京都大学総合博物館②日本列島は動いたか
『京都大学総合博物館・かきの世界が深い』のつづきです。
でかいです。
左のナウマンゾウの頭骨は発見数が少なくて貴重なので
模型だとのことでした。
やっぱり鼻の付け根の骨は頑丈なつくりですね。
こちらはナウマンゾウの牙の化石。
ものすごくデカくて『すご~い』と、シャッターをパチリ。
しかし写真だと大きさが伝わらない・・・
(ある意味、これを収納するデカイケースを作った人がすごい)
この化石は50キロもあるそうで、
島根県の底引き網漁の際にかかっていたとのことです。
網を引っぱる時はさぞかし重かったに違いありません。
そして、
猟師さんはさぞや大量の手ごたえを感じていたことでしょう。
大漁だぞぉ~!オーッ!よいしょお~よいしょお!
しかし、
いざ、網の中を見てみると
『なんじゃこりゃ?』
猟師さん一同、あぜんぼうぜん・・・
という様子を想像して、
フフッとひとり、ほくそ笑んでしまいました(笑)
ナウマンゾウはこんなゾウさんだそうです。
キバ2本で100キロかぁ~!
で、
日本で最初のゾウさんはこんなお姿。
ゴンフォテリウム
ちょっとずんぐり?
そして、中新世、
亜熱帯~熱帯の気候だったという、暑い当時の日本には
マングローブが生い茂っており、
このようなゾウの近縁の動物が居たそうです。
デスモスチルス
このデスモスチルスはジュゴンの近縁でもあるそうな。
そういえば、ジュゴンとゾウって似てるかな。
関係ないですけど、
ラクダの祖先が、クジラの祖先と同じだと知った時は
ラクダとクジラが一致しなさすぎて理解に苦しみました(笑)
日本に動物が入ってきた経路図
やはり、
京大の研究者の方々は
昔から日本の位置は今と寸分たがわない、
ということを前提としているのですね。
そりゃそうか、アカデミーだし。
もう何度もこの図を出しましたが、
以前にもおどろきをもって紹介させていただいた
『弥生時代末期まで日本列島は何度も移動していました』説を
↓
いろいろな物のDNA解析が進み、
その経路を考えると
どうしてもこの定説では無理がある・と感じることが多いです↓
(お米の伝来は中国南東部からとか、弥生期のガラスの原料がベトナムとか。)
このルートからの伝来では矛盾が出来てしまうこと多数、
と言いましょうか・・・
上記のデスモスチルスの所で、
日本は亜熱帯~熱帯だったとありましたが、
当時の西日本の環境や動植物と
当時の朝鮮半島の環境や動植物が
どれぐらい共通しているのか知りたいですね。
ちなみに、
モグラのコーナーでは
西日本と東日本の境目、フォッサマグナを境に
ほぼバッツリ分かれているのも気になります。
(九州や四国、離れた島々にまでコウベモグラは生息しているよう。
一方、アズマモグラが北海道へ渡っている形跡がありません。)
そして、
さりげなくこの図をもう一度載せてみる(笑)↓
えっ、そんな話興味ありませんって?
(でも、歴史が変わると思うよ!)
しつこいようですが、③につづきます ⇒