GW☆3☆日御碕へ①小野氏!
GW3日目はとっても行きたかった日御碕へ行きました!
それはそれは快晴でラッキーでした。
なぜ日御碕か?
まずは、
京都にいた時の話ですが、
私は個人的に京都にいた出雲族のことを調べていました。
出雲族と言えば古代、出雲にいた人たち、
つまり島根県の出雲でしょう?
と思いがちですが、
じつは「出雲」は日本中のあちこちにあって、
出雲族もあちこちに居たそうです。
京都にも、平安京遷都までは
京都市(おそらく北から東の広範囲にかけて)に
相当数の出雲族が暮らしていたようです。
それは、
愛宕山(京都で一番高い山)から見下ろす限り
出雲族の集落があったというぐらいだそうですから、
かなり大規模な集団ですね。
とりあえず、京都にいる間に調べられたことは、
元々、彼ら(京都の)出雲族は八瀬という
京都市郊外の東北の山間に住んでいたということ。
その頃の出雲族が祀っていたという「出雲高野神社」が
八瀬の崇道神社(すどうじんじゃ)にあると知り、
そこへ行きました。
ちょうど去年と一昨年の今日ですわ。
崇道神社の「出雲高野神社」
ちょこんと小さな祠でした。
「それがどう、島根の日御碕神社と関係が?」
と思われましょうが、
簡単にそのつながりを説明しますと、
八瀬に住んでいた出雲族
↓
滋賀県西の「小野」から進出してきた小野氏族に、
押し出されるように
↓
理由ははっきりしないが、
(おそらく朝廷勢力にいびられて)消えていった京都出雲族
↓
小野氏も八瀬から京都市内に降りてきたが
いつの間にか霧散していく
いや、これ↑がどう日御碕とつながるの?って?
そもそも滋賀県西にいたという小野氏族
どっから来た人なのよ?と、ちょっと疑問に思っていまして。
京都にいる間はわからなかったんですが、
島根に来て他の調べ物をしている時に
意外な新事実(?)を知ったのです。
それは、
島根の日御碕神社から宮中にあがって奉仕した宮司が
その功績を認められて近江の国(滋賀)の小野という領地を
小野という姓になったという。
あの遣隋使で有名な小野妹子の一族が
まさか島根の出雲にルーツがあろうとは。
(出雲大社の東の方に日御碕神社があるのです。)
京都ではどうしても調べられなかった真実です。
よくわかりませんが、
島根に越してきてからやたらと小野氏関連に縁があります。
そういえば、
父方の曾祖母が、昔から京都市にいる小野です。
何かうっすらと血縁があるかもしれません(笑)
前置き非常に長くなりましたが、
小野氏のルーツだと知って
日御碕には行ってみたくなったのです。
ですが、
車のない私が行くには
ちょっとゲンナリする交通工程です。
日御碕神社にだけ行きたいわけではありません、
せっかく行くのなら小野宮司家の墓とか行きたいのです。
こんな私がどうやって行ったかというと、
母がうまいこと親戚に口をきいてくれて(笑)
その親戚の人がさらにお友達に誘いかけて
車を出してもらったのです
ありがたや。
そうして
親戚+そのお友達
という不思議な集団で
GW3日目の晴天の日、
日御碕へ向かったのでした。
もう前置きだけで疲れてしまったので、
続きはまた今度・・・
(´v`;)
この頃体力気力ないですー
『GW☆3☆日御碕へ②神話の島・つぶて岩』につづく ⇒