カジュアルなクラシックコンサートに行きましたところ…
山陰ケーブルビジョン企画の
昨日、聴きに行きました。
受付で当選したハガキを持っていくのですが、
係員の方がハガキの番号をチェックしてらして、
自分のハガキの番号が
チェックシートのいちばん上だったので、
「もしかして1番だったんですか?」
と聞くと、
「そうですっ」
と。
確かに新聞の折り込みチラシを見て当日応募しましたが、
まさか応募一番乗りだったとは(笑)
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日ごろ、
敷居が高くてなかなか聴きに行く機会のない
クラシックコンサート。
非常に素人的な感想しか書けず申し訳ないのですが、
「CDとかで聞くより、実際の音はまろやか」
という印象でした。
これ、意外にも
絵画と共通の感覚でした。
ずいぶん前の話ですが、当時、
そして、ある時急に
「イタリアのウフィツィ美術館に行って本物を見る!」
と思いたち、
住み込みのハードなバイトを1月半してお金をため、
そして、
本物の「ヴィーナスの誕生」を目にしたとき感じたのは、
「すごくふんわりしていてまろやかな絵だ!」
ということでした。
印刷ではアウトラインの線などがどうしても
実物以上にくっきりと出てしまうんでしょうね。
色も、ベタッとなってしまう。
たぶん、どんなにいい紙とインクと技術を使っても
そういう限界はあるんだと思います。
レベルは違いますが、
私でさえ、切り紙作品を画像アップする際
写真やスキャナ、PC画面の限界をとても感じ、
本当の作品とちがう物になってしまっていることを
悲しく思うこと度々。
なんかベタッとなっちゃうの。
素人感覚ですが、
音楽をされている方も、
実際自分が演奏している音と機械を通した音の違いに
そういったジレンマを少なからず抱えておられるのでは?
と、想像。
ああ、だからコンサートがあり、
コンサートを聴きに行くのか・と。
私も画面を通さない切り紙を見てもらいたくて
作品展示を何回かしたもんです。
(毎度、数人来てもらうことが限界でしたが。)
きっと、
機械を通さない本当の形で
観て、聴いて、感じてもらいたい、という
ジャンルを超えた創作者の共通した想い?
それがコンサートや展示なのですね。
そ~なのかぁ~
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で、ちょっと話はそれますが、
私の席の斜め前に座っていたおばさんが
演奏中おもいっきり口開けて
頭がっくんがっくんさせながら寝ているのが
どうしても目の端に入るんですよ(笑)
まあそういうこともあるよね、と
気にしないようにしようと思うんだけど、
やっぱどうしても
目の端に入るがっくんがっくんが気になってしまう(笑)
で、
笑ったのが、
がっくんがっくんに寝ているのに、
曲が終わった瞬間パッと一瞬起きて
ちゃんと拍手してるんですよ(笑)
で、
拍手が終わるとまた寝てる(笑)
こういう人に
「寝てたよ」
って言っても、
「起きてたよ、ちゃんと聞いてたし!」
って言うんだろうなあ(笑)
TVつけたまま寝てるから
TV消したら、その瞬間パッと起きて
「見てるのに消すな!」
っていうおっちゃんみたいな感じだろうか(笑)
余談でした(笑)
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結論。
機械を通したものは
実物を再現しきれてはいない。
よって、
それが好きだ、というものは、
交通費や入場料、時間やエネルギーを使っても
一度は実物を求めてみるべし。
ってことでOK?
なんつかこの頃、
PCやらの情報収集でいろいろ分かってる気になってる
自分の危うさを感じました…
何かを通すたびに
オリジナルからはどこか離れていくんですね。
もっと自分の足で、
目や耳で、
情報を求めなきゃー。