彼ら出雲族が消えたり理由として、
平安京遷都の際に重税をかけられ、
おまけに労働力として駆り出され、
そこに飢饉なども重なって
出雲族は衰微したと、
「下鴨の歴史」には書かれていたと思います。
(私は出雲族が勝手に衰微したというのはちょっと違うと思ってますが)
大国主の摂社を守るのは、
狛犬ならぬ、狛鼠(こまねずみ)。
ま、
ざっくり本音を言っちゃうと、
奈良時代にかけて
『討伐』されつづけ、
平安時代の始まりと共に、
『討伐』された・と。
こういう流れではないのかと疑っているわけです。
それは、武力ではなく、
重税や労働力という形であっても。
そして、
出雲族の祀っていた聖地には
天神族(渡来系・天皇家の子孫)の神々や先祖が
上塗りされたり、並列で祀られたり・と。
大豊神社の御祭神も
仲良く並んで祀られていますしΣ(゚Д゚)
あ~、でも私、天皇家好きなので、
憎し・憎しで言ってるわけではありません
(;^□^)
歴史にはそういうこともあるだろう・と、
楽しく推理・妄想しているのです。
そうです。
これは私の憶測にすぎません。
でも、
この日本の国土の歴史の中に、
敗者として悔しいおもいをして散った人々の無念も
たくさんあるとおもうのです。
あるいみ、
神社は『奪い取られた聖地』としての敗者たちの悲しいモニュメント
である場合もあるのではないでしょうか。
神社へ行く際は、
そういうことをちょっと想い出してもらえたら
と思うのです。
神社はそもそも、
自分のお願い事をしに行くところではないですし・・・
もしよければ、
神社で手を合わせるとき、
その土地で散ったかもしれない無念の人々のために
ご冥福を祈ってもらえたらと、おもいます。はい。
ええ~とですね、
まだ『大豊神社』続くのですよぉ~(笑)
宮司さんから面白い話を聞かせていただけたので、
そこの辺り、まだちょっと紹介したいことがあるのです。
てことで、
『大豊神社③』に続きま~す ⇒